巴里の憂鬱 の商品レビュー
難しかったです。 しかし、何篇かに一篇はとても情景が浮かぶような作品もあり、その手の作品は楽しめました。
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常に酔っていなければならない。それこそは一切、それこそ唯一の問題である。......時間の手中に堕ちざるために、酒によって、詩によって、または徳によって、そは汝の好むがままに、酔え、絶えず汝を酔わしめてあれ!
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ボードレールの「巴里の憂鬱」。ダンディズム、万物照応、フラヌールなどで知られる作品。三好達治の名調子なのでするすると読めるけれど、内容は難しい。シメールがボードリヤールの「消費社会の神話と構造」で引用されていて以来好きなのだが、その他、最後の善良なる犬とかも面白い。ただまだまだ読...
ボードレールの「巴里の憂鬱」。ダンディズム、万物照応、フラヌールなどで知られる作品。三好達治の名調子なのでするすると読めるけれど、内容は難しい。シメールがボードリヤールの「消費社会の神話と構造」で引用されていて以来好きなのだが、その他、最後の善良なる犬とかも面白い。ただまだまだ読み込みは足りないという感じ。
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いわゆる形式的な美醜ではなく、日常の中に潜む、一歩間違えると陥るような社会の暗部にこそ、美しさを求める価値がある、もしくは共感するものがあるとする視点は、自由を追い求める、自由という観念すら押し広げようとするその時代のフランスの空気だったのかもしれない。
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イザベル・アジャーニがインタビューで、いまの気分はボードレールのよう、と言っていたのでボードレール。異人さんを読んだ時に、これぞ私の求めていた憂鬱、と閃きすぐ注文しました。 これが散文詩。エッセイみたい。 とは言え時計が可愛くて好き。猫の眼から時間がわかる試してみたい。
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個人的な感想ですが、 ある程度生きた人が読んだ方が 良いと思いました。 私は21,2歳の時に読みましたが、 不機嫌なフランスのおじさんとしか 思わず、楽しめませんでした。 あれから25年以上生きたので 今度は少し分かるはずだと 再び読むつもりです。
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嗚呼、何という君の感性。何という君の自由。何という君のユーモア。何という君の哀しみ。 世上には観察の対象は事欠かない。 それを掴みとり凝縮し自己の湧き出る豊かな感性と融合させ一遍の散文に仕上げる君の魔力! 時には寄り添い、時には突き放し、あるいは悪戯し、時には酔い、そして時...
嗚呼、何という君の感性。何という君の自由。何という君のユーモア。何という君の哀しみ。 世上には観察の対象は事欠かない。 それを掴みとり凝縮し自己の湧き出る豊かな感性と融合させ一遍の散文に仕上げる君の魔力! 時には寄り添い、時には突き放し、あるいは悪戯し、時には酔い、そして時には愛す。 一遍の詩をものにできるなら悪魔に魅入られても構わない、悪魔すらも騙せるという君の尊大さ。 しかし、君は孤高の人。 君の豊かな感性を理解できた者は世界にどれだけいたのか。 巴里の群集の中で一人で輝き続けるのは何と苦しかったことか。 それでも君の豊かな感性の結晶は後世に残り読み継がれることだろう。 嗚呼、良き文章哉。良き文章哉。 君はあの世でわれわれの文学を支配できて、きっと満足なのだろうな。
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ボードレールの孤独な遊歩者としての鋭い視点が、見事にパリの群衆の姿や、彼の独特の芸術観を描き出している詩集だった。難解で理解しがたい作品もあったが、その中で非常に感銘を受ける作品もあった。
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何処へ行けるというわけではないけれど 確かな存在の手触りを胸に 彼のこころはパリから歩き出す ランボーと違ってすごく真面目なひとだと思う。ランボーがロケットか何かのように一気に宇宙へ飛んで行ってしまうのに対して、ボードレールは階段を一段一段確かめながら、自分の立っている場所を確...
何処へ行けるというわけではないけれど 確かな存在の手触りを胸に 彼のこころはパリから歩き出す ランボーと違ってすごく真面目なひとだと思う。ランボーがロケットか何かのように一気に宇宙へ飛んで行ってしまうのに対して、ボードレールは階段を一段一段確かめながら、自分の立っている場所を確認しながら昇っていく感じ。 そして、カミュのごとき不屈の反逆児。あえて背徳的な行いに身を浸すことで、光り輝く美しさを取り出して見せる。どんなにあがいても、死すべき者には変わりないこの命を、確かに生きてみせ、実現する。 散文詩とは言うけれど、彼の目に映るものの正確なスケッチ。彼がまなざしを注ぐのは虐げられて暮す人々。聖書の「貧しい人々は幸いである」をどこか髣髴させる。 退廃的とか背徳的というのは、極めて一面的な判断のように思える。だって彼は何にも背いていないのだから。というよりかは、背けなかった。どちらを向いても世界の中に生きてしまっていたから。いながらにして世界なのだから、旅行などできるわけない。 さて、その彼は「貧民を撲殺しよう」でソクラテスの生ぬるさを述べたあとで次のように述べる。 「他人と同等であることを証明する者のみが他人と同等であり、よく自由を征服する者のみが自由に値するのだ」 そして、これを学理(セオリー)として、貧者と殺す気で殴り合い、その生を回復させたところで、同等であると宣言する。 ソクラテスならこう言うだろう。 君はまだ若いね。証明だの制服だのやってみたところでもうすでに実現しているんだよ。それに気づいたからああいう対話というやり方をとったんだ。
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正に、巴里の憂鬱。 喜ばしいことや微笑ましいことがあったかと思えば、やはり憂鬱に沈んでいくのは、巴里だからなのか、それとも彼の燻らせる煙のせいなのか…
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