1,800円以上の注文で送料無料

村上春樹にご用心 の商品レビュー

3.9

48件のお客様レビュー

  1. 5つ

    8

  2. 4つ

    20

  3. 3つ

    12

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2009/10/04

わかりやすい、村上春樹へのとっかかり。 何よりも、著者が村上氏を好きであることが伝わってきて、いい。 「死者」とハイデガーの『存在と時間』をからめる発想や、思いつきですさまじいことを言い出すなと想う。 思考回路どうなっているんだろう。羨ましすぎる。

Posted byブクログ

2009/10/04

村上春樹も内田樹も好きであるという人には面白いとおもう。目から鱗である。今陸上400メートルリレーで日本が銅を取った。おめでとう。

Posted byブクログ

2009/10/04

まあ、面白かった。ブログにバラバラにかかれたものなので、散漫さはあるものの、「センチネル(歩哨)」という役割を村上文学は引き受けている、というところはとても共感した。

Posted byブクログ

2009/10/04

内田樹氏の本は初めて読んだが、所々に難しい記述があったものの全体的には読みやすかったと思う。 また村上春樹氏の小説を読み返したくなった。

Posted byブクログ

2009/10/04

著者のブログや雑誌で書いた文章を集めたということでなんとなく割り切れない感は残るのだけど。雪かき仕事は大事です。

Posted byブクログ

2009/10/07

内田樹の書いたものを読むことはとてもスリリングな経験である。スリリングといってもジェットコースターに乗って「あぁぁー」と叫ぶ類の楽しさを伴った経験というわけではない。内田樹の取り上げるテーマについて自分の考えている由無しごとが如何に考慮不足であるかをビシッと指摘されることに対する...

内田樹の書いたものを読むことはとてもスリリングな経験である。スリリングといってもジェットコースターに乗って「あぁぁー」と叫ぶ類の楽しさを伴った経験というわけではない。内田樹の取り上げるテーマについて自分の考えている由無しごとが如何に考慮不足であるかをビシッと指摘されることに対する恐怖感を伴った経験なのだ。 だから内田樹が一度でも自分が考えをめぐらされたことのあるテーマについて語る時、批評家のサービス精神旺盛な文章を楽しむより前に恐怖感の方が先行してしまう一方で、自分が何の意見も持たないテーマについて評論が記される時、比較的安心して文章に没頭できる。例えば、中国論は気楽に読めた。しかしユダヤ論は哲学者内田樹の本領発揮という感じで恐怖に耐えるしかなかった。その意味において村上春樹をめぐる批評は自分にとって安全地帯である筈だった。自分は村上春樹とほぼ無縁で生きてきたからである。 村上春樹が話題になる前後、自分はヘッセとクリスティばかり読んでいた。特にヘッセは、川上弘美がどこかで指摘していたが新潮文庫の外国文学では一番が振られていて書店の棚を端から読み倒してやろうとする無謀なものにとっての入り口となっていたように思う。そこから先へ進むこともなく(もう一方で早川の並び「ア」で捕まって)そればかり読み倒し、そこから他の書店から出ている同じ著者の本を漁り、自分のイニシャルがヘッセと同じ文字を含むことをいいことに薄水色のカバーに書かれたヘッセのサインを真似て練習したりしていた(それなのに今なにも覚えていないのが悲しいが)。 その後は技術書ばかり読む生活を送り、村上春樹を読むようになったのは「象の消滅」からで、そんなに思い入れもないことから安心して読み始めたのだが、それはとんでもない誤解であった。 村上春樹論を通して自分の無思慮さ加減がビシビシと指摘される。グサグサと刺さってくる内田樹の言葉をうんうん唸りながら受け止める。それでも内田さんの展開する論理的批評に納得させられてしまう自分がいる。最近、リービ英雄の「千々にくだけて」を読んで感じたこと、言葉をスイッチすることによって変わってしまう何かについて考えたことが、より鮮やかに説明されているのを発見して、ぐぅ、と唸る。そうそう、そういうことが言いたかったんです内田先生。 数少ない村上春樹体験を通して感じていた低温さ(あるいはそれが翻訳された外国文学を意識したスタイルということかと思っていたが)「死」ということと密接に繋がっているという指摘を受けて、そうかと一人感心する。そんなジェットコースターを降りた後のような、脳も身体も痺れさせてくれる内田樹の書いたものを好きにならずに居られない自分の性をとても恨めしく思う。

Posted byブクログ

2009/10/04

最高!!好きな人×好きな人という感じ。まさに夢のコラボレーション…。最近、ハズレの本が多かったので、余計にそう思う。私の好きな作家が、これまたこの人の書く文章好きだ、と思う内田氏によって語られる。文句なし。ただ、これに対して何も反論めいたことが言えない自分が悲し。

Posted byブクログ

2020/07/15

自分は、村上春樹氏の作品は、とても好きな作品と、あまり好きではない作品の2種類に分かれる。これまで、あまり好きではなかったのは、抽象的で、何が言いたいのかわかりにくいタイプの作品だ。 しかし、この本から、今まで好きでなかったタイプの作品は、そもそも自分の読み方の、アプローチの方向...

自分は、村上春樹氏の作品は、とても好きな作品と、あまり好きではない作品の2種類に分かれる。これまで、あまり好きではなかったのは、抽象的で、何が言いたいのかわかりにくいタイプの作品だ。 しかし、この本から、今まで好きでなかったタイプの作品は、そもそも自分の読み方の、アプローチの方向が違っていたから、その真意が理解出来ていなかったのだと気づかされた。 本の中で、「村上春樹が世界各国で受け入れられる理由」について、特に見事に表現していると思ったのは、次の部分だった。 村上文学がそのローカルな限界を突き抜けることができたのは、存在するものを共有できる人間の数には限界があるが、存在しないものを共有する人間の数に限界はないということを彼が知っていたからである。(p.90) なるほど!と感心した。 「ルビンの壺」という、壺にも、向かいあった2人の顔にも見える絵があるけれど、あの絵のように、一つの事象を表現するにも、表と裏との、2通りのアプローチがある。壺をそのままストレートに表現する方法もあれば、向かい合った2人の顔を描くことで、壺を浮かび上がらせることも出来る。 村上春樹は、失われたもの、もはや存在しないものについてひたすら積み上げて描くことで、そうではないものを表現するという手法を取っていたのだ。 羊男が作品の中で言う、「意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」というセリフはそのまま、村上春樹の作品の読み方についてのガイドなのだと思った。 それを理解した上であれば、今まで意味がわからないために面白くないと思っていた部分の見え方も随分違ってくるのだろうと思う。新たに得た視点をもって、再び村上作品を読み返してみたいという気にさせる本だった。 仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。というのが村上文学の「教訓」である。それだけだと、あまり文学にはならない。でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラを帯びるようになる。(p.67) 他の人々が単なる指示的機能しか認めないセンテンスに、私だけが「私あてのメッセージ」を聴き取るということが倍音的エクリチュールの構造なのである。(p.113) 「眼高手低」という。創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてはたいした仕事はできない。これはほんとうである。(p.164) 家族というのは誰かが抜けないと、誰かが入れない「椅子取りゲーム」に似ている。つねに「誰かが足りない」という感じを共有する人々、実はそれこそが家族なのだ。(p.231)

Posted byブクログ