サブカル・ニッポンの新自由主義 の商品レビュー
サブカル民主主義 対抗文化としてのサブカルが消費社会に馴化し、批評性を失い、民主主義自体すらサブカル化 利益指向仮説 村上泰亮
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社会・経済思想における特定の立場としてのネオリベラリズムを批判するのではなく、ネオリベラリズムの言説とその対抗言説のカップリングがその上で成り立っているような社会状況の、共時的な構造を分析した本として捉えることができるように思います。 かつて多くの人が手にすることのできた安定し...
社会・経済思想における特定の立場としてのネオリベラリズムを批判するのではなく、ネオリベラリズムの言説とその対抗言説のカップリングがその上で成り立っているような社会状況の、共時的な構造を分析した本として捉えることができるように思います。 かつて多くの人が手にすることのできた安定した地位が失われた結果、一方では、既得権批判という仕方で資源の再分配を要求する言説が生まれ、他方では、そうした流動化が進んだ社会の中で不遇な立場に立たされる者たちによって、社会の流動化を推し進めるネオリベラリズムに批判的な言説が生まれることになります。本書の考察が向かうのは、こうしたネオリベラリズムをめぐる言説の布置を成り立たせている社会状況の分析です。 ただ、ちょっと引っかかったのは、本書の最後で「既得権批判」をおこなう個人の動機にまで分析のメスを入れて、その実存的な構造に迫ろうとしているところです。著者はそうした実存的な切実さが、社会科学的な分析以前のところで、人びとを動かす動機となっていることを認めているようです。「なぜ、「苦しい」ということを言うために、わざわざ社会科学的な根拠を持ち出さなければならないのか」という著者の問いかけは、理解できるものではあります(著者の学問上の師である宮台真司の、システム論的な思考の限界を乗り越えようとする意図を、そこに見ることができるかもしれません)。ただ、そうした実存的な根拠を、私たちが暮らす社会を構築するための根拠とすることができるのかという疑問を感じてしまいます。もっとも、著者は本書の最後でそのような展望を示唆しているだけで、具体的な議論をおこなっているわけではないのですが、より具体的な議論を展開していくに際して、実存としての私たちが、実存としての資格において、社会について発言することができるのか、という問いを避けることはできないような気がします。
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<まとめ> 新自由主義を若者の視点で論じる。 インターネットにより多様な生き方が並列され、理想の自由さ、幸福さを求めるが、自己責任からは逃れられない。韓国、1968年代の状況から評論水平展開・垂直展開し、若者にとっての新自由主義を考察する。 <感想> 自分も同じような年代のため...
<まとめ> 新自由主義を若者の視点で論じる。 インターネットにより多様な生き方が並列され、理想の自由さ、幸福さを求めるが、自己責任からは逃れられない。韓国、1968年代の状況から評論水平展開・垂直展開し、若者にとっての新自由主義を考察する。 <感想> 自分も同じような年代のため、共感できることもあり、共感できるからこそ、不安を覚えることもありました。TBSラジオのライフリスナーのため、鈴木謙介さんの本を一度は読みたいと思い、読みました。 若者とは言えない年齢ですが、10年後にその時代と比較しながら、再読したいと思います。
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ロストジェネレーション以降の社会動向や若者動向を、新自由主義という切り口から分析する本。 社会現象を論理的に解析しつつ議論を組み立てていくため、正直のところ読み易くない本です。 ですが、90年代以降の若者論がともすればステレオタイプ的に解釈されがちであるからこそ、あえてこのよう...
ロストジェネレーション以降の社会動向や若者動向を、新自由主義という切り口から分析する本。 社会現象を論理的に解析しつつ議論を組み立てていくため、正直のところ読み易くない本です。 ですが、90年代以降の若者論がともすればステレオタイプ的に解釈されがちであるからこそ、あえてこのように慎重かつ丁寧に分析することも求められているのではないかとも思います。 高度経済成長の終焉に伴い、市場の弱肉強食的な価値観が強化される時代であるからこそ、そこにとらわれない承認関係に基づく人間らしさが求められる…とまとめておくのが、本の論旨に比較的近いといえるのではないでしょうか。 「ウェブ社会の思想」とはうって変わり(?)、サブカルはそこまで言及されていないので、サブカル論として読むと肩すかしかな…?とは思います。 ただ、サブカル畑の人間には共有しやすい問題提起とは思うので、読んで損はないと思います。
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なんというか消化にすごく時間がかかるし、読み終わった今でも全部理解できたのかと言われれば全然そんなことはない。けれども社会にでる一歩前、大学生の自分としては、そこで論じられている既得権やら労働における疎外の感情やらを自分とは他なるものとしてとらえることになった。それがいいとか悪い...
なんというか消化にすごく時間がかかるし、読み終わった今でも全部理解できたのかと言われれば全然そんなことはない。けれども社会にでる一歩前、大学生の自分としては、そこで論じられている既得権やら労働における疎外の感情やらを自分とは他なるものとしてとらえることになった。それがいいとか悪いとかではなく、ただ今の時期に自分の幸せとか幸せに生きるとか、そういうことについて少しでも考える時間を得られたという点で読めて満足。
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唸るー最終章というか結論としておっしゃっていることは多分理解できて同意というか同じこと考えてあるなー雲泥の差の出来だけども、なるほど!と思えたのですが、そこに至るまでの論がなかなか消化不良というかわかりませんせんせいいここわかりませんの連続でした。 明言や断言を避けてとにかく掘り...
