精霊たちの家 の商品レビュー
230705*読了 ついに!池澤夏樹さん編纂の世界文学全集30巻を読破! やりたいことリストにずっと書いていたことを一つ達成できた。今、達成感に満ちあふれている。 「百年の孤独」に似ている、女版ガルシアマルケスなんて言われているようだけれど、そうは感じなかった。確かに精霊が飛ん...
230705*読了 ついに!池澤夏樹さん編纂の世界文学全集30巻を読破! やりたいことリストにずっと書いていたことを一つ達成できた。今、達成感に満ちあふれている。 「百年の孤独」に似ている、女版ガルシアマルケスなんて言われているようだけれど、そうは感じなかった。確かに精霊が飛んでいるなんて表現は、「百年の孤独」にも感じられる幻想、突飛さと類するところはあるが…。 三世代にわたる女性の物語とわたしは感じている。 そこにずっといて、一人語りまで織り込まれているのは、夫であり、父であり、祖父であった男性というのもおもしろい。 ラテンアメリカって日本人からすると本当に未知の国で、しかも革命だのクーデターだのの様子だったり、アルバも巻き込まれてしまった残虐な拷問なんてもう想像もつかない。 もし自分がその時代、その場にいたらと思うと恐ろしくて仕方がない。 そんな中でジャーナリストとして活動したり、小説を書こうとするその情熱。女性であることって絶対に不利な面もあるのに、それでも熱い気持ちを絶やさずに言葉を紡ぎ続ける強さ。 それがとてもかっこいい。 女性の人生を描く物語が好きなので、そういう意味でもこの小説も作家さんも好き。 邦訳は出ていないっぽいのだけれど、エッセイも読んでみたいなぁ。 ラストを飾ったのがこの小説だったことにも、意味を感じてしまって。希望をもらえた気がしている。
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物語世界に非現実的事象と現実が共存している「マジック・リアリズム」の手法も共通しているが、『精霊たちの家』において印象的なのは、馬ほどある大きな犬や緑の髪の美女など、どんな非現実的存在の描写にしても必ず生々しく、肉感的であるところだろう。 炭鉱夫から富農に、そして政治家にまでのし上がったエステーバン・トゥルエバ。物語は彼の人生を縦糸に、その妻クラーラと娘ブランカ、孫娘アルバの人生を横糸に織りなされる。それは一族の歴史のタペストリであり、アジェンデの叔父が大統領を務めた母国チリの現実の投影でもある。 登場人物中、最も魅力を感じさせるのがクラーラだ。いつも夢見心地で、幼い頃から手を触れずに物を動かしたり、予言をするなどの超能力を発揮。精霊と話すこともできる浮世離れした女性だ。夫の農場が地震で大打撃を被ると、しっかり者のお母さんに変身する柔軟性もある。だが危険が過ぎるとまたうっとり、ぼんやりの日々。 やがて台頭してきた社会主義の波はエステーバンの農場にも押し寄せる。その先鋒となる農場の青年とブランカの恋は破綻。二人の愛の結晶・アルバが成長した頃には、一族の守り神のような存在だったクラーラは既にない。クーデターにより政権を握った軍部が暴政を敷く中、ゲリラの若者を愛したアルバの選んだ道は……。 クラーラからブランカ、アルバへと世代が移るに従って、一族を取り巻く神秘と不思議の色は薄まり、酷薄な現実の血の色に取って変わられる。それでも生命は彼女たちの胎に宿り、一族の誰かの何がしかを連綿とその身に受け継いでゆく。その繋がりにこそ作者は最大の神秘を見出しているのかもしれない。だとすればタイトルの『精霊たちの家』とは、女性そのものであるとも言えるのではないだろうか。 編者の池澤夏樹は、世界文学全集の一冊としてこの作品を選んだ理由に「(前略)一族の大きな物語は、読み始めたら最後のページまで進むしかない」と記す。その言葉通り、読み出したら止まらない吸引力をもった小説だ。
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パールバックの「大地」の様な歴史大作。チリを舞台に19世紀末からチリクーデターの起こった1973年までを描いた物語。その中にクラーラの精霊と会話する不思議な能力の話も散りばめられて、物語を彩っている。 日常をノートに書き留めたり、振り子を文字の上で振って意思疎通を図ったり、夢占...
