マンガは哲学する の商品レビュー
マンガに込められたメッセージの深さにただただ驚かされました。特に、萩尾望都や竹宮惠子など「花の24年組」と呼ばれる世代の少女マンガは、様々なメッセージを含んでいたり、様々な解釈ができたりと、感動の連続でした。この本に実際に出てきた作品だけでなく、他のマンガについても考察を巡らせて...
マンガに込められたメッセージの深さにただただ驚かされました。特に、萩尾望都や竹宮惠子など「花の24年組」と呼ばれる世代の少女マンガは、様々なメッセージを含んでいたり、様々な解釈ができたりと、感動の連続でした。この本に実際に出てきた作品だけでなく、他のマンガについても考察を巡らせてみたいという知的欲求に駆られました。ただ、一つ一つの作品分析をもう少し厚くした方が良かったかなと思います。
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これまたどっかの入試問題。前書きにもあるが、マンガを基にした哲学入門書。マンガでしか表現できないことを利用して、私とは、時間とは、死とは、倫理とはといった問いを探求していく。とてもわかりやすいが考えさせられることも多く、すごく充実した一冊だった。
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マンガでしか表現しえない哲学的命題がある、 というテーマ設定のもと、90年代後半あたりのマンガを中心に、 哲学的論考を展開している。 さすがに本職の哲学者が著した書籍、 タイトルほどライトではなく、相応に骨太の感はある。 興味深かったのは楳図かずお「漂流教室」。 同作のように...
マンガでしか表現しえない哲学的命題がある、 というテーマ設定のもと、90年代後半あたりのマンガを中心に、 哲学的論考を展開している。 さすがに本職の哲学者が著した書籍、 タイトルほどライトではなく、相応に骨太の感はある。 興味深かったのは楳図かずお「漂流教室」。 同作のように、社会環境が崩壊した時、これまでの倫理観は通用しない。 だが、これまで以上に倫理によるルールは必要となる。 その時に必要なのは、倫理や道徳の本質への洞察。 何を実現するための倫理なのか、水準の変更が求められる、と指摘する。 社会構造論的にも面白い論考。
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帯の「マンガでしか描けない哲学の問題があるッ!」 この言葉に興『味』をそそられ読んでみましたァンッ! 最終章の最後の項目が個人的にズシンときましたァンッ! 自分の存在意義に関する様々な解釈が各章で展開され、 最後に展開される「私は何のために生まれてきたの?」という問いッ! 吉...
帯の「マンガでしか描けない哲学の問題があるッ!」 この言葉に興『味』をそそられ読んでみましたァンッ! 最終章の最後の項目が個人的にズシンときましたァンッ! 自分の存在意義に関する様々な解釈が各章で展開され、 最後に展開される「私は何のために生まれてきたの?」という問いッ! 吉良吉影の思考は哲学をディ・モールトえるッ!ッ! ※ジョジョ語風味に変換しています※
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マンガのセレクションがすばらしい。といっても、内容自体は哲学メインである。ある種の哲学性をもった作品にばかり触れている。だが、永井の哲学というのは、生きた哲学である。つまり、知識をひけらかすようなそういった意味合いでの哲学では決してない。そうではなくて、自然とわいた疑問に答えよう...
