街場の教育論 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この本を読んで、教えること・学ぶこととはどういうことなのかについて視界が開けました。 彼らが大学に求めているのは「巻き込まれる」ことなんです。(p52) やっぱり学ぶことは一人ではできないんですね。 手元においてたびたび読み返したい本です。
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学士力の涵養や自己の能力を伸ばすためのヒントとなる 書籍類、職業選択や人生設計に必要な資料を集めています。 *このカテゴリの本はすべて中央館2階のアメニティコーナーに 配架しています。 *貸出状況についてはこちらから確認下さい。 貸出中のときは予約もでき...
学士力の涵養や自己の能力を伸ばすためのヒントとなる 書籍類、職業選択や人生設計に必要な資料を集めています。 *このカテゴリの本はすべて中央館2階のアメニティコーナーに 配架しています。 *貸出状況についてはこちらから確認下さい。 貸出中のときは予約もできます♪ (鹿大の蔵書検索画面にとびます) 〔所蔵情報〕⇒ http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/xc/search?keys=11111040014
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ここ最近教育という言葉や制度の中身を聞くと「なんだかなんというか嫌だなぁ」とか「説明出来ないけど大切なことってそれなのかなぁ」と腑に落ちないでいたところを丁寧に拾ってくれたと感じた。 教育というのはビジネス志向なんかよりもずっと以前からあるもので、とても有機的な対話で守られた繋が...
ここ最近教育という言葉や制度の中身を聞くと「なんだかなんというか嫌だなぁ」とか「説明出来ないけど大切なことってそれなのかなぁ」と腑に落ちないでいたところを丁寧に拾ってくれたと感じた。 教育というのはビジネス志向なんかよりもずっと以前からあるもので、とても有機的な対話で守られた繋がりの場なんだなあと再確認。 日本語の音感については少々意外だったので、筆者があげた昭和期の文豪作品を改めて読み直したいと思う。
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(以下引用) みなさんが載っている自動車がの調子が悪いときに「運転したまま修理したい」と言うことはありませんね。誰だって、調子がわるいときには、エンジンを止めて修理工場に託します。その間は仕方ないから電車やバスで通勤します。しかし教育制度については「そういうこと」はできません。教...
(以下引用) みなさんが載っている自動車がの調子が悪いときに「運転したまま修理したい」と言うことはありませんね。誰だって、調子がわるいときには、エンジンを止めて修理工場に託します。その間は仕方ないから電車やバスで通勤します。しかし教育制度については「そういうこと」はできません。教育制度を改革するというのは「故障している自動車に乗ったまま、胡椒を修理する」というアクロバシーを意味します。それがわかっていれば、教育改革というのが、どれくらい困難でかつデリケートな操作を要するものであるか、想像がつきますでしょう。(P.15) (PTAという組織は)19世紀末のアメリカに発生した特異な組織で、アメリカ以外の国にはほとんど類似の組織を見ることはありません。日本にPTAができたのはGHQの強い指導によるものです。GHQがPTAの創設を強く求めたのはなぜでしょう。論理的に考えれば、軍国主義教育を担った教師たちが引き続き教壇に立つ(そして今度は日教組の影響下にある)という状況の中で、「教師のイデオロギー的逸脱を父母が監視する」ということの有効性を重く見たからでしょう。(中略)「義務教育」というのは子どもを親の真剣の及ぶ範囲から遠ざけるということが第一義であるという教育史的な「常識」は、日本とアメリカ以外の国々にはまざ通用しているのでしょう。(P.38) 他の専門家とコラボレートできること。それが専門家の定義です。他の専門家とコラボレートできるためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければいけない。(中略)専門領域というのは「符丁で話が通じる世界」であり、そこで専門家が育てられる。しかし「符丁が通じない相手」とのコミュニケーションができなければ、専門家は何の役にも立たない。(P.92) 競争を通じて学力向上を果たそうという教育戦略は、結果的に全員が全員の足を引っ張り合うという『蜘蛛の糸』的状況に行き着きます。(P.107) 子どもに必要なのは、要するに親の育児戦略と違う仕方で子どもを葛藤させる人なんですから、1つのタイプに集約できるはずがない。子どもを過保護過干渉で育てている親と葛藤させるためには、「子どもなんてほっとけばいいんだ」と考えている先生が似つかわしい。