考えるヒント 新装版(2) の商品レビュー
忠臣蔵に見る高学歴ワープアの怨念
忠臣蔵という老害イビりテロ事件の戯曲がなぜこんな当たったのだろうか、なんであんなに長らく受け続けたのか、後世からすれば不思議である。しかし小林秀雄の「考えるヒント2」をまさにヒントにして現代と照らしあわせればなるほど分かりやすい。 武士は位は高かった。マルクス史観に基づく士...
忠臣蔵という老害イビりテロ事件の戯曲がなぜこんな当たったのだろうか、なんであんなに長らく受け続けたのか、後世からすれば不思議である。しかし小林秀雄の「考えるヒント2」をまさにヒントにして現代と照らしあわせればなるほど分かりやすい。 武士は位は高かった。マルクス史観に基づく士農工商がどこまで本当か分かったもんじゃないが、位は高かった。でも位は高いと言ってもガッチリした身分制というより「Fランでも大卒は大卒」みたいな感じだったように思われる。というかマルクスも階級は上下じゃなくて単にプログラミングのように○○クラスと定義しただけだったのだが、そんなことはどうでも良い。 ただし戦の全然ない天下泰平の時代なので、忠君の義や刀の存在は既に形骸化しつつあった。「何が武士だよただの官僚じゃねえか、地方公務員じゃねえか」といった有り様だった。おまけに夕張市のようにお取り壊しになれば、地方公務員ですらなくなる。食い扶持に困った浪人には番傘作りしか仕事がない。由井正雪は「無敵の人」になってテロを起こそうとしたがうまくいかず腹を切って死んだ。石濱朗は「派遣社員にさせてくれなきゃ腹切るぞ!」と庭先に居座ったが三国連太郎と丹波哲郎に「だったら本当に腹を切れ」と言われ切腹させられた。仲代ブチギレである。 このような浪人から刀を質草に巻き上げたり、金を貸したり物の売買の利ざやで私腹を肥やしブイブイやってヒャッハーとイキリ散らしてたのが商人であった。位は低いがポジションとしては最強だった。貧困ビジネスボロ儲けである。「商人調子にのりすぎやろ」と当時の物書きは記録に残した。でもそんな物書きや芸人も商人の旦那に食わせてもらってたりしてた。商人最強。 高学歴ナードコミュ障理系を差し置いてコミュ強DQNどもが若い女を食い散らかしたように、「読書をする人だけがたどり着ける場所」を真に受けて一生懸命ご本を読んでる秀才を尻目にyoutuberや転売屋、情報商材師どもが荒稼ぎしまくってるように、当時の商人はまさに武士を凌ぐ破竹の勢いであった。江戸の独身率は驚異の50%であり、そのダメダメさ加減は「おまいら」「おいら」と何ら変わりなかった訳である。そら春画も流行るわな。 小林秀雄曰く元禄の時代は「形の上でのカーストは一応高いといえど主君家臣の関係も形骸化してしまってる武士」と「銭を手にして今まさにナオンも地位も手に入れつつある商人」が、バチバチと火花を散らしていた時代だったからこそ近松門左衛門や井原西鶴のような「おもろい」文化が花開いたのだという。 赤穂浪士事件そのものは、ヒスを起こした浅野匠と御家のお取り壊しで食い詰めた浪人どもの逆ギレ老害抹殺テロ事件であり、それ自体は取るに足らんものであった。 しかしこの事件は戯曲化されて当たった。当時の武士や庶民に刺さりまくった。なぜか。 それは位もエートスも形骸化し、商人に勢いも押され食うのにも困ってた浪人、武士たちが「かつての御恩と奉公、忠君の関係が成立していた鎌倉~戦国時代のあの頃の、武士が武士だった時代のおもひで」を投影する対象として、絶好の素材だったからである。 天下泰平でご自慢の武道を見せびらかす機会もない。お取り壊しや御家断絶で浪人が出まくり、番傘作りしか職がないようなワープアに成り下がり、イキリ散らした商人たちに利子を取り立てられ、刀を質草として取られる、例え運良く飯を食えてたとしてもただの雇われリーマンであり戦をやって刀をブン回してるわけでもない。そんな情けねえ状態に陥ってるからこそ武士達は「かつてのあの主君と家臣の御恩と奉公の関係が成立してた、あの武士が武士だったゴールデンエイジのおもひで」のでっち上げと投影に血眼になり必死になった訳である。かくして浪士たちの食い詰めたあげくのやけのやんぱちのテロは「主君を慕った忠君武士の義」として美化されめでたく「武士道」となったのであった。 言うなれば食い詰めた挙げ句、女ともヤらせてもらえない、おまんまとomankoのダブルパンチ食い上げをくらった高学歴ワープアどもが「教養がビルドゥングスロマンとしてまだ生きてた、あの頃の古き良き旧教養主義のおもひで」の投影として「君たちはどう生きるか」を御輿に担いだようなもんである。 そしてそんなワープア武士どもの怨念は時を超え西南戦争、226を経て大東亜戦争によって暴発することになる。でもそれはまた別の話。
本は落ちるナイフ
学生の時読んで以来、久しぶりに読んだ。特に2巻の「信じることと知ること」の話が最初に読んだ時からずっと頭に残っていた。信じるということの次元と、実際のデータによる分析の世界の次元との違和感について考えさせられた。
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一文一文それぞれに深い意味がある(と思う)。全部は理解できなかったが、勉強になったことはたくさんあった。修行を積んだらまた読みたい。
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復讐と法律のこと。 菊池寛「或る抗議書」を挙げて、社会的政策の合理性合法性が、隠してしまったものについて言及する。 主人公にとって憎悪と切り離せない出来事が、法律によって死刑と名付けられ、また教誨師によって加害者は救われながら死んでゆく。 遺族的感情というものを、どこまでを切...
