サンダカン八番娼館 の商品レビュー
マレーシアに住んでいなかったら知ることがなかったかもしれない、悲惨な史実。 想像を絶する過酷な環境の中でも、人として優しく、大きく成熟したサキさんの人柄に心打たれました。
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東南アジアの日本人社会史に関心を持ち、この本に辿り着きました。 取材の方法や個人情報の扱い方、用語(「底辺」など)について、(現在の視点では)疑問を感じる点があることは否めませんが、著者の着眼や強い使命感、問題意識無しにこの貴重な記録が世に残されることは無かった。その点に最も感...
東南アジアの日本人社会史に関心を持ち、この本に辿り着きました。 取材の方法や個人情報の扱い方、用語(「底辺」など)について、(現在の視点では)疑問を感じる点があることは否めませんが、著者の着眼や強い使命感、問題意識無しにこの貴重な記録が世に残されることは無かった。その点に最も感銘を受けました。 理不尽に、非道な方法でカラユキさんにさせられてしまった方々の経緯と、その背景に富国強兵や構造的な貧困と言った国策や社会的問題があることを本書を通じて知り、国家や社会は、その構成員を一人ひとりを守ることが一番大切という当たり前の目線を再確認しました。 人の幸不幸は、歳をとるに連れ、心の内面の高潔さや人との親密な繋がりによる部分が大きくなってゆきますが、主人公のおサキさんは、人生の最後の時期は幸せに過ごされたように思います。著者は、その交流を通じて、どの程度かはわかりませんが、それに貢献されたのではないでしょうか。
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マレーシアのサンダカンでからゆきさんと呼ばれる慰安婦として春を鬻ぐ必要のあった女性、おサキさんからの生の声を中心にその実態をありありと描いた名著。貧しさと無知であることが、元凶といえばそうだが、そのような時代、環境の中で生きぬいたおサキさんをはじめとするからゆきさんの逞しさから学...
マレーシアのサンダカンでからゆきさんと呼ばれる慰安婦として春を鬻ぐ必要のあった女性、おサキさんからの生の声を中心にその実態をありありと描いた名著。貧しさと無知であることが、元凶といえばそうだが、そのような時代、環境の中で生きぬいたおサキさんをはじめとするからゆきさんの逞しさから学ぶことは多い。
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19世紀後半以降、元号で言えば明治時代後半から昭和初期にかけて「からゆきさん」と呼ばれる女性たちがいた。 「からゆきさん」はWikiでは下記の通り、説明されている。 【引用】 からゆきさん(唐行きさん)は九州で使われていた言葉で、19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って、娼...
19世紀後半以降、元号で言えば明治時代後半から昭和初期にかけて「からゆきさん」と呼ばれる女性たちがいた。 「からゆきさん」はWikiでは下記の通り、説明されている。 【引用】 からゆきさん(唐行きさん)は九州で使われていた言葉で、19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことを指す。 女性たちは長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身者が多く、海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。 【引用終わり】 日本が欧米列強に対抗して、アジア各地に帝国主義的に進出しようとしていた時代のこと。日本人の進出する先々に、売春宿を設えようとする者たちがいた。そこで働く女性たちは、多くは貧農の若い女性で、人身売買的に海外に連れていかれた人たちであった。 本書は、筆者の山崎朋子が「底辺女性」研究のテーマとして「からゆきさん」を取り上げ、調査を行った記録である。彼女は、からゆきさんを多く出した天草地方に出かけ、偶然に、おサキさんと呼ばれる、元からゆきさんと知り合う。そして貧しい彼女の家に泊まり込み、3週間寝食を共にする中で、彼女から、からゆきさんとしての経験を聞き、本書にまとめた。題名の「サンダカン八番娼館」は、おサキさんが実際に住んでいたことのある売春宿の名前。「サンダカン」はマレーシアの都市の名前である。 ネタバレになるので、おサキさんの話の内容には触れないが、「想像を絶する」内容である。言葉を失う。 もう1つ、本書で心を動かされたのは、筆者とおサキさんの心の触れ合いだ。もともと赤の他人であった2人であるが、一緒に暮らしているうちに、実の親子のように心を通い合わせることとなる。おサキさんの経験談は悲惨な内容であるが、2人の交流には救われた気持ちになる。
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からゆきさんという、知らなかった歴史を知れた本だけど、それよりもおサキさんの生き様から学ぶことがたくさんあった。
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出版から約50年を経てもなお、読み応えのある傑作ではないか。 ノンフィクションにしては、著者の主観や情緒の反映がやや過ぎる表現が多く、一部の読者には違和感もあるのかも知れないが、個人的にはそれが登場人物らへの感情移入を容易に促し、それゆえにまるで一人称として彼らの体験や感情を実感...
