いのちの初夜 の商品レビュー
ハンセン病を通して、生命とは…人間とは…と、語りかけてくるような作品。静かで、穏やかな哀しみと絶望。生きること…生きているということの意味を、かんがえた。
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先日、産経新聞に「ハンセン病作家 北條民雄の実名公開」という記事に目が止まった。 かつてハンセン病が不治の病だったため、社会からは恐怖の目が注がれ差別政策へ繋がり、患者達は親族と関係を経つことが情とされた時代。北條が入所した全生園は今もハンセン病患者への支援と治療を行う病院とし...
先日、産経新聞に「ハンセン病作家 北條民雄の実名公開」という記事に目が止まった。 かつてハンセン病が不治の病だったため、社会からは恐怖の目が注がれ差別政策へ繋がり、患者達は親族と関係を経つことが情とされた時代。北條が入所した全生園は今もハンセン病患者への支援と治療を行う病院として役割を持ち続けるも、どうしても過去の出来事と感じてしまう。 しかし今回の記事が掲載されるということは現在もハンセン病で苦しんだ人々の苦悩と、 社会が黙殺した人権の侵害が問題として続いている様に感じた。 「いのちの初夜」 小田高雄は絶望と絶え間ない恐怖に怯え常に死を望むも、実は社会と関わり、社会が人として認める人間として生きたいという思いが、死にたいという思いを招いていることに気づく。 ハンセン病患者として生きねばならず、生きるならば社会が人として認める人間になりたいと望んではならない。そうすれば死にたいという思いは消える。しかし、ハンセン病患者として生きるならば、新たに何らかの生きる目標を自ら探さねばならない。 北條が尊敬したゲーテは遺した。 「人間は努力する限り迷うものだ」 北條は生きること自体に苦悩と迷いを感じつつもその大いなる不安からこの作品を生み出した様に感じた。
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昭和のはじめ頃にハンセン病患者の生活を描いた短編小説。著者自身もハンセン病を罹患しており、24歳という若さで亡くなっている。病気が話の中心となっており登場人物のほとんどが患者であるから、暗い内容が多く病状の描写などエグイところもあるが、どこかしら希望だったり明るさだったりが感じら...
昭和のはじめ頃にハンセン病患者の生活を描いた短編小説。著者自身もハンセン病を罹患しており、24歳という若さで亡くなっている。病気が話の中心となっており登場人物のほとんどが患者であるから、暗い内容が多く病状の描写などエグイところもあるが、どこかしら希望だったり明るさだったりが感じられる。あと、小林多喜二の読後感と似たところあるなと思った。
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ハンセン病のことを詳しく知らなかったので、これを機会に写真をみたりした。ああ…と呻き声のような声しかでない。ハンセン病の療養所が舞台の小説を読んだことがなかったので、ただただ衝撃。
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想像を絶する凄い昭和初期の作品を読んでしまいました。 川端康成先生から注目された北条民雄さんは、自らハンセン病を患いながらも、闘病の中から生命の尊厳を見つめ続けた小説家です。 ハンセン病は、癩(らい)病と呼ばれていた疾患で伝染力が非常に低いにもかかわらず、治療方法が見つかって...
想像を絶する凄い昭和初期の作品を読んでしまいました。 川端康成先生から注目された北条民雄さんは、自らハンセン病を患いながらも、闘病の中から生命の尊厳を見つめ続けた小説家です。 ハンセン病は、癩(らい)病と呼ばれていた疾患で伝染力が非常に低いにもかかわらず、治療方法が見つかっていなかった昔は、差別対象で隔離され、病の神経障害が原因で生じる咽頭機能障害は呼吸困難を誘発するため死に至ることもあったそうです。 この作品は、生に対する魂の叫びが描写されています。 病院は、生命絶えるまでの終着駅であるようで、入院患者は癩(くず)れかかった人間と言うよりは呼吸のある泥人形と化していきます。 なんと物凄い世界だろう・・・。看護婦さえいない・・・。 付添人は同じ癩病患者だ! 苦悩や絶望は最早通り越している!それでも進む道を発見して努力して下さいと書かれていました! この作品を勇気をもって読んで頂きたいです。 辛くても、きっと希望が持てる作品だと思いました。 残念ながら良書なのに絶版本なので、リンクを貼りましたが取り寄せになり、青空文庫で良ければ読む事が出来ます。
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昔、19才でハンセン(らい)病発病して、らい療養所で苦しみながら生活して、らいで死んだ文士。生きるということは過酷。今は治るが、昔のハンセン病は不治の病。忌み嫌われ、親兄弟から縁を切られ、社会から排除されて、とても衛生的とはいえない、らい療養所で苦しみながら死んでゆく。
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命の病気に罹患しなければ真実に生命の素晴らしさなどわかりはしない。死ぬ前に「生」を死ぬほど噛みしめることができれば幸せだと思う。北条氏の作品は命の水によって透き通っているほど綺麗に脳へ処理される。
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著者は,大正3年生まれ。18歳で発病しわずか23歳で短い人生を閉じました。 発病してからは多摩全生園(当時は全生病院)に入院し,癩という病気になった自分に対して度々絶望におそわれながらも,次々と文学を書いていきました。川端康成に認められ,文章を発表していきました。本書のあとが...
