シッダールタ の商品レビュー
久石譲さんの「Asian X.T.C」の曲紹介にこの本の名前があって、ずっと昔によくわからずとりあえず読んだのを思い出して。池田さんがたどり着いた境地なのだと改めて感じた。 輪廻や唯我独尊、色即是空などと言うが、伝える際便宜上用いたもので決してこれが悟りなのではない。これは教義、...
久石譲さんの「Asian X.T.C」の曲紹介にこの本の名前があって、ずっと昔によくわからずとりあえず読んだのを思い出して。池田さんがたどり着いた境地なのだと改めて感じた。 輪廻や唯我独尊、色即是空などと言うが、伝える際便宜上用いたもので決してこれが悟りなのではない。これは教義、プラトンからすれば思わく、最近だと情報という言葉にすぎない。 悟るということ、わかるということは、自分の力で考え出すことに他ならない。自ら考えるということを伝えても、本人が考えるということを知らなければ、それは情報に過ぎなくなる。悟りを教えることなどできない。誰かの教えにすがっていては、いつまでたっても救われない。 誰でもなくて、誰でもある存在。未来も過去、時間という物自体は存在が作り出した影。存在はある限り不滅である。輪廻の意味するところ、色即是空の意味するところを体感しつつある。 この存在がどうして今、自分になったのか。ヘッセは川、プラトンは太陽と言った。池田さんは宇宙、私という存在と言った。この自分の場合は…?
Posted by
一人の求道者が悟りに至るまでの物語。聖から俗へ、俗からより大きな聖へ。本当に大切なことは、人から教えてもらうことはできず、自らの体験によってのみ見いだされる。体得。インド仏教がテーマの話をドイツ人のヘッセが書き、それが彼の代表作となっているのは不思議な感じがする。彼自身の宗教的体...
一人の求道者が悟りに至るまでの物語。聖から俗へ、俗からより大きな聖へ。本当に大切なことは、人から教えてもらうことはできず、自らの体験によってのみ見いだされる。体得。インド仏教がテーマの話をドイツ人のヘッセが書き、それが彼の代表作となっているのは不思議な感じがする。彼自身の宗教的体験が元になっているとのこと。文章に独特のリズムがあり、哲学的な内容も相まって、とても静かな心持ちになる。声に出してゆっくり読むのも良いかも。
Posted by
僕も全てを受入れる心を持ちたい。。。 すでにそれが欲とは思いながら。。。 欲は愛に源するってダンテさんが言っていた。 そのうち悟れる日は来るかな?
Posted by
一人の男が苦悩を超えて悟りに至るまでの物語。ブッダの伝記というわけではない。 ヘッセ自身の宗教的体験が綴られているらしい。そのためか、シッダールタが最後に語る言葉には真に迫るものがある。
Posted by
修行の旅を途中でやめ、日常の暮らしの中で悟りを開くシッダールタ。修行の旅を続け、最後まで悟りを開けないゴーヴィンダ。 人に教えを乞う方が楽だし、自分で考え、追求するのは苦しい。でもそうした体験の先にしか悟りはない。
Posted by
詩のようでもある、不思議な奥行きを持つ物語である。 ヘルマン・ヘッセ作、一人の修行者が主人公だ。 「シッダールタ」とは釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を連想させる名前だが、本書の主人公は釈迦と同時代に生きた、まったく別の修行者である。 さして長くはないこの物語の中で、シッダールタ...
