みどりのしっぽのねずみ の商品レビュー
「かめんにとりつかれたねずみのはなし」 …仮面に取り憑かれたねずみの話。副題からして、なんだか不穏な予感… 可愛らしい画で描かれており、子どもたちにはその恐ろしさはわからなかったみたい。 もっと大きくなって、この物語の意味を理解したとき、この絵本が違って見えるのだろう。 最初と...
「かめんにとりつかれたねずみのはなし」 …仮面に取り憑かれたねずみの話。副題からして、なんだか不穏な予感… 可愛らしい画で描かれており、子どもたちにはその恐ろしさはわからなかったみたい。 もっと大きくなって、この物語の意味を理解したとき、この絵本が違って見えるのだろう。 最初と最後の同じ画。子どもたちと二つの場面の画を見比べて、一つだけ異なる箇所を見つける。それが、みどりのしっぽのねずみ。 あぁ、やっぱり夢じゃなかったんだ、と思う。過去はなかったことにはできないんだ。 ねずみたちは可愛らしいのだけど、油絵で描かれたその色合いが、不穏な雰囲気を醸し出しているようだった。 レオ・レオニさんは多くの作品を世に残されている。こちらはメッセージ性を感じる作品。他のレオ・レオニさんの作品も読んでいきたいな。
Posted by
〝森の奥の片隅で平和に暮らす野鼠たちがいた。ある日のこと、町からやって来た鼠にマンディ・グラというお祭りの話を聞いて、自分たちも仮面をつけて大いに楽しもう、ということになった。ところが、思わぬ事態が森中に巻き起こることに・・・〟レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳のコンビによる“緑の尻尾...
〝森の奥の片隅で平和に暮らす野鼠たちがいた。ある日のこと、町からやって来た鼠にマンディ・グラというお祭りの話を聞いて、自分たちも仮面をつけて大いに楽しもう、ということになった。ところが、思わぬ事態が森中に巻き起こることに・・・〟レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳のコンビによる“緑の尻尾”の鼠のお話絵本。
Posted by
これまで読んだ、レオ・レオニの絵本とは全く異なる、訳者の谷川俊太郎さんが書かれていた、彼の不安と、それ故のメッセージが読みとれるように思われた作品。 何も危惧することの無い平和な地で、穏やかに楽しく暮らしていた、野ねずみたちが、ある日、通りかかった街ねずみからマルディ・グラ...
これまで読んだ、レオ・レオニの絵本とは全く異なる、訳者の谷川俊太郎さんが書かれていた、彼の不安と、それ故のメッセージが読みとれるように思われた作品。 何も危惧することの無い平和な地で、穏やかに楽しく暮らしていた、野ねずみたちが、ある日、通りかかった街ねずみからマルディ・グラのことを聞いて、「ぼくらも やろう!」と勢いづき、その準備をして、夕方にはそれの再現が始まった。 野ねずみたちの様子がはっきりと変わりだしたのは、仮面を付けてからで、みんな仮面のそれに成りきって、お互いに叫んだり怖がらせたりしている間に、何故か自分たちのことを本当に恐ろしいけだものだと思い込み、それ以後もずっと疑心暗鬼で渦巻く、お互いのことを信じられない毎日が続いた。 衝撃的だったのは、その後みんなの前に現れた、ごく普通のねずみが、彼らには象のように大きく見えたことであり、ここでおそらく読み手は、「何をおかしなことを言っているのか」と思うのかもしれないが、その違和感が大事であることをレオニは訴えたいのだと、私は思い、これには笑えないものがあった。 「マルディ・グラ」というのは、フランス語で『肥沃な火曜日』の意味があり、謝肉祭の最終日にあたるその日は、苦行に入る前に派手に楽しんでおこうといったお祭りであり、そこには快楽の自粛とも捉えられながら、人間ならではの弱さも考慮してくれているように、私には思われた。 しかし、本書の野ねずみたちは、仮面を付けて自由奔放に楽しんでいる間に、マルディ・グラのことも少しずつ忘れ始め、やがては自分自身をも見失ってしまう結果となってしまった。そこに私はどんな状況に於いても、自分というものを維持することの大切さを感じられて、時には暴走するくらい楽しむのもいいけれど、ちゃんと戻って来られるくらいの自制心の必要性と、それがあるからこそ、周りの人達との共存も可能なのだということを、教えられたような気がした。 またレオニの画材についても、同じねずみを扱った「フレデリック」のコラージュとは異なり、本書は油絵で描いてあるのも現実的な立体感を出したくない、あくまでも夢物語であることを殊更に強調したくて、そうした、のっぺりとした描き方をしたかったのではないかと感じられたことに、彼の中の不安感があるように思われてならなかった。 そして、その不安感は、全く同じ絵に見える最初と最後の見開きに於いて、たった一箇所、致命的に異なる部分が、マルディ・グラの為に塗ってしまった『みどりのしっぽ』であることからも窺えて、どんな方法を尽くしても決して色落ちることの無かった、その意味するものとは、もう二度と同じ過ちを繰り返さぬようにと願いを込めた、神の温情なのかもしれない。
Posted by
図書館で「スイミー」と並んでいたこの本 スイミーの淡い色彩とは対照的で、どこかエキゾチックでダーク そして不穏な空気を感じる 平和で穏やかに暮らしていた、森の野ねずみたち。 ある日まちねずみから「マルディ・グラ」の話を聞く。 (マルディ・グラとは仮面舞踏会やパレード等が行われ...
