自分の感受性くらい 新装版 の商品レビュー
時代を生き抜いたひとりの女性が発する言葉は、 強く、逞しく、雄雄しく、 そして冷静だ。 「私が、私で生きる」ことを、 傷つきながら貫いたのだろうと感じる作品集。 当然ながら、 自分の感受性くらい は、素晴らしい。
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表題の作品、がつんと流れを変える威力がある。言葉には力がある。「ばかものよ」と言われて、怒りではなく、力が湧いてくる。そうだ、と。誰のための詩でもない。私のための詩なのだ。刺繍と詩集、夏の声、知命が好き。
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20代中頃に読んで、心に響いた作品。 周りと比べたり自分に苛立ったり・・・。 そんな私に喝をいれてくれました。 ''駄目なことの一切を 時代のせいにはするな" "自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ" 何度読んでも背筋が伸びる作品です。
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「ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて」 学生時代の私は精神に少しよわいところがあったので、人文系の講義でこの詩にふれたときは、これはいい加減しゃんとせなならんな、とそれから一カ月間くらいは前向きに、自分の感受性と折り合いをつけながら過ごせたものでした。 「気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか」 そもそも精神のよわいところというのが、ひとことで言えば暇に食べられた、とでも表現できる類の、学生によくあるものだったので語るのも恥ずかしいのですが、当時はやはり漠とした不安が四六時中、とくに寝る前には襲ってきたのです。 「苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし」 思い返してみると、くだらない自意識のまちがった着地に過ぎないものです。今はそのような思考の迷路に入り込むことも、相手の気持ちを考え過ぎたために言葉を飲み込むこともありません。 「初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもがひよわな志にすぎなかった」 私はつまらない大人になりました。 「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄」 ときどき学生の頃の自分を懐かしんでは、けっきょく今の現状にも不平不満をみつけながら生活をしています。たとえば、こんな私がはじめてこの詩にふれたとしたら、あの頃のように、心をふるわせることができたのでしょうか。 『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』
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『自分の感受性くらい』 時々、この詩に戻ってきたくなる。 厳しい言葉の中に、茨木のり子は大いなる愛と激励をしのばせてくれている。
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シンプルで洗練された言葉。 豊かな表現力。 力強いメッセージが心に突き刺さる。 詩を読んで泣いたのはこの作品が初めて。
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勁さ(つよさ):しなやかさのあるつよさ 柄杓(ひしゃく) 蝦蟇口=蟇口(がまぐち) 靄靄と(もやもやと) 杳として:事情などがはっきりしないさま 頭悪いなぁ、あたい。漢字がぜんぜん読めん。小学校の先生してた時に、子どもが読めない漢字をひらがなで書いていたら、ぜんぜん漢字が書けなくなった…っていうのは言い訳だな。途中から、「読めないものは読めるようになれ」と、ある程度漢字で書くように切り替えましたけれども。 きれいなしゃれこうべを見て、 きっとこの頭を、かけがえのないものとして搔き抱いた女がいたに違いないって、思いをはせられる彼女の、果てしない想像力と、厳しい言葉の中に見られる優しさに、 胸をかき乱されました。
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高校の現代文の最期の授業でもらったプリントにあった、「自分の感受性くらい」 ひねくれていた時期に読んでみたいと思い出して、購入した 表題作「自分の感受性くらい」は、好きだというのが恥ずかしいくらい、あまりにも有名だが、好き 自分がいかに甘ったれか叱ってくれて、一歩を踏み出すのを...
高校の現代文の最期の授業でもらったプリントにあった、「自分の感受性くらい」 ひねくれていた時期に読んでみたいと思い出して、購入した 表題作「自分の感受性くらい」は、好きだというのが恥ずかしいくらい、あまりにも有名だが、好き 自分がいかに甘ったれか叱ってくれて、一歩を踏み出すのを後ろからそっと見守ってくれてるような、あたたさを感じる 教育実習先の中学のクラスに、最期に手紙で紹介した 白くしっかりした装丁も、凛としてすてき
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感受性がどこかにいってしまったと感じていた時期に、テレビで「自分の感受性くらい」が紹介されていたのがきっかけ。 弱くなって、甘えがでてしまう時に読みたい本。 初めて買った詩集です。
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