遠野物語 の商品レビュー
都会に生活していては…
都会に生活していては決して知る事の出来ない、摩訶不思議な伝説、風習の集積。
文庫OFF
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※このレビューにはネタバレを含みます
遠野昔話の本。 11と50と72と102の話が良かった。 p. 20 一一 此女と云ふは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑との仲悪しくなり、嫁は屢々親里へ 行きて帰り来ざることあり。其日は嫁は家に在りて打臥して居りしに、昼の頃になり突然と倅の言ふには、ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきつと殺すべしとて、大なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨き始めたり。その有様更に戯言とも見えされば、母は様々に事を分けて詫びたれども少しも聴かず。嫁も起出でて泣きながら諫めたれど、露従ふ色も無く、やがては母が遁れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口を悉く鎖したり。便用に行きたしと言へば、おのれ自ら外より便器を持ち来りて此へせよと云ふ。夕方にもなりしかば母も終にあきらめて、大なる囲炉裡の側にうづくまり只泣きて居たり。倅はよくよく磨ぎたる大鎌を手にして近より来り、先づ左の肩口を目掛けて薙ぐやうにすれば、鎌の刃先炉の上の火 棚に引掛かりてよく斬れず。其時に母は深山の奥にて弥之助が聞き付けしやうなる叫声を立てたり。二度目には右の肩より切り下げたるが、此にても猶死絶えずしてある所へ、里人等驚きて馳付け倅を取抑え直に警察官を呼びて渡したり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕へられ引き立てられて行くを見て、滝のやうに血の流るる中より、おのれは恨も抱かずに死ぬるなれば、孫四郎は宥したまはれと言ふ。之を聞きて心を動かさぬ者は無かりき。孫四郎は途中にても其鎌を振上げて巡査を追ひ廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里に在り。 p. 39 五〇 死助の山にカツコ花あり。遠野郷にても珍しと云ふ花なり。五月閑古鳥の啼く頃、女や子ども之を採りに山へ行く。酢の中に漬けて置けば紫色になる。酸漿の実のやうに吹きて遊ぶなり。此花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。 p. 51 七二 栃内村の字琴畑は深山の沢に在り。家の数は五軒ばかり、小烏瀬川の支流の水上なり。 此より栃内の民居まで二里を隔つ。琴畑の入口に塚あり。塚の上には木の座像あり。およそ 人の大きさにて、以前は堂の中に在りしが、今は雨ぎらし也。之をカクラサマと云ふ。村の 子供之を玩物(もてあそびもの)にし、引き出して川へ投げ入れ又路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬやうになれり。或は子供を叱り戒めて之を制止する者あれば、却りて崇を受け病むことありと云へり。 p. 71 一〇二 正月十五日の晩を小正月と云ふ。宵の程は子供等福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、明の方から福の神が舞込んだと唱えて餅を貰う習慣あり。宵を過ぐれば比晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言ひ伝へてあれば也。山口の字丸古立におまさと云ふ今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。如何なるわけにてか唯一人にて福の神に出て、処々をあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向ふの方より丈の高き男来てすれちがひたり。顔はすてきに赤く眼はかがやけり。袋を捨て、遁げ帰り大いに煩ひたりと云へり。
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遠野に伝わる話の数々。一つ一つが短いので文語体が苦手でも読みきれました。改めて現代語バージョンとか読んでみたいです
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何かが繰り返される。ひとにしろ、ものにしろ、書かれた物語にしろ、記憶と肉体を持ち合はせた人間の場合、ずつと止まり続けることも、流れ続けることもできない。 口承で繰り返された物語は、他の事物と異なり、どうしたつて残りにくい。しかしそこには、書かれたものにはない、ひとびとの生活と信条...
何かが繰り返される。ひとにしろ、ものにしろ、書かれた物語にしろ、記憶と肉体を持ち合はせた人間の場合、ずつと止まり続けることも、流れ続けることもできない。 口承で繰り返された物語は、他の事物と異なり、どうしたつて残りにくい。しかしそこには、書かれたものにはない、ひとびとの生活と信条に溢れる何かが繰り返されてゐた。 どちらかと言へば閉ざされた集落。山と海に通じるこの集落には、不思議な物語がたくさん語られてゐた。山からやつて来る者。山へと消えてゆく者。死んだ者の呼び声。動物たちの働きかけ。 形がないものだからこそ、語られなければかうした不思議な存在は消えていつてしまつただらう。GPSや司法、行政が張り巡らされたこの頃、山人に連れて行かれて行方不明になるひとはまず少ない。狐は駆除や収容の対象にされ、死人は灰となつて区画整理された墓に埋められる。 遠野のひとびとに、これらの物語がどのやうな意味をもつてゐたかはわからない。戒めや規範、ある種の信仰の一助になつてゐたかもしれない。けれど、さうした観念的な何かに限らず、季節の行事や毎日の営み、あるひは隣近所との共同生活とも手を取り合つてゐたに違ひない。どちらが先かはわからない。さういふ生活があるから語り続けられた物語なのか、それともさういふ物語がある種の生活を形作るのか。おそらくそのどちらも正しく、また不十分であらう。 本来なら消えたかもしれないこれらの物語を文字として残したことは、学問をする上で大きな活路だつたと思ふ。しかし、ただ物語を集積することがこの遠野物語ではない。話すひと、それに耳を傾け、時に促したり質問するひとの影響があるからだ。口承を物語にする力、それこそ民俗学といふ学問の力ではないか。編集にあたつて泣く泣く切り落としたもの、伝へきれなかつたこともたくさんあつたはずだ。柳田先生の旅人としての側面が描かれる中、集めた語りをじつと読み返し、書きなおす姿もまた、この物語のひとつの姿だと思つてゐる。
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遠野が旅行先候補に出たので読んでみた。先入観で、難しい本かと思っていたけど全然そんなことなかった。「日本昔ばなし」みたい!というか途中でそう思ったらもう、遠野の人々も動物たちも妖怪らしきものも神様らしきものも全部あの「日本昔ばなし」イラスト風の絵で頭に再現されてしまって大変可愛い...