詩のようでもある、不思議な奥行きを持つ物語である。 ヘルマン・ヘッセ作、一人の修行者が主人公だ。 「シッダールタ」とは釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を連想させる名前だが、本書の主人公は釈迦と同時代に生きた、まったく別の修行者である。 さして長くはないこの物語の中で、シッダールタの人生はめまぐるしいほどの変遷を遂げる。 高貴なバラモンの子として生まれたが、沙門として修行し、その後、世俗の享楽の限りを尽くしたものの、河の渡し守となり、心の平安を得るかに思われたが、わが子に疎まれて苦しむ。 ついにシッダールタのたどり着く境地はいかなるものか。 いささか古風な訳文はインドともどこともつかぬ世界へと読者を誘う。 ガンジスの大きな流れは、そのまま、生々流転、シッダールタの魂の遍歴と重なっていく。 ヘッセはプロテスタントの宣教師の家に生まれている。キリスト教のバックグラウンドを持ちつつ、仏教を色濃く反映した物語を書いたことになる。そうした背景に関しては、宗教的・哲学的な見地からおそらく数多くの研究・解題がなされているだろう。 だが、この物語にまずは、身を委ねてみたい。河を眺めるように、その流れに身を任せてみるように。 少年期・青年期・成人期・老年期。おそらくその時々に応じて、違う場面に心動かされ、何かに気付く、そうした類の物語なのだと思う。 著者自身の精神の高潔さも感じさせる一編である。 *巻末の解説によれば、シッダールタとはシッドハ(成就したもの)とアールトハ(目的)が結びついた言葉によるという。
Posted by
一気に読んだ。生きること、死ぬことを知るためには生きなければならないと思った。シッダールタが俗世的享楽に溺れて絶望し、また希望を持った時に、それも正しかったと言っているのがすごく好き。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
教えを乞うのではなく、自ら考えること、追求すること、体験すること、聴くことによってしか悟りは得られない。 「知る必要のあることをすべて自分で味わうのは、よいことだ」「記憶で知るだけでなく、自分の目で、心で、胃で知っている。自分がそれを知ったのは、しあわせだ!」 印象に残ったの以下のくだり。 << 「おん身も川から、時間は存在しないという秘密を学んだか」 「川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も存在しない」 「何物も存在しないだろう。すべては存在する。すべては本質と現在を持っている」 シッダールタは狂喜して語った。この悟りが彼を深く幸福にした。ああ、すべての苦しみは時間ではなかったか。みずからを苦しめることも、恐れることもすべて時間ではなかったか。時間を克服し時間を考えないようになることができたら、この世のいっさいの困難と敵は除かれ克服されはしなかったか」
Posted by
もうひとりのブッダ? 主人公のシッダールタが仏陀に出会って智を求める無意味さ,無分別智であることの悟りを得たのかもしれない;悟りとは、目の前の今ここに毎瞬あるがままに自由であることであり、決して目的を持ち成果を期待し最終的なものとして探し求め得られるものではなく、思想で考えたり、...
もうひとりのブッダ? 主人公のシッダールタが仏陀に出会って智を求める無意味さ,無分別智であることの悟りを得たのかもしれない;悟りとは、目の前の今ここに毎瞬あるがままに自由であることであり、決して目的を持ち成果を期待し最終的なものとして探し求め得られるものではなく、思想で考えたり、言葉で表すことも出来ない。
Posted by
読むのはこれで二度目。 父の元をはなれ沙門の群れに加わり、そこにも飽きたらずにひとりで旅をつづける。友のゴーヴィンダは仏陀のもとに残った。 シッダールタにとっても仏陀のおしえは尊いものではあったけれど、彼自身がそのおしえを自分のものにするためには遥かにおおくの遠回りを必要とした。...
読むのはこれで二度目。 父の元をはなれ沙門の群れに加わり、そこにも飽きたらずにひとりで旅をつづける。友のゴーヴィンダは仏陀のもとに残った。 シッダールタにとっても仏陀のおしえは尊いものではあったけれど、彼自身がそのおしえを自分のものにするためには遥かにおおくの遠回りを必要とした。 それがカーマスワーミのもとで習いおぼえた商売であり、遊女カマーラとの愛の営みだ。 シッダールタは父の元、沙門の元を去ったときのように、ふたたび時が満ちたのを知ると村を去る。そして村に来たときに通ったおおきな川に至る。 その川の渡し守ヴァズデーヴァはことばを持たない。ただ川の声を聴くことだけに長けた老人だ。しかしシッダールタはこの人の内に神を見、彼とおなじような生活をするうちに時間などないという悟りに至る。 人の一生は川のように、前世や後世といってもひとつの流れであり今の苦しみはすでに経験された苦しみであり、川はそのことをよく知っている。 最後のゴーヴィンダとの対話のなかで、シッダールタはみずからの思想のなかでもっとも尊いものは「知恵は伝えることができない」ということだと言う。その思想こそシッダールタが常に抱いてき、従ってきた彼の心の声にほかならないだろう。 たぶんヘッセの小説のなかではもっともまとまっている作品だと思うのだけれど、そのぶんぼくは☆をひとつ減らす。解説でヘッセの「自分の生活しなかったことを書くのは無意味だという経験をした」という言葉が紹介されているが、そういう意味ではちょっと苦しみが足りない、というか本書はかっちり「物語」って感じだから、 思想を追い求めて苦しみのなかをのたうち…といった身体的なものが漂白されちまっているんだよね。でも思想とか哲学に偏りすぎるとヘッセはなーんか退屈なんだよなあ。
Posted by