幻の光 の商品レビュー
映画化・舞台化されて…
映画化・舞台化されています。短い中に生きることの深い意味が書かれています。人生で何度も読み返したくなる名作。
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生と死の光と影が淡々…
生と死の光と影が淡々と浮き彫りにされた一冊。人は危うい生き物です。
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人は結局他人のことな…
人は結局他人のことなんてわからないし、自分自身のことも本当にはわかっていないものなんだな…と改めて思わせられる一冊です。
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生きていることと死ん…
生きていることと死んでいることの境目、あるいはどこまでいってもそんなものはないのかもしれない。生死について考えさせられる表題作など、短くも感慨深い短編集。
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他人の内面を暴き立てるでなく、ただ自分の中身を観察する。こういうひそやかな小説にこそ、日々が宿るのかもしれない。
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「幻の光」は1979年に単行本、1983年に文庫化された短篇集で、表題作ほか3編収録 久しぶりの宮本輝さん 未読タイトルとの出会いという新潮文庫のフェアに見事にハマった一作 「幻の光」 能登の漁村を舞台に、夫を突然の自殺で喪い、 悲しみと息子を連れて再婚した女性が過去と向き合...
「幻の光」は1979年に単行本、1983年に文庫化された短篇集で、表題作ほか3編収録 久しぶりの宮本輝さん 未読タイトルとの出会いという新潮文庫のフェアに見事にハマった一作 「幻の光」 能登の漁村を舞台に、夫を突然の自殺で喪い、 悲しみと息子を連れて再婚した女性が過去と向き合いながら新しい生活に向き合っていく姿 “愛する男を失った女の美しすぎるため息” (こんなコピーがついていたらしい) 秘めていた本心を打ち明け 次の幸せへと向かう 「夜桜」 一度の浮気を許せず、離婚した女 若くして息子を失い、新婚夫婦と知り合ったことで、人生の選択の是非を問う 「こうもり」 泥の河と似た色合い 「寝台車」 子供の頃溺れ死にかけた少年が、大学生の時寝台車から落ちて亡くなる 救われたかと思った命の途中下車のような人生に 想う 宮本輝さんは、昭和中期くらいまでの女性の心情がどれもお上手 現在だと多少社会が変化しているけれど それでもしっかりと読ませてくれます
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しおり欲しさに、新潮文庫の100冊に選ばれている「幻の光」を読んでみました。 「錦繍」とはまた違った切なさが心に残る一冊です。 ある日突然、自ら命を絶った夫。 原因もわからず、残されたのは妻と子どもだけ。 夫の死から三年が経っても、妻はその理由を模索し続けます。 あれこれと思い...
しおり欲しさに、新潮文庫の100冊に選ばれている「幻の光」を読んでみました。 「錦繍」とはまた違った切なさが心に残る一冊です。 ある日突然、自ら命を絶った夫。 原因もわからず、残されたのは妻と子どもだけ。 夫の死から三年が経っても、妻はその理由を模索し続けます。 あれこれと思い返してみても、はっきりとした答えは見つかりません。 なぜなら、答えを知っているのは、もうこの世にいない本人だけだからです。 人は、中途半端で終わったことが、ずっと心に残る生き物だと思うのです。 たとえば、仕事でも何でも、完結していないことって、頭の片隅に残って、ふとした時に思い出してしまうじゃないですか。 人の死もそれと同じ。 答え合わせができないからこそ、忘れようと思っても忘れられない。 再婚して別の家族と新しい生活を送っていたとしても、ふとした瞬間に、亡くなった夫のことを思い出してしまう。 四六時中思い出すわけではなくても、なぜか、どこまでも面影がついてくるのです。 それはもう、呪いのようにすら感じられます。 そんな“呪い”を解いたのは、民雄(現夫)のこのひと言だったのではないでしょうか。 「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」 私は、「人はお役目があって生まれてくる」と聞いたことがあります。 この“精が抜けた”という状態は、そのお役目を果たしきった状態なのかもしれません。 つまり、夫が命を絶った理由は、何か一つの明確な原因があったわけではなく、ただ“精が抜けてしまった”のだと。 この言葉が、主人公の心に変化をもたらしたことは間違いありません。 それまで宙ぶらりんだった思いが、やっと自分の中で区切りをつけられたのだと思います。 亡き夫の魂と距離を置くのではなく、共に抱えて生きていく覚悟ができた――そんなふうに感じました。 感想を書くために読み返したのですが、不思議なことに、一度目よりも二度目の方がじんわりと胸に沁みてきました。 あんなに短い文章なのに、なんて深いのでしょう…。
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読んでいて、すっきりしないもやもやが残るも、そのあやふやさが人間の魅力だったりするのかもしれないな、と思った。 「もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。そうしみじみと思うようになったのでした。 そして、そんな病気にかかった人間の心には...
