プールサイド小景・静物 の商品レビュー
収録されている七つの…
収録されている七つの作品は、どれも日常的でありながらそのバランスが常に危うい。どうかすると、今にも崩れ落ちそうな予感を秘めているのである。それでも崩れずにとどまっていることが、まるで奇跡のようにすら感じられるほどだ。そして気づく。よくよく周囲を見渡してみれば、わたしたちの日常もそ...
収録されている七つの作品は、どれも日常的でありながらそのバランスが常に危うい。どうかすると、今にも崩れ落ちそうな予感を秘めているのである。それでも崩れずにとどまっていることが、まるで奇跡のようにすら感じられるほどだ。そして気づく。よくよく周囲を見渡してみれば、わたしたちの日常もそういう危険を孕んでいることに。
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なにげない家族の日常…
なにげない家族の日常の中に、家族に対する愛情、信頼、疑いなどが、こまやかに描かれています。「イタリア風」という短篇に出てくるおじいさんに、笑いつつも感心してしまいました。
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こちらの著書のものは随筆が好きで拝読(積ん読ともいう)してます。 本作は短編小説。 芥川賞作品。 全体的に静かな読み心地。 【プールサイド小景】 会社の金を使い込んでクビになったサラリーマンのお話。 雇われのつらさや家庭の不和がわじわとせまってくる感じ。 背後にある不穏さが静...
こちらの著書のものは随筆が好きで拝読(積ん読ともいう)してます。 本作は短編小説。 芥川賞作品。 全体的に静かな読み心地。 【プールサイド小景】 会社の金を使い込んでクビになったサラリーマンのお話。 雇われのつらさや家庭の不和がわじわとせまってくる感じ。 背後にある不穏さが静かさの中にどろりとした生活感を思わせる。 【静物】 物語的に特になにも起きないことに対しての安心と、読み手としてなぜか不穏を感じさせる行間。わりと好き。 ーーーーーーーーーーーーーー 短編の感想はちょっと苦手かな、短いからわかりやすいはずなのになんでだろう。 この著者の書き物として他に随筆の「野菜讃歌」も拝読しましたがブクログには登録がないよう。こちらも良かったのでぜひ。野菜が食べたくなること必至です。
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著者、庄野潤三さん、ウィキペディアを見ると、次のように書かれています。 ---引用開始 庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。庄野英二の弟。大阪府生まれ。九州大学東洋史学科卒。『愛撫』で認...
著者、庄野潤三さん、ウィキペディアを見ると、次のように書かれています。 ---引用開始 庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。庄野英二の弟。大阪府生まれ。九州大学東洋史学科卒。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『夕べの雲』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙述で深く彫り上げた作品を多く発表した。晩年は、老夫婦の生活や孫とのふれあいをテーマに連作を書き継いだ。日本芸術院会員。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 大金を使い込み、突然会社をクビになった夫。妻が問いただすと、つらい勤めの苦痛や不安を癒すため毎晩のようにバーに通いつめていたという。平凡な中年サラリーマンの家庭に生じた愛の亀裂――日常生活のスケッチを通し、ささやかな幸福がいかに脆く崩れやすいものかを描いた芥川賞受賞作『プールサイド小景』、家庭の風景を陰影ある描写で綴った日本文学史上屈指の名作『静物』等、全7編を収録。 ---引用終了 『プールサイド小景』は、静かながら、妙にリアリティーのある作品と思いました。 『プールサイド小景』は、芥川賞受賞作とのことなので、当時の受賞作を見ておきましょう。 第31回 「驟雨」 吉行淳之介 第32回 「アメリカン・スクール」 小島信夫 第32回 「プールサイド小景」 庄野潤三 第33回 「白い人」 遠藤周作 第34回 「太陽の季節」 石原慎太郎 第35回 「海人舟」 近藤啓太郎
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一年後、どんな内容の本だったか思い出せるか。もしかすると、すっかり忘れてしまっているかもしれない。 それはそうで、これはあまりにも“日常”である。三日前の晩ご飯を思い出せないように、“日常”とは過ぎ去っていくもの、忘れ去られていくものである。そのような“日常”を克明に描写している...