著者は,大正3年生まれ。18歳で発病しわずか23歳で短い人生を閉じました。 発病してからは多摩全生園(当時は全生病院)に入院し,癩という病気になった自分に対して度々絶望におそわれながらも,次々と文学を書いていきました。川端康成に認められ,文章を発表していきました。本書のあとがきも川端康成が書いています。 年譜には,生まれについては「大正3年 9月某日某県に生まる」としか書かれていません。癩になったら,家族はいないと思え,死んでも故郷には帰られないと思え,と言われていた時代だからこその配慮なのでしょう。 表題の「いのちの初夜」は,彼が全生病院に入った日の事が書かれています。ほかにも,日記風だったり,小説風だったりしながら,「命の叫び」が綴られています。
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『あん』を読んでから再読した本 いのちの初夜というタイトルは作者がつけたタイトルではなく、親交のあったノーベル文学賞作家・川端康成がつけたもの。 通常は結婚してはじめて迎える夜のことを意味する「初夜」は、この場合は違う意味を付されていると推察される。いのちが初めて産声を上...
『あん』を読んでから再読した本 いのちの初夜というタイトルは作者がつけたタイトルではなく、親交のあったノーベル文学賞作家・川端康成がつけたもの。 通常は結婚してはじめて迎える夜のことを意味する「初夜」は、この場合は違う意味を付されていると推察される。いのちが初めて産声を上げる夜、という意味だ。 癩患者となって療養所へと隔離された尾田(小説のなかでの作者の名前)の目に止まったのは、不治の病に苦しみ、病床で悲鳴をあげる肉体だった。まだ軽度の症状だった尾田の目には、いずれくる自らの運命そのものに映った。 酸鼻をきわめる描写が続く。腐敗するにおいがしてきそうな描写だ。包帯に覆われて蠢く患者のうめき声が耳に響く。 なすすべなく、死を待つだけの重症患者の看病をしていた軽症患者の佐柄木が尾田に問いかける。 「これが人間だと思いますか?」 その問いかけに言葉を失っていると、畳かけるように佐柄木は言葉を継ぐ。 「人間ではありませんよ、生命、いのちそのものなんです!」 茫然とする尾田に佐柄木は堰を切ったように思いの丈をぶつける。 「僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡んでしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているんです」 あまりに深く壮絶すぎて、差し挟む言葉が見つからないが、当初は自殺することばかり考えて、死に片足を突っこんでいた尾田は、この言葉をぶつけられたことにより、冷徹な目を自らと患者に向けて、生を写し取ることに意識を転換する。 癩とともに生を全うし、文学に殉ずることへのためらいを捨てた瞬間だった。 良い本なのに、もう品切重版未定だから、本屋の店頭に並ぶことはもうない。 こうして、良書も癩病も忘れられていくんだろう。 いま巷にはいともたやすく人を死なせて、別離を悲しませようとする小説があふれている。言葉が軽い。いのちが持つ意味が軽い。 言葉が持つ重みを感じてほしい。
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ハンセン病がまだ不治の病で、患者が隔離されていた80年近く前に書かれたもの。 著者自身もその病により、「いのち」「生きる」ことと真っ向から対峙しなければならなくなった絶望と苦悩のなかで描かれた作品が8作収録されている。 患者たちの追いこまれた、あまりにむごく、孤独で絶望的ないの...
ハンセン病がまだ不治の病で、患者が隔離されていた80年近く前に書かれたもの。 著者自身もその病により、「いのち」「生きる」ことと真っ向から対峙しなければならなくなった絶望と苦悩のなかで描かれた作品が8作収録されている。 患者たちの追いこまれた、あまりにむごく、孤独で絶望的ないのちの時間は、想像すらかなわない厳しい日々で、ここで何と表現すべきかわからない。 作品中に何度も出てくる、人間という存在を越えたいのちそのものがここにいる患者たちだ、という言葉が、終始心を貫いて離れない。 心を鷲掴みにされるような感覚を味わったのは久しぶりだ。 表題作の、主人公(著者自身の療養所入所の初日の思いそのままが投影されている)の自殺したいが生きてもいたいという葛藤は、たぶん本当にその思いに駆られた人物にしか描けない生々しいものであった。 表題作のほか、太市という少年を描いた「望郷歌」と、死の床に瀕した患者が入院女性の出産を待つ「吹雪の産声」が印象に残っている。 蛇足だが…この装丁はちょっといただけない。
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