パールバックの「大地」の様な歴史大作。チリを舞台に19世紀末からチリクーデターの起こった1973年までを描いた物語。その中にクラーラの精霊と会話する不思議な能力の話も散りばめられて、物語を彩っている。 日常をノートに書き留めたり、振り子を文字の上で振って意思疎通を図ったり、夢占いをしたり、何時間も三脚椅子でYES、NOを聞いたりする。 ノートに綴る理由として… 人間の記憶というのは儚いもので、人生は短くあっという間に過ぎ去ってしまう、だから私達は様々な事件を結び付けている関係を読み取ることが出来ず、行為の結果を推し量ることも出来ない。現在過去未来といった時間の虚構を信じているが、この世界においてあらゆる事が同時に起こる事もあり得るのだ。人間の記憶がいかにあやふやなものであるか知った上で、事態を真実の相の元でしっかり見つめようとしたからに他ならない。 3.5センチの厚み分の大河ドラマ。 人称が時々入れ替わる理由も、最後になるにつれて謎解きされる。
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読み終わりたくないので本が厚くてよかった、なんて思うことは滅多にあるもんじゃない。 チリ激動の100年が著者の実体験とともに描かれる壮大なサーガ。
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初めて読了が参加条件の読書会に参加。 その課題本。 ラテンアメリカ文学、チリの話。 マジックとリアリズムの間。 女の系譜の上に物語が進められる。 ローサという稀代の美女から話は始まり、その妹クラーラからブランカへ、そしてアルバへ。家を舞台に。 なぜ、クラーラは、エステーバン・トゥ...
初めて読了が参加条件の読書会に参加。 その課題本。 ラテンアメリカ文学、チリの話。 マジックとリアリズムの間。 女の系譜の上に物語が進められる。 ローサという稀代の美女から話は始まり、その妹クラーラからブランカへ、そしてアルバへ。家を舞台に。 なぜ、クラーラは、エステーバン・トゥルエバと結婚したのか。 後に、第二次世界大戦後のチリの現実がでてくる。 パブロ・ネルーダ詩人とサルバトーレ・アジェンデ大統領もあの人という形で登場する。 三万人が殺され、数十万人が強制収容所に送られ、国民の10%が亡命したチリの事件を身近に描くために、アルバの2代前から 話は進む。 個人的には、禁欲的で倹約家なハイメに憧れるので彼の死が辛かったな。
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最後は胸がじんわり熱くなる感覚を久々に受けた、素敵な作品。 『百年の孤独』と比較されるのはしかたがない。あれだけの傑作のあとでは、設定が似通っていれば、類似品扱いになってしまうのだ。 個人的には「百年の孤独プラス嵐が丘みたいかな」とは思ったが。 誉め言葉です(念のため・笑) ど...
最後は胸がじんわり熱くなる感覚を久々に受けた、素敵な作品。 『百年の孤独』と比較されるのはしかたがない。あれだけの傑作のあとでは、設定が似通っていれば、類似品扱いになってしまうのだ。 個人的には「百年の孤独プラス嵐が丘みたいかな」とは思ったが。 誉め言葉です(念のため・笑) どちらも大好きな作品なのだ。 文章から受けるのは『百年の孤独』は硬質で『精霊たちの家』はやわらかいタッチ。 お話の内容は、非現実的な出来事に取り囲まれながら描かれる、一族の栄枯盛衰。 “語り”の力に改めてひきこまれる。 無機質な書き方をされると「単なる作り話」になるのに、語りの形式で書かれるとなぜかすんなり入り込める。 これが文章の力なんだろう。 日本の昔話でも同じで たとえばかぐや姫。 科学的・理屈っぽく考えれば 竹を割ったら女の子が出てきた… って、どうやったら竹の中で受精するんだよ? 胎児の栄養補給はどうなっていたのか? 五人の貴公子が来たときも、会話が成り立つってことは、かぐや姫とその一家はバイリンガルなのか?何語で会話してたんだ? みたいに、突っ込みどころ満載すぎる(笑) だが語りとなると、聞いてる(読んでる)方は、なぜかそんな疑問は抱かず、そのまま受け入れる。 日本語なら『むかぁ~し、昔、あるところに…』って言われると、脳内で、語り受け入れスイッチがonになるのかなぁ、と思っているが。 海外文学でも同じで、こうゆう語りの形式のものを読むと、小説の深さ、語りの形式が作り出す“物を語る力”を改めて大きく感じさせてくれる。 やっぱり語りの文学、大好きだ。
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実在する具体的な地名は出てこないが、アジェンデの出身地であるチリを舞台、あるいはモデルにしていることは間違いない。 物語の中心は、地主エステーバン・トゥルエバ(後に国会議員となる)と、クラーラ、ブランカ、アルバという母系一族だ。トゥルエバとクラーラは夫婦で、ブランカは二人の娘、...
