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通話 の商品レビュー

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24件のお客様レビュー

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2010/03/14

『バルの入り口にはいつもジローナの麻薬中毒者たちが大勢たむろしており、地元の不良少年たちが周囲をうろついているのを見かけることもしばしばだったが、アンはサンフランシスコの悪党たち、本物の悪党たちのことを思い出し、僕はメキシコ市の悪党たちを思い出して、二人で大いに笑ったものだが、今...

『バルの入り口にはいつもジローナの麻薬中毒者たちが大勢たむろしており、地元の不良少年たちが周囲をうろついているのを見かけることもしばしばだったが、アンはサンフランシスコの悪党たち、本物の悪党たちのことを思い出し、僕はメキシコ市の悪党たちを思い出して、二人で大いに笑ったものだが、今となっては、正直、何を笑っていたのか分からない。たぶん自分たちが生きていることがおかしかっただけなのだろう。』-『アン・ムーアの人生』 ロベルト・ボラーニョの短篇を読んでいたら、混乱、という言葉が浮かんできた。 舞台となるのはいずれも政治体制が大きく変化した過去をもつ町、そして、一つの町に定住する気配を見せない登場人物。必然的に、ものごとは、そして価値観などというものは一過性のものであり、常に流動的であることを、いやそうであらねばならないことを読む側に想い起させる。しかし混乱はそれだけで生じるようなものでもないだろう。 何もかもが一方的に向かう言葉、行為、そしてそれがまた過渡的であること。その過度に過渡的であることは混乱を生む一つの要因ではあるけれど、一方的に向かうこと、それこそが混乱の主な理由ではないだろうか、と読み進めるうちに気付く。短篇集に付けられた「通話」の原題「Llamadas teleponicas」=「Telephone call」の象徴的な意味が急に迫ってくる。 もし人生が、ボラーニョの描くような一方通行の語りかけとそれに対する態度保留でのみ成り立っていたら、と想像してみる。すると能動的に何かを行うことは、まるで砂漠に水をまくような行為であるように感じるだろう。言葉を口にすることのむなしさは容易に想像できる。しかし、病や薬物によって通話圏外に留め置かれた人への語りかけが、同じようなものだと、人は考えたがらないことも、少し想像を働かせてみればわかる。人生に必要なものは会話である、といっても常に相手からの適切な返信が必要な訳でもない。受話器の向こう側の無言は、会話を不成立にするものとは限らない。 ボラーニョの短篇にある過度に一方通行な言葉は、状況の特殊性に紛れて現実的ではないように思ってしまうこともできるけれど、そこまで考えてみると、これがひょっとするとまぎれもない普遍的な現実ではないか、という思いが徐々に強くなってくる。そこから混乱は始まる。言葉が何か思いを乗せて伝わるものである、という命題に対する不安が大きくなる。 そしてもう一つの要素。ボラーニョの言葉に含まれる警句の響き。それもまた混乱を生みだす原因の一つである。何か象徴的な出来事が描写され、それに対する冷やかな視線が鋭い批評性を伴って投げかけられる。その視線は通話圏外から急に発せられた言葉のようで小さな驚きを生み、観察の確かさが鋭い刃物をうっかり素手で受けてしまったような気分を喚起する。まるで新橋の夜中に道に寝転がる酔っ払いから自分の悩みをずばっと指摘されたような気分と言ってもよいかも知れない。しかしボラーニョはそこで立ち止まらず、更に一枚上手を取ってすくって投げて見せる。 すると一体自分は右へ向かって放り出されようとしているのか、はたまた左へ向かって突き飛ばされようとしているのかが解らなくなる。自分自身の考えなどというものが、如何にちっぽけで、文脈の作り出す慣性によって左右され易いものであるのか、そのことを痛烈に思い知らされた思いがする。そして混乱が残る。 『あるとき、どんな女性が好みかと彼に訊いたことがある。暇つぶししか能のない学生のしそうな馬鹿げた質問だった。ところが、芋虫は質問を真に受けて、じっくりと答えを考えた。ようやく彼は、静かな女、と言った。それからこう付け加えた。でも死んだ人間だけだよな、静かなのは。それから少しして、よく考えると、死んだって静かとはいえないな、とつぶやいた。』-『芋虫』

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2010/11/09

ほんとうにボラーニョは短編小説の名手だと思った。 どれもこれもトホホってなる人生模様。クセになる! llamadas telefonicas

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2009/11/18

よいできだった。構成がほんとに独創的というか、多くの作品が伝聞形式なのだ。 「センシニ」ではセンシニの書く手紙がストーリーを作る。「ジョアンナ・シルヴェストリ」はすごく好き。病院に入っている彼女に刑事?が人捜しに来るが、彼女はその人のことをほとんど知らない。で、徐々に回想シーンに...

よいできだった。構成がほんとに独創的というか、多くの作品が伝聞形式なのだ。 「センシニ」ではセンシニの書く手紙がストーリーを作る。「ジョアンナ・シルヴェストリ」はすごく好き。病院に入っている彼女に刑事?が人捜しに来るが、彼女はその人のことをほとんど知らない。で、徐々に回想シーンになって、かつての名優だった男の話になっていく。無愛想にせっせと話が展開するのだけど、一瞬の間に余韻を含ませて、年老いた名優が輝く瞬間を作る。 二〇〇三年五十歳という若さでポラーニョさんは亡くなってしまって、残念だ。

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2009/10/04

意外とあっさりしている。ラテンっぽいゴテゴテ感がないし、マジックリアリズムもないし。アメリカで英訳が受けたのもわかるなぁ。

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