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峠 改版(中) の商品レビュー

4.1

61件のお客様レビュー

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  2. 4つ

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2021/12/13

とても難しい歴史小説なのですが、引き込まれて読んでいます。ちょっと中だるみな感もいっときありましたが、福沢諭吉の話が面白かったです。 海外へ行く人が増えた中で、世界の中の日本の在り方や今の日本の在り方について、色んな考えがあったのだろうなと思いました。 武士として、武士の世では...

とても難しい歴史小説なのですが、引き込まれて読んでいます。ちょっと中だるみな感もいっときありましたが、福沢諭吉の話が面白かったです。 海外へ行く人が増えた中で、世界の中の日本の在り方や今の日本の在り方について、色んな考えがあったのだろうなと思いました。 武士として、武士の世では無い新しい世の中を受け入れざるをえない苦悩を感じました。

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2021/07/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

上巻ではいけ好かない頭でっかち野郎だった河井継之助だけど、中巻になるとちょっと趣が変わる。 「幕府なんてもはや不要。 長岡藩は自立してやっていけるような経済力を身につけねばならない。」 と言っていたかと思うと、 「殿には、忠臣であるという筋を通させてやりたい」(つまり幕府のために忠義を尽くさせたい) と言い、さらには 「殿がまず死んで見せなければ、藩の意見は一つにならない」 とまで言い出す。 どうしたいのだ、河井継之助。 幕府をあてにせず経済立国を目指すのだったら、さっさと薩長に付けばよかったのだ。 殿の心情を汲んで幕府に忠義を立てるというのなら、もっと早くから薩長の主張の矛盾を突いて論破しておけばよかったのだ。 とりあえず本心を押し殺したまま、藩政改革に乗り出す継之助。 誰にも本心を隠したままだから、すべてを自分一人でこなさなければならない。 船頭が多すぎると船が山に登ってしまうけど、ひとりでできることなんていくら有能な人物にだって限りはある。 身をすり減らしながら藩内外を奔走する継之助の言った言葉。 ”「政治とは、本来寒いものだぜ」(中略)「政治をするものは身が寒い」ということに相違ない。わが身をそういう場所に置いておかねば、領民はとてもついて来ないということらしい。” ”理に合わぬ禁令が出ると、ずるいやつが得をする。政治が社会を毒するのはそういう場合だ。” これは最近のワクチン問題とか、自粛問題とか、思い当たることがいろいろあるなあ。 福澤諭吉との比較 ”福澤は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人として最も大事なものとしている。” 福澤諭吉については、まあそうだろうと思うけど、上巻の継之助には情緒性はなかったよ。 何だか人物造形にぶれがあるような気がしてならない。 さて、かねてより幕府に近しかった島津斉彬の下で見いだされた西郷隆盛が、どうしてあれほど幕府に対して敵対行動をとるようになったのかがわからなかったのですが、ここに西郷どんの語った言葉が書いてありました。 ”日本中を焦土にする覚悟でかからねばならない。天下は灰になり、民は苦しむ、しかしその灰と苦しみのなかからでなければあたらしい国家をつくりあげる力は湧いてこない” 灰と苦しみのなかから新しくつくりあげる。 さすが薩摩の人の言葉だ。 確かに、いい思い出を最後に残して別れた男には未練も残るが、最低最悪のクズ男だと思って別れたら、二度とよりを戻そうとは思わないもんなあ。 でもね、武士はいいよ。 戦うのが仕事だから。 その結果の灰と苦しみも甘んじて受ける覚悟はあるのだろう。 しかし、民衆はただ苦しむだけなのだ。 西郷さんは西南戦争の最後まで、武士の立場でしか動けなかったんだなあ。 「子分がいると、そうなる」と勝先生はおっしゃっていたけれど。

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2021/05/31

継之助、長岡に戻る。人材不足の長岡藩、継之助は家老に祭り上げられる。世は、大政奉還から鳥羽・伏見の戦い、そして江戸無血開城へ。今(2021年5月末)のNHK大河の「青天を衝け」で、ちょうど同じ頃をやってるが、長岡藩にこんな世界を分かっていた人がいたなんて全然知らなかったわ。福沢諭...

継之助、長岡に戻る。人材不足の長岡藩、継之助は家老に祭り上げられる。世は、大政奉還から鳥羽・伏見の戦い、そして江戸無血開城へ。今(2021年5月末)のNHK大河の「青天を衝け」で、ちょうど同じ頃をやってるが、長岡藩にこんな世界を分かっていた人がいたなんて全然知らなかったわ。福沢諭吉との対話なんて最高!