マンガのセレクションがすばらしい。といっても、内容自体は哲学メインである。ある種の哲学性をもった作品にばかり触れている。だが、永井の哲学というのは、生きた哲学である。つまり、知識をひけらかすようなそういった意味合いでの哲学では決してない。そうではなくて、自然とわいた疑問に答えようとするもの、いや、それよりも、自然とわいた「問い」そのものである。芸術家全般はやはり感性が優れている。それは知識によって死していないものだ。だから、感じたものを表現しようとするのだけれど、それは往々にして問いになることが多いのだろう。そして、自分なりにその問いへと答えを与えようとする。といった観点から漫画を読むと非常に面白いのだが、どうにも、エンターテイメント性を追求したものばかり読んでいたので、そういったある種の芸術性をかねた漫画というものにあまり触れられていない。漫画を読むことをやめてしまったのも、もしかすればそういった面があるのかもしれない。 ■世界を<中心化された世界>として見る。それは、<わたし>に対して、である。ちなみに、どこからどこまで同じであれば、わたしは<わたし>たりえるか?と考えると、これは実は否定される。どこからどこまで一緒でも、わたしは<わたし>たりえない。一緒だから<わたし>であるのではなくて、ただ、<わたし>であるだけなのだ。ちなみに、<いま>も同様に考えられる。どうすれば、いまが<このいま>たりえるのか?と考えれば、どこからどこまで一緒と考えてもやはり同じにはならないのだ。結局、<このいま>こそが<いま>であるとしかいえないのである。とくるのが、永井の中心思想、あるいは、哲学観である。だが、永井は、この次元<>を乗り越えたとあとがきに書いてある。その意味がいまいちわからないのだが、自分なりに考えるとこういうことになるだろうか? 我々が、<世界>と言うものを考えたとしても、それは、我々が考えた<世界>でしかない。つまり、<我々のうちにある世界>でしかない。だが、いわゆる<共通世界>なるものが存在するには、我々は我々の外部に出なければならないのではないか?さもなければ、共通世界といっても、それは<わたしのうちにある共通世界>でしかなくなる。そして、我々が外部に出られるとすれば、つまり、<わたし>も<世界>も全て虚構によって構成されることとなる。それならば、もはや、<>は必要ない。わたしはわたしであり、世界は世界なのである、といった具合だろうか?永井の、本著以降の著作に触れてまた考えをめぐらしてみたい。
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最初の「日本のマンガは新しい芸術表現を生み出しているのではないか」という言葉に痺れました。確かに、その通りだと思います。
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漫画のチョイスが偏っている気がするが、一読すると哲学の面白さに触れることができる。漫画という親しみやすい入り口がよい。
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非常に面白かった! 翌日に試験があるにも関わらず、言語認識論の勉強に飽きて手を出した本だったが、ついに1日で全て読み切ってしまった。 哲学者としての永井均が問題とする、「私」という存在を中心に、様々な問いがマンガとともに紹介されている。 しかし、哲学を勉強していると性格が暗...
非常に面白かった! 翌日に試験があるにも関わらず、言語認識論の勉強に飽きて手を出した本だったが、ついに1日で全て読み切ってしまった。 哲学者としての永井均が問題とする、「私」という存在を中心に、様々な問いがマンガとともに紹介されている。 しかし、哲学を勉強していると性格が暗くなってくる…。
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つまらん。 うーん、結局この人のお話のつまらなさというのは、話の内容よりも、「哲学しているオレって賢い」オーラからきている気もします。 人間としての品性みたいなもんか?まぁ、人の事は、言えんけど……。 特に、他の哲学している人間に対する敵意みたいなのは、なんか、ビビっているか...
つまらん。 うーん、結局この人のお話のつまらなさというのは、話の内容よりも、「哲学しているオレって賢い」オーラからきている気もします。 人間としての品性みたいなもんか?まぁ、人の事は、言えんけど……。 特に、他の哲学している人間に対する敵意みたいなのは、なんか、ビビっているからかと疑ってしまう。もしかすると、そういう部分がなかったら、おもしろかったのかも。 まぁ、もしかすると、わたしの頭が悪いから、書かれている内容が理解できないためにそう感じるだけかもしれません。 でも、こういう本や、マンガの読み方は、あんまり好きではないです。 それでも、「鉄コン筋クリート」は、読んでみたくなりました。
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あえて踏み込みが浅くしてあるが、それがかえっていい味というか、言及元の漫画を読んでみようという気にさせられる。 そして漫画を読んでみると、永井先生のキレキレっぷりに驚嘆させられる。 永井先生の本は、何事に対しても素手で立ち向かっている感じがして、いいなぁ。
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