「読み」の整理学 の商品レビュー
思考の整理学とつなげて読んだ。読みにはアルファ読み(既知を読む)とベータ読み(未知を読む)がある。 ベータ読みこそが、真の読書であると説く。 授業の会における追求的読みや、スローリーディングと共通している。 が、方法は特に確立していない。 ちなみに、昔の翻訳の難しさが、知力アップ...
思考の整理学とつなげて読んだ。読みにはアルファ読み(既知を読む)とベータ読み(未知を読む)がある。 ベータ読みこそが、真の読書であると説く。 授業の会における追求的読みや、スローリーディングと共通している。 が、方法は特に確立していない。 ちなみに、昔の翻訳の難しさが、知力アップに貢献していたという論はおもしろい。 素読や英文読解、漢文や古典を読むことの重要性を説いている。 また、読書百遍をしなくてはわからないような古典作品に立ち向かうことこそが、読書の楽しみであることが書かれていて、難解な本でも頑張って読もうという気持ちにさせられた。 英文を読むように、日本語を読む といった、宮坂先生の教えにも通じる。 ベータ読みの方法の具体化を実現しているのが、わが授業研究の会であるといえる。
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この本は、著者が日ごろ考えている「読書法」について述べたエッセイといった感じ。内容は、文章の読み方を、既知を読む「アルファ読み」と未知を読む「ベータ読み」に分類し、現代人はアルファ読みばかりを嗜好しベータ読みを敬遠しており、書き手の提供している内容を理解する、もしくはただ文字をな...
この本は、著者が日ごろ考えている「読書法」について述べたエッセイといった感じ。内容は、文章の読み方を、既知を読む「アルファ読み」と未知を読む「ベータ読み」に分類し、現代人はアルファ読みばかりを嗜好しベータ読みを敬遠しており、書き手の提供している内容を理解する、もしくはただ文字をなぞる程度に終始していると提言している。「未知を読む」とは、読解の範疇を抜け出し自分なりに解釈の幅を広げることで読書の幅を広げる創造的かつ能動的な読みだそうだ。
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すでに持っている知識を下敷きに読む既知の読みと未知の読みについてが主題。外山先生の本を読むたび、漠然と思っていた日本語の諸々について整理される。この一冊も例外でなかった。今までの自分にとってまったく視野の外だった本もなるべく手に取るようにしているものの、これだけ安価でバライティー...
すでに持っている知識を下敷きに読む既知の読みと未知の読みについてが主題。外山先生の本を読むたび、漠然と思っていた日本語の諸々について整理される。この一冊も例外でなかった。今までの自分にとってまったく視野の外だった本もなるべく手に取るようにしているものの、これだけ安価でバライティーに富んだ書籍が簡単に手に入る時代だとどうしても自分の興味関心へと偏ってしまう。著者が指摘されるように既知の読みばかりしていると、読書の胃弱体質になってしまい、思考もオカユのようにさらさらゆるゆるになってしまうかも。一見読者の私としては耳の痛い指摘も少なくなかった。論語の素読でも始めようか。わかりやすさ至上主義が極致に達している今、未知の読みも含めて、本の読み方について真剣に考え直さなければならないのでは。
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「読書」という視点から考える「理解」というものについての書。 「読書」というものの形態について分類的に解説するとともに、本はなんでもかんでも読んでわかりやすければOKという風潮や、未知を誤りと勝手に断定する人々を批判する。その中で未知を読み取ることの困難さやその原因を示しつつ、人...
「読書」という視点から考える「理解」というものについての書。 「読書」というものの形態について分類的に解説するとともに、本はなんでもかんでも読んでわかりやすければOKという風潮や、未知を誤りと勝手に断定する人々を批判する。その中で未知を読み取ることの困難さやその原因を示しつつ、人間の理解というものを考察している。 僕は読書や理解について色々考えさせられた。 学校での国語教育にも触れられており、教職にまつわる人も読んでみるといいのかなと。 個人的に著者の「上から目線」的な見解には悪印象。 だが、著者の分析や考察は流石なもの。 この著作からものを学ぶ浅学な自分のわがままにすぎない・・・ そうわかっていてもその辺りが減点対象。内容的には満点か。
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この読書の前後に日経新聞の記事の影響がある。まず前にある記事は、日経新聞7月13日「語る」欄。英文学者・外山滋比古氏について「英語を学ぶなら一度は本場の土をふまなくちゃ」と何度も説得されたが、今に至るまで日本を出たことがないと書かれていた。留学は「百害あって一利なし」とまで確信し...