復讐と法律のこと。 菊池寛「或る抗議書」を挙げて、社会的政策の合理性合法性が、隠してしまったものについて言及する。 主人公にとって憎悪と切り離せない出来事が、法律によって死刑と名付けられ、また教誨師によって加害者は救われながら死んでゆく。 遺族的感情というものを、どこまでを切実に感じられているのだろう、どこまでをシステムに預けてしまっているのだろう。 個性のこと。 「ある人の個性とは、その人の癖でもなければ才能でもないだろう。変った癖も面白そうな意見も、個性の証しとはなるまい。ある人の個性は、その人の過去に根を下しているより他はなく、過去が現に自己のうちに生きている事を、頭から信じようとしない人に、自己が生きて来た精神の糸を辿ろうとする力を放棄して了う人に、個性の持ちようはないわけだ」 いやあ、じいんときた。感謝。 常識のこと。 久々にデカルト。 直観的に分かるということ、つまり、こうじゃないかという結果があって、そこから辿っていくこと。 学問として、自分たちで拵えたようなことから答えを導いていくのではないということ。 コモン・センス、ずっと追っているけれど、まだまだ見えない(笑)
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「考える」ことについて、雰囲気では許されない、徹底的に考えることを求められる、のはわかる。ただ、やはり時代背景が違いすぎて、四書五経をもとにされてもなかなか難しいので、ただ、その精神を学ぶ、ややコスプレ的な「考える」になってしまうのが申し訳ない。
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一読したが、2割程の内容しかまともに読めなかった。考えるヒントを得る段階まで、しばし補填が必要。十二分に個性的な人物を取り上げているので、一般論として読むことはできない。
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小林秀雄 「 考えるヒント 」 荻生徂徠を中心とした江戸思想に関する随筆。考えるヒントとして、江戸思想家の思索、内観を取り上げている。1より 各随筆に共通性があり 面白い 徳川期の儒学、朱子学=思想上の戦国時代 *当時の学問は 学というより芸→邪説を含めて広い読書は不可能→古言...
小林秀雄 「 考えるヒント 」 荻生徂徠を中心とした江戸思想に関する随筆。考えるヒントとして、江戸思想家の思索、内観を取り上げている。1より 各随筆に共通性があり 面白い 徳川期の儒学、朱子学=思想上の戦国時代 *当時の学問は 学というより芸→邪説を含めて広い読書は不可能→古言の吟味→読みの深さ、自得、内観が重要 山鹿素行〜自分の歴史家としての成熟と開眼 *耳を信じるな=聞こえてくるままの知識に頼るな *目を信ぜよ=心の目を持て→史眼とは心眼のこと 荻生徂徠 *学問は歴史(伝統)に極まる=学問するとは 歴史を生きること→自己の歴史的経験を明らかにすること *注に頼り早く会得することは 自己の発見が生まれない *孔子は 確かな物(仁、徳など)を好み〜これを行うことによって 智を成した→智により物を得たのではない→知るより行うのが先 徂徠「弁名」 *学問は先ず言語の学であるべき=言語の究明 *物あれば名あり→聖人が 道 という名を発見した *道とは 形のない物、定義できない物全体の統名 *聖という名を弁じて 聖とは 作るという行為を指す名
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このメモページのタイトルそのままである 知識の量を理解しようと時間をかけている端から読み終えた分を忘れていく たぶんこの1冊を繰り返し読み続けて飽きない自信がある 1冊読み通すまで寝ずにいられる自信はない 今後もこの本を自身に役立てられない確信はある
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読めば読むほど味わい深い。 フロイトの理論を歪めた後継者たち、それを尊ぶ現代知識人の愚かさ、デカルトの方法叙説を私の方法と訳し、敷衍した常識についても目からウロコ。小林秀雄の認識の源泉はどこにあったのか。そこが知りたいところである。 “復讐という言葉の発明は、正義という言葉の...
