白痴(上) の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
相変わらずの勢いのある文章だし、テーマもわかりにくいものではないので面白く読めた。 登場人物たちもみんな個性が強く魅力的な人ばかり。 とくに、周りからは『狂ってる』とされているナスターシャ・フィリポヴナは最高。 確かに苛烈で周りを振り回す悪女のように描かれているし周りからもそう思われているが、あんな性欲の塊みたいなおじさんにこどものころから色々とさせられていたならあぁなるのも仕方ないと思う。 ナスターシャを責める前に、トーツキイが一番責められるべきでは?とおもうし、もっと誠意ある対応をしてきていたならここまでにはならなかったはずだとも思う。 だけど、時代背景も相まって男の人は女を手玉にとっても良くて逆は絶対にだめであるしはしたないし狂ってるという考えが民衆に染み込んでいるんだろうなと見受けられる部分が多々ある。 なので、第一編の最後のあたりのパーティーにおけるロゴージンやガーニャなどに対するナスターシャの態度はゾクゾクするほどかっこよく感じた。 あんな風な育て方をされて、邪魔になれば金でもって競られるように引き渡されていくのを黙って受け入れているより、狂ってると言われても気にせずあぁいう行為に出るほうが私はかっこいいと思えた。 「ありがとう、公爵、いままで誰ひとりあたしとこんなふうに話してくれる人はいなかったわ」(387頁) 公爵といけば一番幸せであるだろうことはわかっていて、自分のような女では公爵がだめになってしまう、きっとこんな二人ではうまく行くはずもないから、泣きながら「あとになってからよりか、いま考えなおすほうがずっといいのよ……」と言って自ら振り切っていけるところも好きだった。 私なんかだとうまくいけそうな話があればそれに飛びついたり、問題を後回しに考えようとしてずるずる引き延ばしてしまうこともあるけどそうなる前に手をきれる人は潔いと思う。 第二編の人を殺すときに十字を切る殺人者の話と、ロゴージンと公爵の十字架交換のシーンも素晴らしかった。 今後絶対ロゴージンはなにかしてくるだろうという予感がすごい。 後半の《パヴリーシチェフの息子》騒動からは展開が気になるのと、リザヴェータ夫人やイポリートの勢いある話しぶりが面白く一気に読めた。 私は公爵は白痴でも高潔でもなく、ただ疑り深い世わたりがちょっと下手で正直な人ってイメージがどんどん強くなったけど、本人もそういう自覚があるような書き方をされていたのでやっぱりそういうことでいいのかな…。 今度はアグラーヤや、突如再び現れたナスターシャのことなどでまたひと騒動ありそうなところで終わったので下巻も楽しみ。
Posted by
レビュー② 他の人のレビューをちらちら見ていると、自分の読み方、感じ方がどうだったのかと思ってしまう。これはいったい恋愛小説なのか。この公爵が2人ともを好きになる気持ちはわからなくはないし、結婚が決まった後も揺れてしまうことは理解できる。ただ、その穏やかな性格と、急に饒舌になる激...
レビュー② 他の人のレビューをちらちら見ていると、自分の読み方、感じ方がどうだったのかと思ってしまう。これはいったい恋愛小説なのか。この公爵が2人ともを好きになる気持ちはわからなくはないし、結婚が決まった後も揺れてしまうことは理解できる。ただ、その穏やかな性格と、急に饒舌になる激しい性格がうまく1人の人物としてまとまらない。ナスタ―シャの出番が少ないのは小説の手法としてはわかるけれど、彼女にはちょっと気の毒な気がする。私には、とても良い人物で、公爵と結婚することが、彼のためになるのかどうかをすごく悩んでいるように見える。アグラーヤはどうも好きになれない。わがままとしか思えない。でも、彼女自身揺れているのはわかる。結婚式前、ナスタ-シャがロゴ―ジンに救いを求めていっしょに逃げるシーンや、ロゴ―ジンの家のベッドでナスタ―シャをはさんで2人で横たわるシーンなど映像的に美しいのはわかる。しかし、ナイフを突き刺すことになった必然性がわからない。助けを求めてこられたのになぜ殺してしまったのか。そして、公爵がナスターシャを探しているシーンは全体的になんとなく落ち着きすぎているようで違和感がある。とにかく、「アンナ・カレーニナ」のように登場人物に感情移入できず、読んでいても高揚感が得られなかった。本当を言うと、イポリートあたりが弁明で話すように、大量殺人を犯してしまうとか、何か不条理な、衝撃的なシーンをドストエフスキーには期待していたのかもしれない。なぜかアネクドートということばだけが印象に残っている。
Posted by
誰からも愛されたムイシュキン公爵。誰もが彼を白痴(ばか)と呼んだ。 スイスの精神療養所で成人したムイシュキン公爵は、ロシアの現実についで何の知識も持たずに故郷に帰ってくる。純真で無垢な心を持った公爵は、すべての人から愛され、彼らの魂をゆさぶるが、ロシア的因習のなかにある人々は、...