一年後、どんな内容の本だったか思い出せるか。もしかすると、すっかり忘れてしまっているかもしれない。 それはそうで、これはあまりにも“日常”である。三日前の晩ご飯を思い出せないように、“日常”とは過ぎ去っていくもの、忘れ去られていくものである。そのような“日常”を克明に描写している。 一つ一つの出来事を丁寧に、ありのまま描くことで、些細な“日常”の裏に深刻な何かが見え隠れする。急に、“日常”が重大に思われてくる。 その深刻な何か、日常の裏にある“危うさ”みたいなもの、それは一体何なのか、どういうことなのか、はっきりと書かれてはいない。結果、それが読後の絶妙な余韻へと繋がっている。 初めて志賀直哉を読んだときの衝撃と似ている。☆5つでも足りないくらい。今年読んだ本の中で最も衝撃的だった。 本書収録の中では、『舞踏』が最も私の好みで、冒頭からやられてしまった。 “家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ”
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あらあらあら、なんだか不思議だ、なんなんだ、感覚的にはパラレルワールドの中の(あくまで作品であるという性質)多少の寓話的な世界観を持った日常であった。夢にも近い。
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『静物』が“何も起こらない”系作品の極地。 読み終えた後、何も残らないが読んでいる間は無心で読み進めてしまう水のような作品。 戦後の内向的な作品群の中でも輝く一冊。
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本好きの方々がお薦めしていることが多い庄野潤三さんの小説。何気ない家族の日常に潜む崩壊の予兆と、思いがけない事件や事故を経た家族の様子を淡々と描いている。会社の金を使い込んでクビになった男。会社の新人女子との不倫関係が奥さんにバレた男。「家族の危機は、窓の隅に張り付いているヤモリ...
本好きの方々がお薦めしていることが多い庄野潤三さんの小説。何気ない家族の日常に潜む崩壊の予兆と、思いがけない事件や事故を経た家族の様子を淡々と描いている。会社の金を使い込んでクビになった男。会社の新人女子との不倫関係が奥さんにバレた男。「家族の危機は、窓の隅に張り付いているヤモリのようなもので、すぐに害を為す訳ではないが、不穏な空気を醸し出し、その不安は頭から離れない」という表現は、読み手を不安にさせる。
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小説──というかなんでもそうだけど、書かれていない出来事や時間を、読者は読むことができない。 察することは出来る。予感や雰囲気を感じることで。しかし察してしまうということは時として、たとえば愛する人における「オレの知らない時間」を裏付ける行為になるし、またそれは言い換えれば相手と...
小説──というかなんでもそうだけど、書かれていない出来事や時間を、読者は読むことができない。 察することは出来る。予感や雰囲気を感じることで。しかし察してしまうということは時として、たとえば愛する人における「オレの知らない時間」を裏付ける行為になるし、またそれは言い換えれば相手と自分の間に断絶がおきるということでもある。他人であるということを思い知らされる。 収められている短編はどれも、「断絶」を、やり方として読者と小説を「断絶」させることでヤッている。だけどそれですべてではない。 『静物』で延々繰り返される「いまここにない」時間の伝聞は、「断絶」をされた後の「断片」たちが聞き手に接続を促す。 私たちは他の時間を生きる他人だけれど、 他人のままでもつながろうとすることができる。 だけどあくまで、他人のままで。 聞き手というのは何も、登場人物に限ったことじゃない。
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なんだこれ。お行儀の良い文体の心地よさと時代の違和感、懐かしい感じと共感できない歯痒さ。昭和生まれだからわかるわーと思ってたらさらりと混ぜ込まれる戦争の記憶。綺麗な文体に浸りながらそんな両極端を行き来させられた。名文には間違いないかもしれないがもうおなかいっぱい。せめて最後の「静...
なんだこれ。お行儀の良い文体の心地よさと時代の違和感、懐かしい感じと共感できない歯痒さ。昭和生まれだからわかるわーと思ってたらさらりと混ぜ込まれる戦争の記憶。綺麗な文体に浸りながらそんな両極端を行き来させられた。名文には間違いないかもしれないがもうおなかいっぱい。せめて最後の「静物」に不穏さが無くて良かった。 あと新潮文庫の表紙デザインがテキトー過ぎて引く。
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