出版から約50年を経てもなお、読み応えのある傑作ではないか。 ノンフィクションにしては、著者の主観や情緒の反映がやや過ぎる表現が多く、一部の読者には違和感もあるのかも知れないが、個人的にはそれが登場人物らへの感情移入を容易に促し、それゆえにまるで一人称として彼らの体験や感情を実感できるリアリティを持つように思えた。 からゆきさんたちのことを、彼女たち「個々人」としては劣悪な生き方を強いられた被害者として認めつつ、その集団的な在り方と来し方としては、日本による東南アジア侵略・支配の先兵であったとする分析は、鋭くもあるが、なんとも物悲しい。
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1975年6月刊行の『サンダカン八番娼館』に、1977年6月刊行の『サンダカンの墓』を併録されたものです。 『サンダカン八番娼館』は著者いわく「エリート女性史への強力なアンチテーゼ」として、「からゆきさん」と呼ばれた一群の海外売春婦への取材を試みたものです。取材は1968年、多...
1975年6月刊行の『サンダカン八番娼館』に、1977年6月刊行の『サンダカンの墓』を併録されたものです。 『サンダカン八番娼館』は著者いわく「エリート女性史への強力なアンチテーゼ」として、「からゆきさん」と呼ばれた一群の海外売春婦への取材を試みたものです。取材は1968年、多くの「からゆきさん」が存在したとされる天草にて行われ、何のつてもなく現地に渡った著者は偶然から元「からゆきさん」であるおサキさんと出会います。 本書の肝は、筆者がおサキさんの口調を再現した独白に近い形で振り返る、現マレーシア・カリマンタン島での海外売春婦としての生活を中心としたおサキさんの生涯が綴られた「おサキさんの話――ある海外売春婦の生涯――」の章にあります。そこではわずか10歳足らずの幼かったおサキさん自身が海外売春婦としての洋行を決断せざるを得なかった幼時の貧窮生活、サンダカンへの道程、娼館での生活と実態、娼婦たちから慈母と慕われた女親方・木下クニのこと、英国人の妾としての暮らし、帰国後の日々が語られます。 本書が際立っているのは、息子からも敬遠され、ひとりで畳にムカデが巣食い水道も電気もないあばら家で、当時としても極端に貧窮した老後生活を送りながらも、自分の食物を削ってでも九匹の捨て猫に分け与える、おサキさんという一個人そのものにあるのかもしれません。そんなおサキさんの元に身分を偽りながら長期にわたって寝食をともにしつつ彼女から「からゆきさん」としての来歴を知るために理由を明かさずに住み込んだ著者を受け入れたおサキさんの人柄と、別れを前にした二人のやり取りは印象に残ります。 中心となるおサキさんの回顧のほかには、彼女と関わりの深かった人々の出生地やその後を探る短い旅、そして『サンダカン八番娼館』の反響を受けて刊行された後半の『サンダカンの墓』では、女親方・木下クニがサンダカンに建てた墓地、シンガポールやマレーシアにおける元「からゆきさん」への調査・聞き取りなどによって構成されています。
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すごい本読んでしまった。底辺女性史って、からゆきさんの名前だけ聞いたことがあった。家族だってからゆきさんは知ってたけど、まさか騙されて連れていかれた少女たちとは知らなかった。それ全然違うし騙されて連れていかれたんだよ、10歳とかで!って言ったら絶句していた。からゆきさんたちは哀し...
すごい本読んでしまった。底辺女性史って、からゆきさんの名前だけ聞いたことがあった。家族だってからゆきさんは知ってたけど、まさか騙されて連れていかれた少女たちとは知らなかった。それ全然違うし騙されて連れていかれたんだよ、10歳とかで!って言ったら絶句していた。からゆきさんたちは哀しくてたくさん辛い思いをして、たくさんたくさん死んでいったけど、サンダカンで日本軍が原地の人にしたこととか、慰安所のことについても書いてあるこの本を知らないふりして恥ずかしくないのかって人の名前も書いてあった。知っているのになかったことにしているひと。これは読まないといけない本です。
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現在のオーラルヒストリーの手法や研究倫理的なところからいうと、なかなかにギリギリ(っていうかアウト?)でヒヤヒヤするし、 ちょっとえぇ・・・っと思う記述が多い。 調査対象者に対する研究者の眼差しとか距離感って難しいなと思った。
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山崎朋子さん、逝去 底辺女性の記録者 海外に売られ、娼館で働かされた女性たちの悲惨さ。 底辺女性史不朽の名著を記した著者、逝去。
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