唸るー最終章というか結論としておっしゃっていることは多分理解できて同意というか同じこと考えてあるなー雲泥の差の出来だけども、なるほど!と思えたのですが、そこに至るまでの論がなかなか消化不良というかわかりませんせんせいいここわかりませんの連続でした。 明言や断言を避けてとにかく掘り下げて行くという態度に平伏。確かにならではの深さがありました。でもわからない…抽象的すぎたか専門用語というか文脈が高度すぎて私などではついていけなかったところがばしばし。 最終的に私は、自由とはなにか、ということをみっちり考えさせられるにいたりました。サブカル、と表題に出てくるのは効果的なのかということも考えました。少なくとも私は違う構え方をしてしまってたなー…最終的に確かにサブカルの話になるんですけど、サブカルに興味なくても絶対に面白い、社会や文化へお示唆に富みまくった一冊だと思います。 とりま早急に読み直したい。 鈴木氏は地方出身というファクターが、視線に膨らみと、私にとっての近さや理解の手助けを生み出しているかも、とも改めて。好きです。
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※このレビューにはネタバレを含みます
いわゆる「新自由主義」を批判した本。テーマ自体は有り触れているが、ネットやメディア上の動きを扱う視点は面白い。 「新自由主義」というと小泉内閣の郵政や道路公団の民営化に見られるような規制緩和・小さな政府路線のことと取られがちだが、この本では同内閣の採った「あいつらは不当に利益を貪っている」という「既得権批判」が新自由主義的な考え方として採り上げられている。 その「既得権」というのは人によって変わります。高級官僚の天下りが既得権とされることはよくありますが、高齢者や障碍者、在日外国人などが「差別」を俎上に載せて「弱者利権=既得権」を貪っているとされることもある。その是非は別として、特に後者はネット上でバッシングの対象になることが多い。この流れも著者の見解に従えば新自由主義的と言えるものだろう。 著者の考える新自由主義の大きな問題点は、「こうせざるを得ない」と宿命的に考えてしまうというもの。追い詰められた者は時に犯罪など、取り返しの付かないことをしてしまう場合も多い。 「苦しい」と声を挙げられる環境を作ることが、追い詰められることで犯罪に走る人を減らし、私たちが「ほんとうに幸せ」になるための一歩になるというのには賛同できた。
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今仕事をやっていられるのは実力でそうなったと単に思い込んでいるだけ?ロストジェネレーション世代がそこから抜け出せないのはそう思い込まされているだけなのか?時代の空気で当たり前と思っていることに疑問を持つことに気づかせてくれた本。ただ、ロストジェネレーションの考え方はやはり難しい。
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新自由主義な日本で、どういう立場におかれた人間どんな論理で既得権批判を行っているのかを分析して、我々が取れる選択肢を提示している本。 三行で解説すると、新自由主義な世の中では労働の能力を基本に評価されるから、そんな世の中で自己正当化するには絶え間ない努力か諦めが必要。そんなのは嫌...
新自由主義な日本で、どういう立場におかれた人間どんな論理で既得権批判を行っているのかを分析して、我々が取れる選択肢を提示している本。 三行で解説すると、新自由主義な世の中では労働の能力を基本に評価されるから、そんな世の中で自己正当化するには絶え間ない努力か諦めが必要。そんなのは嫌だから、終身雇用とかの古いルールを引っ張り出す(がそんなものはもう無い)。新自由主義がイケテナイのは労働の能力だけで評価が決定してしまうからだが、だからと言って努力と成長を否定してあるべき姿だけで生きようとするのも考えものだし、酷薄な潰し合いに終始するのもいかがなものか。だとすると、自由主義的に成長する人間らしさと、足場とする共同体に承認される(本来の)人間らしさと、負けた際に保障される人間らしさが必要ではないか、という話でまとまる。 個人的にはカリフォルニアン・イデオロギーについての話が面白かった。ヒッピーとハッカーの文化は、反権力・自由の尊重という共通点があるけれど、ヒッピーは人が本来あるように生きることを主張するのに対して、ハッカーは能力主義を主張するという差異がある。これが一緒くたになっているのがカリフォルニアン・イデオロギーらしい。ヒッピーはアナーキズムに、ハッカーはリバタリアニズムに通じる。ちなみに、自分は曲がりなりにもハッカー文化の中で生きていたので後者。 本書によると、ハッカー文化は辛い労働をする日である金曜日を日曜日のように働く文化ということだが、まさにその通りだと思う。自分にとっては楽しくて、自由で、能力主義で、となると言うことはないのだけど、こうやって定義されると多分そういう仕事の仕方を望んでいない人は世の中にたくさんいるのだろうと想像できる。自分も好きでもない仕事で「ほら、能力主義だよ」とか言われてもそれはそれで困る。 もしやりたいことがない人がいるとすれば、新自由主義な世の中って生きづらいのだろうと思う。そんなわけで、成長する人間らしさ以外のものも多分必要なんだろうな、と考えた一冊。
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著者が前に、新書の朝生化が起こっている、つまり単純な論理のトピックスで言い争うことで、明らかに違うことを主張する論者でも大きなカテゴリーに含まれてしまうということ、を危惧していたが、まさに本書は誤解を生みやすいような難しい論理展開のため、とても朝生では語れないだろう。 自己を承...
著者が前に、新書の朝生化が起こっている、つまり単純な論理のトピックスで言い争うことで、明らかに違うことを主張する論者でも大きなカテゴリーに含まれてしまうということ、を危惧していたが、まさに本書は誤解を生みやすいような難しい論理展開のため、とても朝生では語れないだろう。 自己を承認し合うシステムが必要だが、それが新自由主義を補完するようなカーニヴァルなものではいけない、という主張は最近話題のマイケル・サンデルの著者にも共通するものが見出せるが、これが書かれたのは2008年。流石気鋭の社会学者だと感じた。
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