図書館で「スイミー」と並んでいたこの本 スイミーの淡い色彩とは対照的で、どこかエキゾチックでダーク そして不穏な空気を感じる 平和で穏やかに暮らしていた、森の野ねずみたち。 ある日まちねずみから「マルディ・グラ」の話を聞く。 (マルディ・グラとは仮面舞踏会やパレード等が行われる盛大なカーニバル) すっかり話に夢中になった野ねずみたちは、 「ぼくらも、マルディ・グラを やろう!」 と、飾りつけや仮面をつくって準備する。 その仮面は、猛々しく恐ろしい獣の仮面だった… さぁ、いよいよマルディ・グラだ! ところが仮面をつけた彼らは、次第に自分たちがねずみであることを忘れ、歌も踊りも忘れ、本当に恐ろしい獣だと思い込んでいく。 それからは、憎しみと疑いの渦巻く毎日となってしまう… そう、この本の副題は、 「かめんに とりつかれた ねずみの はなし」 うわぁ~、コワイ! これは我々人間の醜い一面を指しているのではないか? 武装すれば争える。 顔出ししなければ相手を傷付ける言葉を吐ける。 そして題名「みどりの しっぽの ねずみ」って何? マルディ・グラでしっぽを塗ったねずみがいるのだが、その後どうしても色が落ちない。 これは、起きてしまった事実は決して消えない。 愚かな出来事を忘れるな。 ということでしょうか? ちなみにこの本の絵は、油彩だそう。 作品全体に漂う不穏な空気を、より重たく感じる気がする。
Posted by
レオ・レオニらしい作品だなーと思う。ただ私はもっと平和なやつのほうが好き。ありのままが一番、平和を愛する心…みたいなメッセージが込められた作品が多いなと思う。一貫性があって好きです。
Posted by
マルディグラの習慣がない日本の子どもにはわかりにくいかと思う。 仮面をつけただけで心まで変わってしまうことが1度目では理解できなかった。
Posted by
「アレクサンダとぜんまいねずみ」に続き、手に取った本。 谷川俊太郎氏の訳が素敵で、声に出して読むのがたのしい。
Posted by
特にこのネズミシリーズは人間社会の動物化が露骨で、皮肉ながらも、独特のセンスとリズムでニヒルな笑いへと昇華させられるレオ・レオニはさすが。
Posted by
これは戒(いまし)め、 私たちが二度と誤たぬように。 私たちが二度と見失わぬように。 私たちが二度と離れぬように。
Posted by
マルディ・グラのおまつりをまねたねずみたちのおはなし。 私はレオ=レオニのねずみたちといえば『フレデリック』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4769020023が頭に浮かぶ、貼り絵じゃない挿し絵がちょっと意外。 で...
マルディ・グラのおまつりをまねたねずみたちのおはなし。 私はレオ=レオニのねずみたちといえば『フレデリック』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4769020023が頭に浮かぶ、貼り絵じゃない挿し絵がちょっと意外。 でもおんなじ絵。 登場するのもフレデリックとおなじく、おとなしくあいらしい平和なねずみたち。 そのねずみたちが、まつりごっこをしてみたところから歯車がくるいはじめる。 おそろしいものに仮装してうなりあうまねごとが、いつのまにかほんとうのように思えてしまう。 ロールプレイが現実にはみだしてくる。 「仮想敵」を本当に憎むみたいに。 けっこう怖いことを描いているな。 でもお話も絵も、こどもをおどしすぎないラインを守ってる。 忘却するけど痕は残る。 最初と最後の絵が良い。
Posted by
- 1
- 2