子どもを放任して、基本的なケアさえ怠るような親と葛藤させるためには「小ドニには手厚いケアと、支援が必要だ」と考えている先生が必要です。子どもを競争で勝ち抜かせて、格差社会の上位に格付けさせたいと願っている親と葛藤させるためには「人間の価値は金や地位では測れやしない」と信じている先生がいい。(P.137) 「ファシリテイトする」というのは「仕切る」とは違いますよ。むしろ「受ける」のです。誰も理解できないジョークにもにっこり笑ってあげるとか、そういうことです。(P.213) ミスはジョブの外側にある。だから誰か最初に気づいた人がそれを「あ、オレがやっときます」と言って処理すればそれで終わる。そのわずかによけいな仕事を忌避するか受け容れるかが、共同体の存亡を決定する。でもその人のその貢献は誰も知りません(本人も組織を救ったことを知りません)。そのような誰にも評価されないし、本人も評価を求めない「ジョブ外」のよけいな仕事を誰かがいつの間にか片付けているかどうかが、実は組織にとって死活的に重要なのです。(P.221)
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なぜか内田樹作品は毎回読み終わってからブグログ登録するまでに間が空いてしまって、内容の8割忘れてるのだけど・・・ (忘れているって言っても、本の構成とか文言とかがどんなだったか忘れるというだけの話です。 水のような・・・ではあるけれども、浅はかで読んだ端から抜けていくという内容と...
なぜか内田樹作品は毎回読み終わってからブグログ登録するまでに間が空いてしまって、内容の8割忘れてるのだけど・・・ (忘れているって言っても、本の構成とか文言とかがどんなだったか忘れるというだけの話です。 水のような・・・ではあるけれども、浅はかで読んだ端から抜けていくという内容というのではありません) 内田樹さんというのは小題を付けるのが本当に巧いと思うのだけど、 第1講 教育論の落とし穴 でまず、 「教育は惰性の強い制度である」/「教育の根本的改革は不可能である」 という認識を示す。 (このタイトル見ただけで、主張しようというところが何となく見えるでしょう?) (現在、絶えず批判されている不出来な教員も含めた)教員たちという、 「手持ちの人的資源」を側面支援して、「生成的な労働環境を作り出す」。 教育は一時中断して「新品と取り換えること」は不可能。 走りながら改革していくことしかできない困難な事業である。 というから、後書きにあるようにこの本の目的は「学校の先生たちが元気になるような本」を書こうということにあったということでした。はい。 前半(第2~第4、5講)は、教育へビジネスの原理を導入することの限界を。 第5、6講~は「(高等)専門教育」のあるべき姿~キャリア教育についてなど。 またより個々にいじめや国語教育、宗教教育についての議論。 今回面白かったのは、 抽象的な話としては「メンター」とブレークスルーの話(第3章・第6章)。 橋本治との対談でもあったけれども、「教える」なんてことはできない。 ただ「学ぶ」姿、姿勢というのがどういうものなのかを示してあげるくらいしかできないんじゃないの?というような話に関連して。 学生が「キャンパス」という場に期待するのは、 よくわからない世界へ「巻き込まれる(INVOLVEMENT)」という経験そのものえはないのか、と。 離陸、もしくはブレイクスルー(take-off)としての「学び」。 「自分のいる世界とは違うところに叡智の境位がある。それを実感しさえすれば、「学び」は起動する。あとは、自分で学ぶ」 当たり前っちゃ当たり前だけど、立ち戻るべき(これはある種の)教訓として。 もう少し具体的な話として、キャリア教育/専門・教養教育について。 専門というのは「身内のパーティー」。それ自体は必要。 ただ学問的な生産力というのは「内輪」から外れていくところにしか生まれない。 (ようは学問境界を越えるようなコラボレーション/コミュニケーションの上にしか新しい知見は生まれないってだけの話なんだけど) 「他の専門家とコラボレートできること。それが専門家の定義」。 そのためには、「自分がどのような領域の専門家であって、それがほかの領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解」させられる能力が必要。 本来の(「教養教育」を含む)高等教育って、 (専門という内輪の知識を付けるってだけじゃなくて)そういう能力の醸成までを意味したところじゃなきゃいけないよね?って話。 安定の安定の安定した内田樹くおりてぃー本でした。
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専門職として、共感するところがあり、また襟を正された。 教育への市場原理の導入では、ムラ社会や拡大家族や日本人の精神性など日本独自の文化にそぐうのかという疑問を投げかけている。福祉の社会もそうで、競争社会や利益追求社会になってしまえば、欠落してしまうものが出てくるという危惧があ...