誰からも愛されたムイシュキン公爵。誰もが彼を白痴(ばか)と呼んだ。 スイスの精神療養所で成人したムイシュキン公爵は、ロシアの現実についで何の知識も持たずに故郷に帰ってくる。純真で無垢な心を持った公爵は、すべての人から愛され、彼らの魂をゆさぶるが、ロシア的因習のなかにある人々は、そのためにかえって混乱し騒動の渦をまき起す。この騒動は、汚辱のなかにあっても誇りを失わない美貌の女性ナスターシャをめぐってさらに深まっていく。
Posted by
この時代の、この国の、この環境ではおそらく当たり前に予想できる反応や思想や感情があって、それが前提として書かれた箇所がなんとも意味不明(笑) もっと思慮深く読めば分かるのかもしれん。何年後かに読んだら分かるかな。
Posted by
冒頭の、死刑についての公爵の見解がとても印象深かった。 ムイシュキン公爵はあまり「白痴(ばか)」という感じではなかったけれど、ナスターシャは狂っていると思った。 でも、そういう女性を一途に愛せる公爵は素敵である。 『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』に比べて訳がわかりやすい...
冒頭の、死刑についての公爵の見解がとても印象深かった。 ムイシュキン公爵はあまり「白痴(ばか)」という感じではなかったけれど、ナスターシャは狂っていると思った。 でも、そういう女性を一途に愛せる公爵は素敵である。 『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』に比べて訳がわかりやすい。
Posted by
罪と罰や地下室の手記は面白かったがこの作品は正直自分には合わなかった。 というのも、あまりにも前置きが長すぎていつになったら本筋に行くんだという感じで嫌になってしまった。
Posted by
英検の勉強も一段落したので、ドストエフスキーチャレンジを再開しました。 ドストエフスキー5大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)を順番に読んでいくというこのチャレンジ、『罪と罰』を読了したので、次は本書『白痴』に取り組みます。ちょっと調べたら『罪と罰...
英検の勉強も一段落したので、ドストエフスキーチャレンジを再開しました。 ドストエフスキー5大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)を順番に読んでいくというこのチャレンジ、『罪と罰』を読了したので、次は本書『白痴』に取り組みます。ちょっと調べたら『罪と罰』を読了したのが8月中旬だったので、約3か月ぶりのドストエフスキー。 ページびっしりと細かい字で描かれるドスト節。やはり、とっかかりは時間がかかりますね。 前回の『罪と罰』は注釈が充実し、亀山郁夫先生の新訳で読みやすい「光文社古典新訳文庫」で読んだのですが、今回は「光文社古典新訳文庫」の『白痴1~4』ではなく、木村浩先生訳の新潮社文庫の『白痴 上・下』を選んでみました。(あ、けっして4冊のレビューを書くのがめんどくさいから上下2冊で済むこの新潮文庫を選んだ訳ではないです←(汗))。 新潮文庫の『白痴』は平成16年に改版されて、活字も大きくなっているので、老眼になりかかっている僕でも読みやすいのです(笑)。 新潮文庫の『白痴』は上下2巻で済むという利点はあるのですが、上下巻それぞれ約700ページ、そして注釈がほとんどついていないという玄人仕様ですので、ドストエフスキー初心者が読むにはかなりハードルが高いです。 特にロシア人の名前の表記の仕方が、原作に忠実に訳されているからでしょうか、つまり、ロシア人の名前の仕組みを理解していないと誰が誰だが分からなくなるので、そこは注意が必要です。 例えば、主人公のレフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵のことを表記するのに『ムイシュキン公爵』と表記したり、『レフ・ニコラエヴィチ公爵』と記したりするので読み慣れていないと「は?公爵って二人いるの?」と混乱します。 主人公の『ムイシュキン公爵』はまだ分かりやすい方で、主人公の友人のガヴリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギンなどは「ガーニャ」、「ガネーチカ」、「ガヴィリーラ・アルダリオノヴィチ」と表記され、ガヴリーラの妹は 「ワルワーラ」、「ワーリャ」、「ワルワーラ・アルダリオノヴナ」と記載されるのです。 この表記の仕方がその都度、ばらばらに使用されるので、ロシア文学に慣れない初心者には登場人物の数が膨大にふくれあがっていくように感じてしまい、ストーリーを追えなくなって挫折するというのが「ロシア文学初心者あるある」の一つです。 ここでちょっと、ロシア文学初心者への助言として簡単な豆知識を書くと、ロシア人の名前は父称と女性形の意味が分かると格段に読みやすくなります。 