クアトロ・ラガッツィ(下) の商品レビュー
秀吉や家康のキリスト教弾圧の歴史は教科書ではわずか数行で終わることですが、イエズス会とフランシスコ会の対立や布教方針の違いにより、徐々に迫害されていく素地ができあがってしまう過程が、カトリックの世界布教戦略のなかから解説されていて非常に勉強になりました。 フランシスコ会が来...
秀吉や家康のキリスト教弾圧の歴史は教科書ではわずか数行で終わることですが、イエズス会とフランシスコ会の対立や布教方針の違いにより、徐々に迫害されていく素地ができあがってしまう過程が、カトリックの世界布教戦略のなかから解説されていて非常に勉強になりました。 フランシスコ会が来なければあそこまで苛酷な弾圧はされなかったかもしれないと考えさせられる本でした。 これは絶対に読むべき本です。
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天正使節団はヨーロッパで凄い歓迎を受ける。一方、日本では時代が信長から秀吉に移り、伴天連追放が色濃くなっており、天正使節団が8年ぶりに帰国した際、日本でのキリスト教に対する扱いが一転していた。使節団の一員も含め日本の伴天連たちが、次々と殉教させられていく。穴釣りという極めて苦しい...
天正使節団はヨーロッパで凄い歓迎を受ける。一方、日本では時代が信長から秀吉に移り、伴天連追放が色濃くなっており、天正使節団が8年ぶりに帰国した際、日本でのキリスト教に対する扱いが一転していた。使節団の一員も含め日本の伴天連たちが、次々と殉教させられていく。穴釣りという極めて苦しい殺され方により、司祭であっても転び伴天連になるものもいた。それでも、伴天連たちは殺されるか、隠れキリシタンとなって不況を続けた。 天正使節団のみの話と思っていたが、これに関連する時代背景などが極めて詳細に説明されており、とても勉強になった。今から400年以上も前に、数名の青年が命懸けで欧州に行ったことは、いまだに信じられない。 そして、時代に翻弄されたキリスト教、その中にあっても、自分の意思をつらぬいたキリシタン。今では想像も出来ない苦しみに虐げられていた。いわゆる英雄達の伝説は表面的であり、その裏に隠された、一国を統治するための駆け引きや傲慢さやえげつなさを始めて知った。論文に近い小説だと思うが、間違いなく秀作。
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天正少年使節の旅のあたりはかなり面白かったです。このあたりが若桑さんも本領発揮なのかしら?とか。とはいえ、「天正少年使節をきっかけに、西洋史と日本史を両方の観点から考える」というのがきっとこの本のテーマであって、彼らばかりにフォーカスしているわけではなく。信長~秀吉~家康あたりに...
天正少年使節の旅のあたりはかなり面白かったです。このあたりが若桑さんも本領発揮なのかしら?とか。とはいえ、「天正少年使節をきっかけに、西洋史と日本史を両方の観点から考える」というのがきっとこの本のテーマであって、彼らばかりにフォーカスしているわけではなく。信長~秀吉~家康あたりにおける、日本国内の情勢、伴天連追放に至った経緯、世界情勢と日本にやってきた宣教師たちの事情などなどを細かく追っています。これはこれで興味深い話ではありますが、気合を入れて取り組み必要がある本かと思います。
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天正14年にいったんはイエズス会に保護状を出した秀吉だが、九州平定後に伴天連追放令を発し、高山右近を改易。急転するこのいきさつもダイナミック。 ポルトガルの人身売買に秀吉が激怒したことや、スペインとポルトガルの征服者的性格に対する警戒もあったんですね。大村純忠、大友宗麟が没した影...
天正14年にいったんはイエズス会に保護状を出した秀吉だが、九州平定後に伴天連追放令を発し、高山右近を改易。急転するこのいきさつもダイナミック。 ポルトガルの人身売買に秀吉が激怒したことや、スペインとポルトガルの征服者的性格に対する警戒もあったんですね。大村純忠、大友宗麟が没した影響もあったのか。 天正18(1590)年、少年使節が帰国、いちおうは歓迎されるが…布教は禁じられていた。 フランシスコ会が登場したことが裏目に出て、97年には長崎で26人の殉教。 慶長13(1608)年には伊東マンショ、原マルティーノ、中浦ジュリアンはひそかに司祭となる。マルティーノは亡命先でヴァリニャーノと働く。1633年中浦ジュリアン殉教。いたましいが60歳になっていたので、やるべき事をした満足感が本人はあったかも知れませんね。 一人信仰を捨てた千々岩ミゲルがある意味では現代人というのも…
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イタリア、バチカンになんらかの縁がある人には必読。 Quattro Ragazziが華麗な衣装をきて欧州の街を歩く姿が見える! もしかしたらイタリアも日本もあの頃が文化文明の最盛期だったのかもしれない。
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