読んでいて、すっきりしないもやもやが残るも、そのあやふやさが人間の魅力だったりするのかもしれないな、と思った。 「もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。そうしみじみと思うようになったのでした。 そして、そんな病気にかかった人間の心には、この曾々木の海の、一瞬のさざ波は、たとえようもない美しいものに映るかも知れへん。春も盛りになり、濃い緑色に変色してきた曾々木の海の、荒れたり凪いだりしてるさまを眺めて、わたしはひとりうっとりとしていく。」 私はこの文が一番印象に残った。 人間の薄暗さに惹かれることがある。影があるから光がより目立つ。不幸せと幸せを揺らぎながら生きている人は艶かしい。 主人公の最初の舞台の黴臭さに哀愁さえ浮かぶほど。 「夜桜」もよかったな! 夫の浮気で別れ、唯一の息子も事故で亡くした不幸な綾子の住む家に秀でて美しく咲く夜桜の光と、そこに一夜だけ泊まった若々しい夫婦の輝き、目が眩むほどだった。 描写でこれほどまでに情景が鮮やかに浮かぶことってなかなかない。美しい作品だった。
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愛する者に理由も分からず先立たれた女性の嘆きを描く表題作ほか3編が収録された短・中篇集。 いずれも、「死」や「喪失」が、方言とともに哀しくもしっとりと心に染み入る、そんな作品。 50年近く前の作品ですが、その時代の空気や情景が浮かぶような、読みやすい作品でした。
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先日、映画館で「幻の光」が「能登半島地震 輪島支援 特別上映」と冠され、1995年の公開から29年の歳月を経て、デジタルリマスターにて上映されるということを知り、鑑賞して参りました。 本作が宮本輝さんの作品であること、映画化されたこと、主人公の女性を演じられている俳優のお名前くら...
先日、映画館で「幻の光」が「能登半島地震 輪島支援 特別上映」と冠され、1995年の公開から29年の歳月を経て、デジタルリマスターにて上映されるということを知り、鑑賞して参りました。 本作が宮本輝さんの作品であること、映画化されたこと、主人公の女性を演じられている俳優のお名前くらいは知っている程度の認識でした。ストーリーや舞台として能登が登場すること、また監督を是枝裕和さんが務められ、これが長編映画デビュー作であったことなどは今回知ることとなりました。 古き日本の風景に「あるもの」を纏わせた絵画のような美しい映像に圧倒される映画でした。 そして、ぜひ原作も読んでみよう、と手に取った次第です。 生まれ育った尼崎で結婚し、初めての子供が生まれて三ヵ月目に夫が突然亡くなってしまった記憶を胸奥に秘め、奥能登の板前の後妻として平穏な日々を過ごす女性の内面の葛藤を描いたお話です。 主人公、ゆみ子の前夫は、本当に唐突に亡くなってしまいます。状況としては、電車の運転士が言うには、線路の上を電車の進行方向を向いて歩いていて、急ブレーキも空しく轢かれたと。 先ほど、映画の説明の中に思わせぶりに書いた「あるもの」というのは、はっきり記すと「死の陰」のようなものです。衣類にも(子供の衣服までも)寒色を多用し、尼崎でもそうですが、舞台が能登に移った後も、日本海の荒波が、墨色の曇天が、風景が「あるもの」を纏っているようで、そう感じるからこそ、スクリーンに余計なものをそぎ落とした陰翳のような美しさがある気がしました。小説の活字からもそういった趣が溢れ出ます。 希死念慮、という言葉があります。文字通り「あるもの」に惹かれる思考・感情を指す言葉なのかな、とぼくは解釈しています。 知り合いに言われたことがあります。 「あるもの」にすっと惹きつけられる瞬間は誰しもにある、その程度の違いこそあれ。 主人公はずっと、なぜ前夫は「あるもの」に惹かれてしまったのか考えます、そのことがもしかしたら喪失からの混乱や悲しみの日々を支えていたのかもしれません。 でも、主人公の生きる世界は大切な人を喪ったことで変わってしまったのだと思います。 冬の朝の目の覚める冷たい空気をぴしゃりと肌に感じるような、そんなお話でした、説明が下手くそですね、ごめんなさい。 映像の記憶が、活字を目で追う補完をしてくれて、今作は先に映画を鑑賞したのが吉と出た気がします。 そして、おそらく、この映画の再上映の企画が発表された後、能登に豪雨による災害が起こりました。 被災地にどう向き合うか、そして未知の災害が自身に降りかかった時の準備を考えようと改めて思います。 本書は、ほかに3作、短い物語も収録されている短編集ですが、表題作が群を抜いて存在感を放ちます。 本格的な冬の訪れの前に心身共に暖かくして読んでいただきたい一冊です。
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