読めば読むほど味わい深い。 フロイトの理論を歪めた後継者たち、それを尊ぶ現代知識人の愚かさ、デカルトの方法叙説を私の方法と訳し、敷衍した常識についても目からウロコ。小林秀雄の認識の源泉はどこにあったのか。そこが知りたいところである。 “復讐という言葉の発明は、正義という言葉の発明と同時であった。” “イデオロギイとは文字通り、観念の形体であって、その中身を空っぽにしなければ得られなないものだ。又、事実、思想は、その中身を失い、社会通念として流通して、はじめてわかり易い、眼につき易い形を取るものだ。” “素行や仁斎の古学と言い、狙徠の古文辞学と言い、近代的な学問の方法というようなものでは、決してなかった。彼等は、ただ、ひたすら言を学んで、我が心に問うたのであり、紙背に徹する眼光を、いかにして得ようか、と肝胆を砕いたのである” “理屈はどうでも付くとは、理屈本来の性質なのであり、理は独り歩きして、世界に無レ之ところに行っても、理は理なので理を言い、智を喜ぶより、生きる方が根底的な事だ、知るより行うのが先きである、これが徂徠の基本的な思想であった” “深い思想ほど滅び易い、と言っても強ち逆説ではなかろう。実際、人が、或る思想を人間的と呼ぶ時は、まさしくそういう事を指している” “忍耐とは、癇癪持ち向きの一徳目ではない。私達が、抱いて生きて行かねばならぬ一番基本的なものは、時間というものだと言っても差支えはないなら、忍耐とは、この時間というものの扱い方だと言っていい。時間に関する慎重な経験の仕方であろう。忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意を持つ事だ。円熟とは、これに寄せる信頼である。忍耐を追放して了えば、能率や革新を言うプロパガンダやスローガンが残るだけである” “常に見られる進歩派と保守派との対立は、伝統の問題には、恐らく何んの関係もあるまい。両者が争っている対象は、伝統というよりむしろ怠惰な精神にも自明な習慣というものだ、と言った方がいいだろう。” “意識が、眼に見えぬ無意識という心的エネルギイに条件付けられたものなら、眼に見えぬという理由にならぬ理由で、神聖視されていたような精神的価値など、もう何処に住んでいいか解らぬ。” “ニュートンは、いったん世界が成立した後は、世界は力学の原理に従って運動しているが、世界をかくの如く成立させた力を、この原理自体から導く事は出来ない事をはっきり知っていた。この物質的とも非物質的とも決め兼ねる力を、彼は全知全能の神に帰した。” “ペインという社会革命家は、コンモン・センスという理想をかかげた、と言っても過言ではあるまい。アメリカ独立という理想について、自分は、煽動的言辞も煩瑣な議論も必要としていない、誰の眼にも見えている事実を語り、誰の心にも具っている健全な尋常な理性と感情とに訴えれば足りる、そういう考えから、ペインは、その革命文書に、コンモン・センスという標題を与えたに相違ない” “古人の書物ばかり有難がっている人々より、誰にも備っている凡そ単純な分別だけを働かせている人々の方が、私の意見を正しく判断するだろうと思うからだ」と。そして重ねて言う。「私が、私の審判者と望むものは、常識を学問に結びつける人達だけである」と。” “「出来る限り」という言葉は、デカルトの著作に、屡々使われているが、この意味は、大変はっきりしたものなので、人間に可能な限りという意味なのだ。そこには、制限された人間という存在に関する彼の鋭い意識が、いつも在るのです。” “私達が常識という言葉を作った以前、私達は、これに相当するどういう言葉を使っていたかというと、それは、やはり生活の知恵を現す「中庸」という言葉だったろうと思う。” “人間に出来る事は、天与の知恵を働かせて、生活の為に、実在に正しく問う事だ。実在を解決する事ではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい解答は得られはしない。”
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私達は皆、物と物の名を混同しながら育って来たのだ。物の名を呼べば、忽ち物は姿を現わすと信ずる子供の心は、そのまま怠惰な大人の心でもある。歴史家達が、歴史を解釈し、説明する為に使用する言葉の蔭に、何かがある、その何かがあるという事と、彼らがどんな言葉を便宜上選ぶかという事とは全然関...
私達は皆、物と物の名を混同しながら育って来たのだ。物の名を呼べば、忽ち物は姿を現わすと信ずる子供の心は、そのまま怠惰な大人の心でもある。歴史家達が、歴史を解釈し、説明する為に使用する言葉の蔭に、何かがある、その何かがあるという事と、彼らがどんな言葉を便宜上選ぶかという事とは全然関係のない事である。 出来上がった知を貰う事が、学ぶ事ではなし、出来上がった知を与える事が教える事でもなかろう。質問する意思が、疑う意思が第一なのだ。
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