自動車の社会的費用 の商品レビュー
Ⅲ「自動車の社会的費用」のうちの3「新古典派の経済理論」と4「社会的共通資本の捉え方」、5「社会的コンセンサスと経済安定性」あたりは、経済学の理論の紹介が主な内容で、いささか難しいところもあった。 クルマ社会を「社会的費用」という観点から」捉えるという視点は、なかなかおもしろいと...
Ⅲ「自動車の社会的費用」のうちの3「新古典派の経済理論」と4「社会的共通資本の捉え方」、5「社会的コンセンサスと経済安定性」あたりは、経済学の理論の紹介が主な内容で、いささか難しいところもあった。 クルマ社会を「社会的費用」という観点から」捉えるという視点は、なかなかおもしろいと思う。
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昭和の時代にこれだけ自動車が繫栄して社会的に損がでるということを警告していたのは素直に感心しました。また、社会的費用というものをどういうプロセスで算出するかもとても参考になります。
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自動車によって様々なことが便利になり、経済も車がないと成り立たない状態になっている しかし、自動車を優先し過ぎることによるデメリットもあり、自動車を使用する環境や制度は本当に人のためになっているのかを考えさせられた 確かに日本は自動車優先が当たり前みたいな環境
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自動車の社会的便益と社会的費用を比較して、社会的便益が上回れば望ましい公共投資として採択されるという新古典派の経済理論に基づく費用=便益分析は、所得分配の不平等化を引き起こす。また、従前の社会的費用の計測の試みは、人間を経済的側面でのみ捉えようとする考え方だった。筆者は、市民の...
自動車の社会的便益と社会的費用を比較して、社会的便益が上回れば望ましい公共投資として採択されるという新古典派の経済理論に基づく費用=便益分析は、所得分配の不平等化を引き起こす。また、従前の社会的費用の計測の試みは、人間を経済的側面でのみ捉えようとする考え方だった。筆者は、市民の健康・安全歩行の権利が侵害されないように、予め社会的費用が発生しないようにした上で、その社会的便益と建設・管理費用とを比較することによって、公共投資の配分が決定されるべきという。原発などあらゆるものに応用できる考え方だと思う。
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同時期に発売されたシューマッハーの『スモールイズビューティフル』と土地の扱いに関する提案でほとんど同じことが書いてあったことに、そしてこの提案が今ほど必要な瞬間もないと痛感することに、驚き。 多くの人に読んでほしい。
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特に印象に残った部分 → 近代社会を支えている社会的自由の原則は、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の自由が存在しうるということを、一方では意味していた。ところが、自動車の普及によって、この社会的自由の原則は崩壊しつつあり、またこのことが自動車のいっそうの普及をたすけるという...
特に印象に残った部分 → 近代社会を支えている社会的自由の原則は、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の自由が存在しうるということを、一方では意味していた。ところが、自動車の普及によって、この社会的自由の原則は崩壊しつつあり、またこのことが自動車のいっそうの普及をたすけるという悪循環がおきてきた。(P171) 日本が経済的に大きく成長した時代に損なわれたものの縮図が自動車産業において強く現れていたのだろうか。 経済的な成長を優先し、人々の生活や環境を犠牲にするとは皮肉な結果と言わざるをえない…。 「TPPは社会的共通資本を破壊する」videonews.com https://m.youtube.com/watch?v=29XZo5p_ZY8 https://m.youtube.com/watch?v=2QGXmHUsAyg
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「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自...
「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自動車向けにし始めた時代でもある。社会の変化において、何か恣意的な変化をもたらす場合には、その変化にかかるコストとベネフィットを精緻に比較する必要がある。宇沢氏の問題意識としては、当時の時代状況として、自動車のベネフィットをことさらに主張する人間が多く、コストについて今一度目を向けるべきであると主張している。結論を先取りすれば、道路建設による非人間的な横断歩橋の出現に地域の人々の不便さ、道路建設による自然破壊、排気ガスによる環境破壊、自動車事故による死亡者・後遺障害が残ってしまった人の逸失利益などがコストとして挙げられる。また、非人間的な横断歩橋の出現や自動車を中心に作られた道路建設は、街の形を変えてしまい、結果として自動車に乗れない老人や子供に不利益を与えているという。製品や仕組みを導入することによる、格差の拡大にも注目しているところが新鮮であった。自動車の増産や社会への流通は、社会全体の利益向上のために行われているものである一方で、社会が自動車中心になっていくことによる不利益を老人や子供が受け、格差が拡大されるという論理は、人間の社会にとって何が大切なのかということを訴えかけるものであった。このようなコストについては当時の経済学の枠組みでは検証することができない。環境のような不可逆的な資本については、個人に帰属させずに社会で管理させなければならないという社会的共通資本の概念は、まさしく2021年の今、叫ばれているので、宇沢氏の先見性には驚かされる。『人新世の資本論』でも、社会的共通資本の類似概念である「コモン」の概念について詳しく記載されており、昨今のカーボンプライシングなどについては、まさしく宇沢氏の指摘する社会的費用を、実際の市場経済において価格に上乗せしようという働きかけである。そう言った点で、今も色あせない名著と言えるであろう。
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筆者は自動車の社会的費用を分析するにあたって近代経済学の重要な柱である新古典派理論の限界を指摘している。と同時に、社会的費用の発生を許す経済活動自体、市民の基本的権利を侵害しているとの論理で展開する。
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日本のモータリゼーション期に生じた負の側面が思い起こされる。半世紀経ち、少なからず改善されて来たとは思うがまだまだ。社会的費用の観点は初めて知った。
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社会的公共財としての道路を使用する自動車の社会的費用の賦課方式は、自動車保有と使用に対してなされる。理想的道路の構造および自動車な公害防止基準に依存する。観光道路も同様。 歩車分離、自転車道、歩行者保護や公害防止等の為、自動車重量税、ガソリン税が使われるべきと言えるが、すでに一般...
社会的公共財としての道路を使用する自動車の社会的費用の賦課方式は、自動車保有と使用に対してなされる。理想的道路の構造および自動車な公害防止基準に依存する。観光道路も同様。 歩車分離、自転車道、歩行者保護や公害防止等の為、自動車重量税、ガソリン税が使われるべきと言えるが、すでに一般財源化されており、どう手立てしていくかは課題。
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