実在する具体的な地名は出てこないが、アジェンデの出身地であるチリを舞台、あるいはモデルにしていることは間違いない。 物語の中心は、地主エステーバン・トゥルエバ(後に国会議員となる)と、クラーラ、ブランカ、アルバという母系一族だ。トゥルエバとクラーラは夫婦で、ブランカは二人の娘、アルバは孫にあたる。 この家族がこの小説の核になるが、「家族の血縁=愛」という単純でチープな図式ではなく、フォークナーの『響きと怒り』のような血縁が生む憎悪だけを描いたような作品でもない。『精霊たちの家』は家族、そして周囲の同胞、縁者が愛と憎しみを生み、それらを交錯させる。 ラテン・アメリカには、様々な混血人種がいて、人種表す言葉が百近く(多くの言葉は日本語には存在せず、翻訳不能)あると言われる。インディオ・黒人・白人・アジア移民の血が複雑に交じり合った人々が住む場所、それがラテン・アメリカだ。そこを舞台にした小説らしく、愛と憎悪を複雑に絡み合い、どんな物語なのかうまく説明できないけれども、読み終えたとき、とにかく面白かった、圧倒させた、という読後感が生まれる。 愛と憎悪を激しく絡み合う舞台は何もラテン・アメリカに限ったことではない。現代日本でも、「肉親」であれ、何かの「共同体」であれ、衝突が全く起きないことはないし、その結果、対立し、憎悪が生まれることもある。しかし、同じように、「血縁」や「共同体」によって我々は救われる。「愛=プラス」「憎悪=マイナス」の結果、ゼロになるわけではなく、この小説のエピローグに記されているように、「それぞれの断片が収まるはずのジグソーパズル」となり、「それぞれの断片が意味を持ち、全体としては調和のとれたもの」となる。憎悪を嫌う故、対立を避ける「事なかれ主義」よりも、時間がかかったとしても「ジグソーパズル」を創る方がずっといい。我々は繋がりによって、時に忌み嫌い憎しみ合う。でも、繋がりによって救われることの方がずっと多いと思う。 ミラン・クンデラは、彼の著書『出会い』の中で、西洋の偉大な古典小説の主人公には子供がいないと指摘している。小説は主人公を中心に回り、彼(あるいは彼女)の人生を物語の中で完結される。だから、主人公に子供がいないのだと。もし、主人公に子供がいれば、親の意思なり人生なりを引き伸ばし、小説を読者が読み終えてもなお、主人公は別の形で生き続けることになる。 一方、ラテン・アメリカ文学(そして、それに影響された現代文学)が教えてくれることは、「注意の中心はもはや個人ではなくなり、諸個人の行列になってしまう。彼らは全員独特であり、模倣しがたいが、しかし彼らひとりひとりは、川のさざ波に映る太陽さながら、束の間の輝きにすぎない」ということ、つまり、「万物の基本」としての個人とはひとつの幻想にすぎないということだ。 数多いラテン・アメリカ文学の中でも一際輝く傑作である。
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ガルシア=マルケスの『百年の孤独』との類似を論じた評が多いが、『百年の孤独』以後にこの手の物語を書けば、そう言われても仕方あるまい。ただ、首都にある「角の家」の中を歩き回る精霊たちや浮遊する椅子、床を叩いてお告げをする三本脚の机などのアイテムは、ラテン・アメリカというよりもゴシック・ロマンスでお馴染みの愛嬌者たちであって、土俗的な匂いの強いガルシア=マルケスの世界とは微妙に異なる。 語り口もちがう。『百年の孤独』の文体がその後頻繁に叫ばれるようになった「マジック・リアリズム」という名で呼ばれたのは、不思議極まりない出来事を当たり前のように物語るその筆法にあった。『精霊たちの家』の文体はむしろ古典的な物語の文体である。語り手は、椅子ごと浮遊するクラーラの能力を異常なものとして認識しているし、当の本人も「この家の人はみなどことなくおかしい」ことを知っている。つまり、周囲はすべて尋常であるのに、この一家の者だけが異常なのだ。 とはいえ、とても面白い作品であることはまちがいない。何より読みやすい。度々比較するのは作者に失礼だが、『百年の孤独』と比べて奇想のスケールがほどよく、読者がついて行きやすいのだ。物語は国会議員エステーバン・トゥルエバの回想ではじまり、孫娘のアルバの手記で幕を下ろす。主たる登場人物は二人の他にエステーバン・トゥルエバの妻クラーラ、その娘ブランカ、そして双子の兄弟ハイメとニコラス。この物語は老国会議員の回想記の体裁で書かれたクラーラ、ブランカ、アルバという女たちの三代記である。 「マジック・リアリズム」的色彩が強いのは、幼いクラーラの叔父マルコスの遺体が運ばれてくる冒頭部分。『百年の孤独』のメルキアデスを髣髴とさせるこの叔父の聞かせる話やトランクの中に入った神秘的な書物を日々の糧として育ったクラーラは精霊と話ができ未来を予言する能力を持った子どもだった。