智恵子抄 の商品レビュー
『私の心の静寂は血で買った宝である あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である この静寂は私の生命であり この静寂は私の神である』 『僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる 僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる』 結婚前の恋愛から、智恵子が精神を...
『私の心の静寂は血で買った宝である あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である この静寂は私の生命であり この静寂は私の神である』 『僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる 僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる』 結婚前の恋愛から、智恵子が精神を病み、死に至る、そして死後に亙ってまでをうたった愛の詩集。 他人のラブレターでこんなにも感極まる事はなかなかない。
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あどけない話 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 亜多多羅山の山の...
あどけない話 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 亜多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である 、、、私が十代のころ、智恵子抄が家の本棚にあり、パラパラと読んでいて、この詩が、一番、印象に残っていた。智恵子さんの、切絵作品も、カラーで載っていて、美しい。このたび新潮文庫の智恵子抄を読み返したくなり、購入した。改めて読むと、高村光太郎の、智恵子を本当に熱烈に愛していたのが分かる。……智恵子さんと同じ病を持ち、二十数年経った私が、今この本を読むと、智恵子さんの視点で、考えてしまう。高村光太郎は、智恵子を芸術家の眼で視ていて、芸術作品とした。狂気を孕んだ無垢な女は、創作のインスピレーションの泉であったことだろう。高村光太郎の、愛、は本当でも、その愛は、多いに自分にも、向けられていたように、感じてしまった。高村光太郎は、詩作の中で、何度も「人間でなくなった智恵子」というような表現をしているが、私には、詩人の感傷のように思えてならなかった。 、、、ともあれ、素晴らしい詩をたくさん読むことができて、とても良かった。
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智恵子抄をいつか読みたいと思っていたら、15年前にこの本を読んで妻に強く勧め一緒に泣いたとゆう驚愕の事実が今日分かりました。 私が智恵子になる日も近そうです。 もうなっているかもしれません。 ただ、今のところぜんぜん美しくないです。
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智恵子抄 (和書)2011年05月01日 10:42 2000 新潮社 高村 光太郎 智恵子抄・・・・前から目を通したいと思っていて、ようやく読むことになる。 詩もよかったが、顛末が書かれている雑文も読めてどういうことなのか一端が理解できました。 精神の病というものも人ご...
智恵子抄 (和書)2011年05月01日 10:42 2000 新潮社 高村 光太郎 智恵子抄・・・・前から目を通したいと思っていて、ようやく読むことになる。 詩もよかったが、顛末が書かれている雑文も読めてどういうことなのか一端が理解できました。 精神の病というものも人ごとではないので読んで良かったと思う。 切り絵も綺麗だと思いました。
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何もわからないくせに 高村光太郎にかぶれてた。 「東京には空がない」など暗唱していた。 かなり文学少女気取りか!「自分」 今でも本の表装が赤で覚えてる。 じっくり読んでみたらどうだろう〜
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わがこころはいま大風の如く君に向へり こんな風に誰かを想うというのは 奇跡のようだなぁと思います あなたはわたしの全てとまで歌いそうな 全編に溢れるような愛 こういうことを思えるのが人間性であり 愛情というのはほんとに奇跡のようなものだなと 悲しみもすべて感じるしかないの...
わがこころはいま大風の如く君に向へり こんな風に誰かを想うというのは 奇跡のようだなぁと思います あなたはわたしの全てとまで歌いそうな 全編に溢れるような愛 こういうことを思えるのが人間性であり 愛情というのはほんとに奇跡のようなものだなと 悲しみもすべて感じるしかないのだなと 手ばなして委ねるだけではないのだなと 自然のリズムと人間の叡智と 読み終わる頃には光太郎の哀しみを想って おもわず涙しました。
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初めて全ての詩を読んだ。かなりきつい内容だったなあ。 例えば現代ならば認知症とか、脳疾患とか、記憶とか失って、失語、失行もあり、コミュニケーションが取れなくなっても相手を愛せるかとか、そんな試される愛というものを感じた。しかも今よりも病気についての情報量も乏しく、周囲の理解もな...
初めて全ての詩を読んだ。かなりきつい内容だったなあ。 例えば現代ならば認知症とか、脳疾患とか、記憶とか失って、失語、失行もあり、コミュニケーションが取れなくなっても相手を愛せるかとか、そんな試される愛というものを感じた。しかも今よりも病気についての情報量も乏しく、周囲の理解もなく、同じ境遇の人との繋がりもない時代に。夫であり著者の高村光太郎さんも孤独だったのだろう。そんな言葉を感じました。 自分は戸川純さんが好きで、彼女の詩で「あたしもうぢき駄目になる」という歌があるんだけど、これ智恵子抄からの引用だったんだね。なんか繋がったような気がします。
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筆者である高村光太郎が妻について綴った詩集。詩はあまり読んだことがなかったが全編に渡って筆者の妻への愛が伝わってくる。後半の「智恵子の半生」では二人の出会いや闘病中のことなどが書かれ、それを読んでから詩を読むと情景が浮かんでより内容が入ってくるように感じた。
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高校生の頃、現国で読んだのを思い出しました。多分、樹下の二人か、あどけない話だったと思います。樹下の二人の「むしろ魔もののやうに 捉えがたい 妙に變幻するものですね。」という一文を覚えています。 久しぶりに手にしてみて、漢字も表記も昔のもので、ちょっと読むのに苦労しました。...
高校生の頃、現国で読んだのを思い出しました。多分、樹下の二人か、あどけない話だったと思います。樹下の二人の「むしろ魔もののやうに 捉えがたい 妙に變幻するものですね。」という一文を覚えています。 久しぶりに手にしてみて、漢字も表記も昔のもので、ちょっと読むのに苦労しました。でも、読み進めているうちに慣れてくるもので、そうなってしまえば、心に迫ってくるものがいっぱいある、読み応えのある1冊です。 特に、智惠子さんが亡くなってからの詩が、ぐっときますね。こんなにも、素直に自分の気持ちを表現できるなんて。 p.115「(前略)或る偶然の事から満月の夜に、智惠子はその個的存在を失ふ事によって却て私にとっては普遍的存在となったのである事を痛感し、それ以来智惠子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言はば彼女は私と偕にあるう者となり、私にとっての永遠なるものであるといふ實感の方が強くなった。」 私も父を亡くしたばかりだからかもしれません。こういう一節が心にしみます。 智惠子さんが亡くなったのが昭和13年の10月。高村さんが亡くなったのが昭和31年の4月ですから、その間実に20年あまり。遺されてからが長いですねえ。どんなお気持ちだったか。
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こんなにも人を愛することができるのだろうか。 今風に言えばニヤニヤが止まらない。 好きがダダ漏れ作品。
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