例えばロシア人のミドルネームやファミリーネームには「〇〇ヴィチ」や「〇〇ヴナ」という名前をよく使いますが、簡単にいうとこの「〇〇ヴィチ」は「〇〇の息子」、「〇〇ヴナ」は「〇〇の娘(女性形)」という意味があります。 主人公のレフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵の「ニコラエヴィチ」であれば「ニコライの息子」という意味になり、ガヴリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギンであれば「アルダリオン」の息子、ワルワーラ・アルダリオノヴナ・イヴォルギナであれば、「アルダリオン・イヴォルギン」の娘という意味になるのです。 という訳ですので、同じ兄妹でもファミリーネームが変わるということを知らないと「ガブリーラとワルワーラは兄妹なのになんで名字が『アルダリオノヴィチ・イヴォルギン』と『アルダリオノヴナ・イヴォルギナ』と違うんだ!!!」と頭を抱えて悩んでいた人には、この仕組みが分かるだけで、ロシア文学は格段に読みやすくなると思います。 だいぶ脱線したので話を戻すと、この『白痴』は主人公レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵26歳を中心とした恋愛小説となります。 主人公のムイシュキン公爵は、善良な人物の典型として描かれており、ヒロインはロシア随一の美貌を持つと言われているナスターシャ・フィリポヴィナ・バラシコーワとエパンチン将軍家の美しき3姉妹の末娘アグラーヤ・イワーノヴナ・エパンチナ20歳の二人です。この3人を中心に2人の美女を巡ってムイシュキン公爵のライバルとして現れるパルフョーン・セミョーノヴィチ・ロゴージンやガヴリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギンらなど超個性的な男性陣が脇を固めます。 本書は、主人公ラスコーリニコフの独白の場面の多かった『罪と罰』とは違って、多くの場面がムイシュキン公爵を中心とした会話劇となります。このあたりは、陰々滅々とした場面の多かった『罪と罰』に比べると、かなりイメージが変わり、ちょっとした「ドタバタ喜劇」が続くような感じとなりますね。 まだ、上巻を読み終わったばかりで恋愛の核心部分には入っていませんが、ムイシュキン公爵は誰と結ばれるのか?ハラハラドキドキの続く本書、下巻へと続きます。
Posted by
ドストエフスキー 「 白痴 」 上巻は ムイシュキン公爵の神性、ロゴージンの虚無、ナスターシャの復活、登場人物の狂気性、死のエピソードが描かれている ムイシュキン公爵 *外国で ものの見方を学んだかどうかはわからない〜いつも幸福だった〜目覚めると 前の日より幸福 *子供に何一...
ドストエフスキー 「 白痴 」 上巻は ムイシュキン公爵の神性、ロゴージンの虚無、ナスターシャの復活、登場人物の狂気性、死のエピソードが描かれている ムイシュキン公爵 *外国で ものの見方を学んだかどうかはわからない〜いつも幸福だった〜目覚めると 前の日より幸福 *子供に何一つ教えることはできない〜子供に教えられるばかり 「自分は何も知らないかもしれない〜世間に出れば 退屈で苦しいことが多い〜私は全ての人に対して 丁寧で正直でありたい」「一番肝心なのは 最後まで辛抱しぬくこと」 病気と死のエピソード *癲癇→憂愁、精神的暗黒、胸苦しさの中に〜自分が生きている感覚や自意識が増大する一瞬がある *死刑=楽に死ねる最後の希望を奪い去る〜判決があって、もうのがれられないところに 苦しみの全てがある ナスターシャの復活 *愛情に望みがないなら 家庭の人として復活したい ロシア社会への批判 人間は 自分の権利ばかりを捜し求めている〜権利だけでは 神からの賜物を大事にできない
Posted by
別訳が読書会の課題本になると聞いて読んでみた。恋愛小説という人が多いが、これはやはり宗教文学というべきだろう。同じドストエフスキーによる他の長編作品と同様に、大勢の人物が一挙に出てくるシーンが多いので、小説を読みなれてない人には厳しいかもしれない。
Posted by
ドストエフスキーの小説に通底する、濃いすぎる登場人物たちの喚き合い。 スイスの精神療養所から故国ロシアへ帰還したムイシュキン公爵。あまりの純粋無垢さゆえに周囲から「白痴」呼ばわりされる公爵は、悲劇的な美女ナスターシャをめぐり、粗暴な野心家ロゴージンと争う。一方、公爵に言い寄る清...
ドストエフスキーの小説に通底する、濃いすぎる登場人物たちの喚き合い。 スイスの精神療養所から故国ロシアへ帰還したムイシュキン公爵。あまりの純粋無垢さゆえに周囲から「白痴」呼ばわりされる公爵は、悲劇的な美女ナスターシャをめぐり、粗暴な野心家ロゴージンと争う。一方、公爵に言い寄る清純な美少女アグラーヤとの恋も展開していく…。 強烈な小説世界にぶち込まれたような迫力に、本に釘付け。純粋すぎる主人公・ムイシュキン公爵の行方は…。
Posted by