沖で待つ の商品レビュー
おすすめです。
第134回「芥川賞」受賞作品。会社の同期の太っちゃんが死んだ。かねてからの約束を守るため、私は彼の部屋に忍び込む。「仕事」をする意味、仕事を通じた関係だから育まれた感情。働く人の、心に響く物語……です。
abtm
しょーもない見合い相手と会ってしまう話と、新卒からの同期が死んでしまった話。全国に拠点のある会社の営業部のリアル。「沖で待つ」はいい話だったな~。
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勤労感謝の日 こっちの方が好き からっとしてて、さくっと読める なんか良い また読み返したい 沖で待つ 勤労感謝の日とは語り口も違って丁寧で、違和感あったけど馴染んだ。 読んですぐ、えっファンタジー!?って思ったけどそこは重要じゃなかった 会社って嫌だけど良いなあって矛盾なことを思った 好きな本になった
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表題作を含む2篇の短編集。 勤労感謝の日は無職の女性の被害妄想のような負い目とそこから生まれる目に映る全てへの攻撃性とイライラするけれどなんだか身に覚えのある精神構造。 ちょうど良い心を置いておける関係がこの店にはあるのだと思う。 沖で待つは男女間の友情とそこで交わされる互いのP...
表題作を含む2篇の短編集。 勤労感謝の日は無職の女性の被害妄想のような負い目とそこから生まれる目に映る全てへの攻撃性とイライラするけれどなんだか身に覚えのある精神構造。 ちょうど良い心を置いておける関係がこの店にはあるのだと思う。 沖で待つは男女間の友情とそこで交わされる互いのPCを死んだら破壊する約束を遂行する話。 沖で待つの意味は最後にわかるけれど、なんだか丁度主人公の状態ともあっていつ死んでもいいから今でなくてもと感じたのではと読めた。 海は暗いの明るいのか、そこで待つ船を想像する。その船に乗らなくても見ているだけでも良いと思える。
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「勤労感謝の日」 主人公がサバサバ系女子で会話のやりとりが面白くてさらっと読めた。 後輩女子水谷のカイコの話も面白かった。 「沖で待つ」 男女の同期で長い付き合いができるっていいなと思った。
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面白かったです 一気に読みました 一人称で語られるテンポの良い文書が好きです 『勤労感謝の日』おかしみがあり笑えました 三浦しおんさんみたい
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一気読みでした。 「勤労感謝の日」 社会の中で揉みくちゃにされ、でもうまくいかなくて、そんな狂おしい一人の女性の気持ちが、生々しく描かれていました。文章のスピード感がハンパなかったです。 「沖で待つ」 同期採用が同じ職場にいなかったので、「同期」という言葉が、とても新鮮に響き...
一気読みでした。 「勤労感謝の日」 社会の中で揉みくちゃにされ、でもうまくいかなくて、そんな狂おしい一人の女性の気持ちが、生々しく描かれていました。文章のスピード感がハンパなかったです。 「沖で待つ」 同期採用が同じ職場にいなかったので、「同期」という言葉が、とても新鮮に響きました。男女の友情が羨ましくもありました。 淡々と進む文章の中に、一人の人を想い慕う心があふれていてグッときました。
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「沖で待つ」と「勤労感謝の日」2作品。働く人たちの話。ズバッと痛快でどっちもいい。同期の特別感ちょっとわかる。友達じゃないけど割と深い。同志みたいな。でも仕事を変わるとあんまり会わなくなったりする。それでもずっと心に居続ける不思議な人たち。 「勤労感謝の日」で主人公が「夜を買った...
「沖で待つ」と「勤労感謝の日」2作品。働く人たちの話。ズバッと痛快でどっちもいい。同期の特別感ちょっとわかる。友達じゃないけど割と深い。同志みたいな。でも仕事を変わるとあんまり会わなくなったりする。それでもずっと心に居続ける不思議な人たち。 「勤労感謝の日」で主人公が「夜を買った」っていうの、とてもいい表現だなと思った。自分の時間や人生は自分で自分のものにできる。そうそう。いつだってそうありたい。そうあれよ。自分でやりくりしていく。絲山さん、好きな感じだった。おもしろかった。
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ひじょうに好きでした 「勤労感謝の日」は、いろんな怒りや恥を抱えて鬱屈したユーモラスな無職の主人公の一日の話で、最後居酒屋のマスターとの会話がとってもよかった 「沖で待つ」は、恋愛ではなく、友情とも違う、同じ年に同じ仕事を始めた仲間という「同期」の不思議な関係性を描いていました、...
ひじょうに好きでした 「勤労感謝の日」は、いろんな怒りや恥を抱えて鬱屈したユーモラスな無職の主人公の一日の話で、最後居酒屋のマスターとの会話がとってもよかった 「沖で待つ」は、恋愛ではなく、友情とも違う、同じ年に同じ仕事を始めた仲間という「同期」の不思議な関係性を描いていました、死んだあとに出てきてくれたのは、自分が死んで、相手のHDD破壊が遂行できなくなったから、やばいことなる前にやめときなというのを言いにきてくれたのかな どちらの話も好きでした
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『勤労感謝の日』(初出二〇〇四)『沖で待つ』(初出二〇〇五)の短編二篇。どちらも総合職として入社した経験を持つ三十代女性が主人公の話。物語の焦点も文体も互いに異なる二篇だが、当時の女性総合職の生きるさまをありありと見せてくれるところは共通している。 これがまた、上野千鶴子のミ...
『勤労感謝の日』(初出二〇〇四)『沖で待つ』(初出二〇〇五)の短編二篇。どちらも総合職として入社した経験を持つ三十代女性が主人公の話。物語の焦点も文体も互いに異なる二篇だが、当時の女性総合職の生きるさまをありありと見せてくれるところは共通している。 これがまた、上野千鶴子のミソジニー本(『女ぎらい』)の直後に読むという乙なリレーをしてしまったから、もはや“ミソビュー”でしか読めない。テトリスをひたすらやりまくったあとに、周りの何を見ても並べて消したくなるあの現象さながらに、周りの何を見てもミソ度測定してしまう感じ。 この二冊を図書館で同じタイミングで借りたのは本当に偶然なのだが、上野千鶴子本の中で『沖で待つ』のほうは脱ミソジニーの兆しが見える作品のひとつとして言及されていた。ミソジニーのもとでは、男女の友情は「成り立たない」に決まっていたが、『沖で待つ』には男女の友情が描かれている、と。それでいうと、作中の男女同期の友情だけでなく、男の先輩との関係もミソ度が低い。 ただまあ職場の人間関係というのは、共に達成しなければならないミッションがあるから、その達成のために良好な関係を築こうという動機付けが働くところもある。仕事をして生きていく者にとっては、「仕事がきっかけで生涯の友達に出会えた」と「仕事でもなければ友達になんてなってなかった」の差に意味はない。仕事だろうが、男女だろうが、同じ人間同士出会ったのなら、一方がではなく双方が楽しい(それが無理ならせめて「苦しくない」)関係を築き維持したい、それだけだ。ミソジニーの世界では、女は男からみたら対等な人間ではない。 『勤労感謝の日』の主人公は、ミソ度百パーセントの人たちに囲まれこれに抗っている。上野千鶴子によるフェミニストの定義「ミソジニーへの“適応”をしなかった者たち」そのものだ。作中にあった「総合職をやめた女に共通する脱力じみた孤独感」という言葉が忘れられない。
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