姉の死後、その許婚であったエステーバン・トゥルエバと結婚したクラーラは日々の出来事をノートに綴る。この物語の素材の多くはクラーラの書きとめた逸話である。今ひとつは話者であるエステーバン・トゥルエバ自身の回想、さらには後にこの物語を仕上げるアルバ自身の記憶。 クラーラというヒロインが魅力に溢れている。美しいだけでなく慈愛に溢れ、誰からも愛されている。しかも主婦としての実務的能力は皆無ときている。精力絶倫でかっとなると銀の握りのステッキを振り回し、あたる物を片端から打ち壊す恐ろしい権力者であるエステーバン・トゥルエバもこの妻にはかなわない。ごりごりの保守主義者ながら努力家でもあるエステーバン・トゥルエバは資産家となり、政治にも手を出す。舞台はチリ。思い出す人もおられようか。社会主義を奉じたアジェンデ政権がアメリカの支援を受けたピノチェト将軍の軍事クウデターによって倒されたあの事件を。 『精霊たちの家』を書いたイサベル・アジェンデは、その、サルバドール・アジェンデ大統領の姪にあたる。クラーラという女主人の存命中は、精霊たちの守護により、幸福感に溢れた一家であったが、クラーラの死とともに政治の季節を迎える。アルバの兄姉とその恋人は、社会主義や共産主義の運動に身を投じ、一家はイデオロギーの対立に翻弄される。クウデター下の虐殺、拷問を描く筆はマジックぬきのリアリズム。前半部分の幸福感を知っているだけに読者は対比的な後半部に胸塞がれる思いを抱くであろう。 エステーバン・トゥルエバがインディオの娘を強姦して産ませた庶子の子、エステーバン・ガルシア大佐は、総じて善意の集団である一家の負の遺産として登場する。フォークナーやドストエフスキーの作中人物を髣髴させるこの男の造型はクラーラ(光)に対する闇であり、天上的な世界に対する地上的な世界でもある。この対比は物語を劇的なものに変化させるだけでなく、文学的虚構をリアルポリティクスに限りなく接近させる。読者はラテン・アメリカ世界の持つ豊潤な文学的香気とともに苛酷な政治状況を否応なく突きつけられ、自分の生きる姿勢さえ問いつめられていることに気づかせられる。そういう意味では読後に一抹の苦味が残る。ジャーナリストでもある作家の一面がそこにある。訳者は木村榮一。極端に改行の少ない文章をよどみなく読ませる見事な訳である。
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クラーラちゃんを自分たちの小さな神様にしてしまう旦那さんや旦那さんのお姉さんの危うい信仰と崇拝がいい。すっごくいいです。 ラテンアメリカ文学特有の乾いた大地と、男の泥臭い汗と、太陽に焼けた女の肌の感じは、日本文学のジメッとした湿気とは好対照だと思いました。
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最初はこんな分厚い小説、 読み終わるのかなってちょっと心配した。 読み始めると早く先が読みたいけど、 この物語が終わってしまうのが惜しく 読むのがもったいないと思った。 そんな風に葛藤をしながら読んだ。 それほどまでに面白く、この物語の世界に ずっとどっぷり浸かって...
最初はこんな分厚い小説、 読み終わるのかなってちょっと心配した。 読み始めると早く先が読みたいけど、 この物語が終わってしまうのが惜しく 読むのがもったいないと思った。 そんな風に葛藤をしながら読んだ。 それほどまでに面白く、この物語の世界に ずっとどっぷり浸かっていたいと思わせる本だった。 不思議な予知能力をもつ美少女クラーラが 毒殺された姉の解剖現場を目撃して9年間 言葉をしゃべらなくなり、やっとしゃべった言葉は 姉の婚約者だった男と結婚するという意志表明。 そこからその男エステーバン・トゥエルバとクラーラ、 クラーラの娘ブランカ、そして孫娘アルバと それを取り巻く魅力的な人々の壮大な物語が始まる。 クラーラは精霊たちや霊魂などと 交流ができたり、予知能力をがあったり 不思議な力を持っていた。 でも非科学的なことを書き連ねている小説ではなく そういう部分も否定せずに、すべて一連の物語という 感じで書かれていて、すべてが現実的で面白かった。 自分は現実派で精霊や霊魂など信じていないけど 何もかも科学で解明されている現代よりも クラーラが生きていた時代は精霊たちだっていたんじゃ ないかって思いながら読んだ。 後半からはチリの政治的な事件がたくさん起こって ハラハラドキドキ、アルバはどうなるのか? エステーバンはアルバを救えるのか、物語から目が 離せなかった。久し振りにぐぐっと入り込める小説だった。
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