羆撃ち の商品レビュー
大学卒業後、プロのハンターになった若者の半生記。北海道、アメリカンロッキーを駆け巡る。狩猟犬「フチ」との関係が愛おしい。
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親について狩猟をするうちにその魅力に取りつかれ、職業としてしまう著者の半生。文章は小説家のようにはいかないが内容は波乱万丈で、どきどきさせられる場面が続く。その場に居合わせた者にしかわからない緊張感を第三者に説明することはかなり難しく、そこは読者の想像力でカバーするしかない。フチ...
親について狩猟をするうちにその魅力に取りつかれ、職業としてしまう著者の半生。文章は小説家のようにはいかないが内容は波乱万丈で、どきどきさせられる場面が続く。その場に居合わせた者にしかわからない緊張感を第三者に説明することはかなり難しく、そこは読者の想像力でカバーするしかない。フチの登場ですばらしい盛り上がりを見せるが、比較されるユクがかわいそうで、いらいらさせられる。著者の生き方に共感する人も多いと思うが、実践できる人はアーブさんの言われるように有能な人の中でも千人に一人もいない。
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2009年4月25日 初版弟1刷発行(5月中に増刷決定) うまく文字にできず、読後ずいぶんたってしまった。 理由は二つ。ひとを食うヒグマの恐ろしさに怯えたことと、作者の文章がうますぎること。 ノンフィクションなのに小説を読むように感じてしまったからだ。 熊は世界では7種いて日...
2009年4月25日 初版弟1刷発行(5月中に増刷決定) うまく文字にできず、読後ずいぶんたってしまった。 理由は二つ。ひとを食うヒグマの恐ろしさに怯えたことと、作者の文章がうますぎること。 ノンフィクションなのに小説を読むように感じてしまったからだ。 熊は世界では7種いて日本にはツキノワグマとヒグマ。ヒグマのほうが大きくて獰猛。 ディズニーの黄色いクマのプーさんは7種にはいっていない。 タイトルの「羆」はヒグマと読む。 吉村昭氏に「熊撃ち」という同タイトルのノンフィクションがあるので、あえて羆(ひぐま)という漢字を使ったのかもしれない。北海道のクマはヒグマだから、羆撃ちなのかもしれない。kumauchi とルビがふってあるので、クマ撃ちと読んでいいのだろう。 現在62歳になる著者の羆専門のハンターになろうとする20代ころから30代前半まで。 猟犬フチとの出会いからフチとの猟フチの死までが全編を通してつい昨日のことのように生き生きと描写されている。 作者は、時に母熊を撃つ非情なハンターである。非情なる理由は人を襲う熊だから。 羆のテリトリーに侵入した人間が悪いのかもしれないが、羆が獣であることを忘れてはいけないと教える。 こういうノンフィクションは初めの20ページがおもしろいだけであとはな〜んだが多いが、これは、逆である。初めは動物愛護教会からクレームがくるだろうな〜とか、女の私が好き好んでこういう本を読んでいるなんて人はなんておもうだろうかとか。フチがでてくるあたりから現実のすごさに動揺しながらも、自分とはかけはなれた、生き方を選んで生きている姿に魅かれてゆく。 フチは小柄なアイヌ犬のメス。 猟犬にはオスが良いとされているが、作者はタフだが放浪癖とむら気のあるオスを嫌い、子育てをする情と忍耐強さのあるメスを選んだ。生後2ヶ月から厳しくかつ愛情をかけて育てる。 フチに、撃った羆のうまい内臓を分け与えて食べさせ、羆を捕らえる喜びを体に覚えさせる。 山奥で猟中にはぐれてもフチを置き去りにして帰る。たとえ羆の餌食になろうとも自分で帰ってこれないような犬なら猟犬にはなれない。 フチという名は、アイヌ語で火の女神を意味する言葉なのだが、フチと決定する理由がすごいリアリティである。 場所は北海道の山の中。猟期は冬。解体した熊や鹿の心臓を雪の上におくと、凍ってしまう寒さなのだ。 寒く震えた唇でも「フチ」と発音できるからだという。凍えた唇では、ポチやタマとは言えない。 ためしに薄く口を開いて口を動かさずにフチといってみてほしい。 フチは、羆を見つけ、作者が追いつくまで、羆をその場にとどめておく役だ。 羆に噛み付いてはいけないし、自分がやっつけられてはいけない。 羆に逃げられたらもっといけない。山奥の道のないような茂みや崖で、羆の周りを走り周り、逃げ道をなくしながら、忍耐強く作者が追いつくのを待つ。作者が追いつく気配で、より一層激しくほえる。羆を鳴き声でまどわし、猟師が近づいていることに気づせないためにだ。賢い犬だ。 フチは、老いて腫瘍ができやがてひとりで静かに死んでいく。 この本は、フチという犬との感動の人生物語だ。 50年ほど前まで、作者の周りの日本の熊は生きた鮭を食べる習慣はなかったという。 飛び跳ねるサケやマスをくわえた熊を撮りたい写真家が餌付けし、生きたサケを食べるのが熊の文化となったのだという。
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「くまうち」を読んでいると思っていて,よくよく見ると「ひぐまうち」:1947年生まれの現在は牧場主兼羆撃ち猟師でローマ字を読んで「くまうち」と読ませると再認識〜小樽に生まれ,銃猟が好きだった父の影響で大学生の時に免許を取り,山での暮らしを選択した。小樽周辺では鹿を撃ち,標津に羆が...
「くまうち」を読んでいると思っていて,よくよく見ると「ひぐまうち」:1947年生まれの現在は牧場主兼羆撃ち猟師でローマ字を読んで「くまうち」と読ませると再認識〜小樽に生まれ,銃猟が好きだった父の影響で大学生の時に免許を取り,山での暮らしを選択した。小樽周辺では鹿を撃ち,標津に羆が出没すると聞いて勇んで行く。アイヌ犬のフツを手に入れて,訓練を施してからは楽になったが,犬と離れるのは引き裂かれる思いだが,アメリカのハンタースクールで,優秀な成績を残して,ガイドの資格と仕事を得たが,戻る約束をしてビザが切れて北海道に帰ると,犬と共に獲物を求めるのが本当の猟師の姿だと認識を新たにし,標津に空き牧場があるからと誘われて行くと牛の世話に追われて碌に山にも入れない。フツの仔が取れたら猟が楽になると思い,牡犬を飼う決心をするが,じゃれ合っていた時の怪我が原因か,フツの鼻にポリープができ,躰の一部と化していたフツを失ってしまう。自然を貪ろうとする気持ちがあったのだ〜その後,一人で入山して羆を撃てるようになり,漫画家の女性と結婚し,娘が二人出来て,その娘達を鹿猟には連れて行くようになって,ドキュメンタリー番組として草原の暮らしが紹介された。牛の出産を待つ牛舎で子どもの頃からの思い出を大学ノートに書きため,妻の薦めで刊行の運びとなったが,2006年妻は先だった・・・という不思議な体験もしているし,九死に一生も得ている。波瀾万丈の人生で,羨ましいよな,自分には絶対無理と突き放したくなるような,矛盾が生じる。相棒・愛犬との出会いと別れ。獲物と対峙する人の中の野性。彼のような生業はアメリカではマウンテンマンと呼び,ハンターとは云わないそうだ。いや,良い本と出逢いました
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