専門職として、共感するところがあり、また襟を正された。 教育への市場原理の導入では、ムラ社会や拡大家族や日本人の精神性など日本独自の文化にそぐうのかという疑問を投げかけている。福祉の社会もそうで、競争社会や利益追求社会になってしまえば、欠落してしまうものが出てくるという危惧がある。 専門職とは「実はほかの専門家と共同作業をしないと何の役にも立たない」「その代わり『合体』すると爆発的なパフォーマンスを発揮する」。マクロの世界を知り、その専門家とは違う見かたがあって初めて自らが成り立つものだということを認識しなければならない。そして、他職種にとっても有効性があるということも同時に認識しなければならないのでは。 そこに人がいて、継続的にかかわるニーズがある限り、走ってるクルマを修理するよう急な変革は困難である。しかし教育も福祉も時代の変化とともに変革のバランスが重要なことだと思う。 一番共感したことは著者はあとがきでも書かれていた言葉「とにかく『学校の先生たちが元気になるような本』を書こう」という想い。元気で創意工夫できて前向きな現場の力がそれぞれあれば、自然と変わっていくこともあるということでは。現場が耕し続けられ、肯定感を持って仕事ができていくことが大切なんだなと再認識した。
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最近、内田先生のお話を聴く機会が多くあるので、 『先生はえらい』以来の著書の拝読。 内田先生がおっしゃる、 「教育のことは現場にすべて任せて、外からは何も言ってくれるな」 というのが、ホントその通りだと思うし、 そのことを講義録という形でわかりやすく書かれていたと思う。 でも...
最近、内田先生のお話を聴く機会が多くあるので、 『先生はえらい』以来の著書の拝読。 内田先生がおっしゃる、 「教育のことは現場にすべて任せて、外からは何も言ってくれるな」 というのが、ホントその通りだと思うし、 そのことを講義録という形でわかりやすく書かれていたと思う。 でもやっぱり、内田先生は本より話の方がよりわかりやすい(笑) 講演があれば聴きに行きたいなと思っているところである。 印象に残ったフレーズは、 「教員はその時代の支配的価値観と齟齬する考え方の人の方がいい」(p111) 自分自身がまさにそうだと感じているので・・・
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つい先日ミシマ社の社長の本を読んだのと、最近某市長に滅多打ちにあったということで、3年ぶりくらいに再読。ちなみに3年前は途中で読むのをやめた。 学びになるような言葉はたくさんあった。現状の分析もなるほどなーとうなずくばかり。だけれども、市長の言う通り、じゃあどうするのかという部分...
つい先日ミシマ社の社長の本を読んだのと、最近某市長に滅多打ちにあったということで、3年ぶりくらいに再読。ちなみに3年前は途中で読むのをやめた。 学びになるような言葉はたくさんあった。現状の分析もなるほどなーとうなずくばかり。だけれども、市長の言う通り、じゃあどうするのかという部分が見えてこない。何かをするには負の面がつきまとう。あれもこれも変えるにはリスクがつきまとう。だから体制は現状のまま、なるべく先生に干渉せず元気に働けるように応援すればいいって、それは違うよなぁ。
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120118 面白かった。テーマが大きいから話も決して簡単ではないけれど、内田さんの話し方やたとえがとっつきやすくて思わずくすりとするところも。小難しい話をわかりやすく伝えられる人が本当に頭の良い人なんだろうな。少し元気が出ました。
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言葉が感情を作り出すというのは前から感じていたことで、教師はぶれていてよいのだというのは考えても見なかったことで、専門家は他の専門家と連携できてこそだというのは他の人から聞いたことで。 そういう考え方もあるんだ、のオンパレードでした。
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