それでも、ゆとり教育は間違っていない の商品レビュー
著者、寺脇研さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は、日本の元文部官僚。学校法人瓜生山学園京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)教授、学校法人瓜生山学園理事。学校法人コリ...
著者、寺脇研さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は、日本の元文部官僚。学校法人瓜生山学園京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)教授、学校法人瓜生山学園理事。学校法人コリア国際学園理事。映画評論家。 官僚時代にはゆとり教育の広報を担った、ゆとり教育推進者の一人。福岡県福岡市出身。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 世間のゆとり教育批判に沈黙を守ってきた推進者が渾身の反論 政府の教育再生会議で〝ゆとり教育〟の見直しが議論される中、著者自ら企業の採用現場を訪ね、若者との交流を通して現在求められる人物像を探る。さまざまな教育現場を考察。 ---引用終了 本書の「はじめに」を読むと、著者は、2006年11月に文部科学省を去ったとのこと。 当時、54歳になりますので、志半ばであったと思われます。 なお、学力低下などの理由で、ゆとり教育の是非が論じられたのは、2000~2002年頃になるようです。
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ゆとり教育のスポークスマン的役割を果たしてきた著者と、多様な教育実践を行っている人との対談をまとめたもの。 これを読むと、ゆとり教育を呼ばれるものが、実行可能性を伴ったものでなかったことがよくわかる。 理念は正しい(一定程度の合理性がある)が、それを具体的に実行する教職員の側に備えがなく、理念だけを教育現場に下ろしていったという印象を持たざるを得ない。 理由は簡単。本書が考えているような教育は、マニュアル化が難しく、一対一対応が求められるもので、ゆとり教育の実行には、相応の人員手当てが不可欠と考えられるからである。
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「ゆとり教育」という言葉の雰囲気だけでその内容を判断せず自分の頭で考えるきっかけになる本。著者の寺脇研よりもその周辺でインタビューされている人たちの方が数倍魅力的でした。
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「ゆとり教育という言葉が適切ではない」という旨が書いてあった。 まったくそのとおりで、どちらかと言うと、 キャリア教育とか自己実現のための教育とか。 文科省で信念を持って、教育改革をされていた方がいたという ことに感動した。というよりも、いわゆるゆとり教育に魂があったというか。 私自身、ギリギリゆとり世代ではないが、 だからこそ感じることがたくさんある。 つめこみ型の教育のレールにのってきたがために、 大学をなんとなく選び、そうこうしているうちに、 就職活動で業界を絞れず、将来やりたいことを言うことができない。 圧倒的に社会とのつながり不足の環境の中にいたからだと思う。 そんな従来の日本の教育が、現代において果たして正しいのか。 ゆとり教育ってそういうこと。 日本が向き合うべきこと。 「ゆとり教育は間違っていた」 私だってそう思っていた。 マスコミの伝え方で一般人の頭は作られ、 本質、真意が全く世間に伝わらないこの体制である限り、 政治もそうだけど、古い体質・考えから抜け出せない。 それでも、ゆとり教育は過去の教育から一歩踏み出している。 結果が出るのには時間がかかる。特に教育は。 政治は、世論でひっくり返りやすく、ふらふらしているけど、 ゆとり教育には踏ん張って信念を持って頑張って欲しい。 とすら考えるほど、マスコミのフィルターをかけて 私が理解していたことが180度変わった。 対談の内容に少しいやらしさを感じたが、 強烈なメッセージが詰まっている。
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この人の話を講演で聞く機会をもらって、教員になろうと思った。だから、文部科学省をやめた時、そして、一生懸命スポークスマンされていたことをどう考えているんだろうって気になったから読んだ本。
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元文科省の役人がこういうタイトルで本を書いたこと自体が驚きで、まして「ゆとり教育」推進の最前線にいた人が、教育政策が軌道修正されつつある今、職を辞した上でこういうことを言うと、どうしても反動的なイメージを持ってしまう。 このタイトルになっている提言が妥当かどうかと言えば、個...
元文科省の役人がこういうタイトルで本を書いたこと自体が驚きで、まして「ゆとり教育」推進の最前線にいた人が、教育政策が軌道修正されつつある今、職を辞した上でこういうことを言うと、どうしても反動的なイメージを持ってしまう。 このタイトルになっている提言が妥当かどうかと言えば、個人的には何とも言えないと感じた。個々の教育に関する取り組みに、「ゆとり教育」というレッテルを貼り付けることにはほとんど意味がないし、第一「ゆとり教育」という言葉自体が、ほとんど否定的なニュアンスが貼り付けられている言葉であるからだ。 別の言い方をすれば、ここで取り上げられているさまざまな取り組みや、それを成し遂げている人たちは本当にすばらしいと思う。読んでいて感動してしまった。ただ、それが「ゆとり教育」と呼ばれているものなのかと言えば、どうもそうではないような気がするのだ。つまり、いわゆる「ゆとり教育」という言葉の持つ意味合いと、個々で取り上げられている実践の持つ意味は、おそらくずいぶんずれている。 作者が言いたいのは、おそらくそういうことだ。この本で取り上げられているようなすばらしい取り組みを、日本全体に広げていきたいという試みが、いくつかの理由から全体的には理解されず、結果として表面的な部分や誤解された部分のみが「ゆとり教育」というレッテルを貼られて批判の対象になっているのではないか。本当にやりたかったのはこういうことなんですよ、ってことだ。 それはよくわかる。作者の悔しさに共感も出来る。が、その一方で「だったら、もっとさあ」と言いたい気持ちもある。まあ、この話には、今のところ深入りを避けておきたい。 純粋に思ったのは、教育をまじめに考え、さまざまな形で試行錯誤を繰り返しながらすばらしい取り組みをしている人がたくさんいるのだなあと言うこと。陳腐なテレビコメンテータの言葉や、安易に感動を押しつける「青春ドラマ」よりも、こういうきちんとした取り組みをたくさんの人が知ってくれれば、「日本って国の将来も、そう悪いものではないかもしれないな」って思えるのではないだろうか。
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