遠野が旅行先候補に出たので読んでみた。先入観で、難しい本かと思っていたけど全然そんなことなかった。「日本昔ばなし」みたい!というか途中でそう思ったらもう、遠野の人々も動物たちも妖怪らしきものも神様らしきものも全部あの「日本昔ばなし」イラスト風の絵で頭に再現されてしまって大変可愛い感じになってしまった。民俗学とかちっとも知らないけど、遠野物語を読んだ後だと後半の解説その他もふむふむ本と思って気軽な気持ちで読めた。おもしろかった~。
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なかなか手ごわかった。 方言が入る上に古い言葉遣いで読みにくい。 独特の昔の日本の空気感が伝わってくる。こんな世界もあるんだ。 イエイツのアイルランドの妖精譚なんかとどこか似ている。
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現在の岩手県遠野市の民間伝承を土地出身の佐々木喜善から柳田国男が聞書きし,神,妖怪,年中行事,家の話などに整理配列した物語集。 一度読んでおかないとと思い購入。 文語体ですが意外と読みやすかったです。 河童や天狗、座敷童などの妖怪、オシラサマのような神、信仰の話ばかりなのかと思...
現在の岩手県遠野市の民間伝承を土地出身の佐々木喜善から柳田国男が聞書きし,神,妖怪,年中行事,家の話などに整理配列した物語集。 一度読んでおかないとと思い購入。 文語体ですが意外と読みやすかったです。 河童や天狗、座敷童などの妖怪、オシラサマのような神、信仰の話ばかりなのかと思いきや遠野の土地の話や実際に起こった恐ろしい事件も盛り込まれていた。 岩手のゼミ旅行の前に読んでおくべきだった。もう一度岩手行きたい。
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この本が公刊されたのは明治43年だから、およそ100年前のことだ。だけど、これはそんな時間を遥かに超えてやってくるような世界だ。空間的にも、遠野は実在のそれとは違って、なんだか夢の中にあるかのようだ。ここでは、神も、天狗も、ヤマハハも、死者も、人との接点を持っていた。そのことが強...
この本が公刊されたのは明治43年だから、およそ100年前のことだ。だけど、これはそんな時間を遥かに超えてやってくるような世界だ。空間的にも、遠野は実在のそれとは違って、なんだか夢の中にあるかのようだ。ここでは、神も、天狗も、ヤマハハも、死者も、人との接点を持っていた。そのことが強いリアリティを持って迫ってくる。しかし、それはやはりあくまでも夢の中のリアリティなのだが。「リアルな幻想」という相矛盾した感覚が、ここでは少しも違和感なく共存することができる。ページを開いた途端、そこには遥かな遠野の風景が拡がる。
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今で言うところの岩手県遠野市に伝わる話を実際に聞いて 短く完結にまとめた119の話。 おなじみの座敷童子やカッパだけでなく、 山の神やら 別の本で知ったばかりのフッタチの話など 聞いた話を装飾なしに書いているので、 昔話とか御伽噺とは違って、不思議だけど妙にリアルっぽい。 ...
今で言うところの岩手県遠野市に伝わる話を実際に聞いて 短く完結にまとめた119の話。 おなじみの座敷童子やカッパだけでなく、 山の神やら 別の本で知ったばかりのフッタチの話など 聞いた話を装飾なしに書いているので、 昔話とか御伽噺とは違って、不思議だけど妙にリアルっぽい。 昔の文章が最初読みにくかったんだけど、すぐに慣れます。 現代にありながら、遠野だけには今でも 異界の入り口が気紛れに開くような そんなワクワク感と恐怖感がゴチャ混ぜになった感じが たまらなかったです。
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全てはここから始まったと言っても過言ではない民俗学のバイブル。岩手県内陸部に位置する遠野郷における明治期の民話・伝承・俗信を余すことなく蒐集。その数は420にも上る。昔の人々の純真さ、現代人が持ち合わせない感性に脱帽。
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