この読書の前後に日経新聞の記事の影響がある。まず前にある記事は、日経新聞7月13日「語る」欄。英文学者・外山滋比古氏について「英語を学ぶなら一度は本場の土をふまなくちゃ」と何度も説得されたが、今に至るまで日本を出たことがないと書かれていた。留学は「百害あって一利なし」とまで確信しているという。源氏物語の研究者は平安時代に行けるわけではないが、それでも研究ができるから、英文学だってそうだと言うのである。なかなかユニークな人だという印象を持ったが、その人の本を書店で見つけたので、興味をおぼえて買った。 1981年に講談社から刊行された『読書の方法』に加筆・修正したもの。帯に書かれた「既知を読むアルファー読みから未知を読むベーター読みへ」というのが著者の主張を一言で表している。わかっていることは面白く、楽で、知らないことはむずかしい。著者は、そのむずかしい読み方に挑戦して、頭脳を刺激し、知的能力を高めようと言う。第四章で著者の専門である外国語をとりあげている。外国語では、まず単語からして未知である。単語がわかったとしても、構文が根本的に違う。そこで英文を暗号と見立てて、その解読のコード・ブックとして英文解釈法が考えられた。「こうして、外国語はベーター読みの道場になり得た。」 著者の主張はわかったような気になったが、本書を読めば未知を知るベーター読みの技法がわかるのかという期待ははずれた。これは私が本書をベーター読みの対象とせず(=深く考えながら読まず)、簡単にハウツーを得ようとした結果だろう。なんだか不消化な気分で読み終わった。せっかくの著者の主張に対し、申し訳のない読み方をしてしまったようだ。 さて、読書後の記事は、日経新聞7月27日の「半歩遅れの読書術」。富山太佳夫氏は、書店で読書術の本を何冊かチェックしてみたが「その見事なまでのアホらしさに感動しただけの話である」と書いている。「案内なんかいらないよ、俺、自分で歩くからという主義」で、読書案内は不要だが、他人が挙げる本のタイトルは自分の前に広大な世界を広げてくれるものとして大切だそうだ。富山氏も英文学者というところが面白い。外山氏に対する申し訳なさを晴らしていただいた。
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あくまで、エッセイだから批判を受けることも少ないんでしょうが。 目から鱗ですね。 というか、当たり前のことを当たり前に腑分けできる力のある人には本当の知性を感じます。 尊敬する一人です。
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もう少し早く出会いたかった本。いかに今まで自分がゆる〜くテキトーな「おかゆ読み」をしていたことか痛感しました。笑
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現代人は既知を読むアルファ読みに傾倒していて、未知を読むベータ読みの重要性についてはあまり考えていない、という。自分も読みやすい本ばかりを選んで読んでいたが、知らないことばかりが書かれた文章を読むことも必要だと感じた。
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読みはいってみれば二階建ての構造である。一回は、知っていることを内容とした文章を読む。はじめは音読が基本で、声にできれば読めたことになる。意味をほとんど考えないでわかる読みである。二階では、未知なことがらについて書かれている文章を読む。わからないことが多くて意味をとるにも多少とも...
読みはいってみれば二階建ての構造である。一回は、知っていることを内容とした文章を読む。はじめは音読が基本で、声にできれば読めたことになる。意味をほとんど考えないでわかる読みである。二階では、未知なことがらについて書かれている文章を読む。わからないことが多くて意味をとるにも多少とも努力を要する。いくら一階の読みに習熟しても、そのまま二階へ通じるというわけにはいかない。階下から二階へ上るには階段をのぼる必要がある。(「ちくま」11月号 著者紹介より)
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