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2021/04/10

自然に融けて呼吸しておればよい。死も生も自然の一形態にすぎず、一表現にすぎず、さほどに重大なものでもない。 禅宗にも興味出て来た。

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2020/09/06

郡奉行から藩主牧野忠雅にアタマがよいと気に入られあっという間に長岡藩家老に出世。1人のごぼう抜きをあっさり許すほどそんなに魯鈍だらけなのか長岡藩は。スイス人のファブルブランド、ドイツ人のエドワードスネルといった横浜の外国商人にやたら気に入られ、長岡藩の財物を家老の専断で一挙に売り...

郡奉行から藩主牧野忠雅にアタマがよいと気に入られあっという間に長岡藩家老に出世。1人のごぼう抜きをあっさり許すほどそんなに魯鈍だらけなのか長岡藩は。スイス人のファブルブランド、ドイツ人のエドワードスネルといった横浜の外国商人にやたら気に入られ、長岡藩の財物を家老の専断で一挙に売り払い最新鋭の武器を海外から購入し、佐幕サイドでは数少ない薩長に匹敵する軍備を保つ。福沢諭吉との、大政奉還後の日本の有り様に関する議論だけは面白かった、西洋流に自由と権利を崇拝し完全開国主義では一致する2人ながら教育者哲学者と本家は崩壊させてはならない政治家との違い。

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2020/03/29

長岡藩の百石藩士・河井継之助の備中松山、長崎の遊学の旅、藩主・牧野忠恭の覚え目出度い継之助の異例の大出世、大政奉還後の長岡藩の藩政改革の様子など、痛快な挿話の数々が情緒豊かに語られていく。風雲急を告げる時代を背景に、譜代大名長岡藩の行末を按じ、一命をかけて闘争の炎を燃やす家老・河...

長岡藩の百石藩士・河井継之助の備中松山、長崎の遊学の旅、藩主・牧野忠恭の覚え目出度い継之助の異例の大出世、大政奉還後の長岡藩の藩政改革の様子など、痛快な挿話の数々が情緒豊かに語られていく。風雲急を告げる時代を背景に、譜代大名長岡藩の行末を按じ、一命をかけて闘争の炎を燃やす家老・河井継之助の凄まじい生涯を描いた、著者の筆力の凄さに今更ながら驚き、この歴史小説の世界に引き込まれていく。

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2019/11/28

いよいよ物語が動き出す 動乱の時代が幕を開ける中、継之助も藩のため立ち上がる しかし、作中でも言われているように、継之助ほど先を見通し、日本の行く末を読める男が、自らの藩のためだけにその能力を振るうこと、惜しいと感じた

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2019/08/17

だんだんと、らしく、なってきた。 でも、奥さんを完全にほっぽらかしている事が、どうにも気になる。 大事を成すには、犠牲にしても良い?違うよね。

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2020/12/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

上巻では、主人公の河井継之助は、長岡から江戸へ遊学し古賀謹一郎門下となり、その後当時藩政改革で名を知られていた備中松山の山田方谷のもとを訪れる。修行をつみ、身から藩政改革のエッセンスを吸収し、再び長岡へ帰る。 中巻は、継之助が長岡に帰り、外様吟味という地方官に任命されるところから始まる。この抜擢を行ったのは、藩主牧野忠恭であり、抜擢された継之助は一途に藩政に尽くそうとする。 もともと継之助の発想が、いわば藩至上主義的であって、世の中がどのように動こうとも、まずは自藩の安定が第一という発想のように思われる。 彼はその直後、郡奉行へ昇格し、そのポストの権限を大いに活用して、藩政改革の初期活動を開始する。当世の金の流れに着目し、浪費を減らして藩の体力を強めようと、まずは賭博と買春を即刻禁止する。自ら現場で裏をとる摘発方法や見せしめ付きの必罰主義などで、なかば恐怖政治的に、改革を進めてしまう剛腕ぶりである。 そんな剛腕な河井継之助も、時代の流れに飲み込まれ、京や江戸での働きはそれほどぱっとしなかったというのが印象だ。 桜田門外の変以降、急速に幕府の権威は衰退し、倒幕の動きが加速されてくる。徳川の譜代である長岡藩の忠誠を示すため、藩主とともに継之助は京都へおもむくが、正直のところこの時代の流れがあまりにも大きくそして速すぎて、一藩の家老である継之助には、時勢の読みはできても、全く手が出ないといった感じだ。 そのまま慶喜の遁走とともに、長岡藩も江戸へ引き上げ、手をこまねくばかり。他藩に先駆けてせっかく買い付けた最新式の機関銃も使う機会なく、宝の持ち腐れ状態のような感想をこの時点ではもった。 江戸在留中に通訳士の福地源一郎の紹介で、継之助は福澤諭吉と直接話す機会を持つ。この二人の対話シーンは非常に面白く読めた。 世界に追いつけと日本一国の未来を語る福澤と藩至上主義の河井。まったく話がかみ合わない。ただ考え方が異なるだけではあるのだが、やはりスケールの違いとして感じてしまう。 やはり河井は、「藩」という閉じた概念から飛び出すことはできなかったんだなと感じる。その枠を超えて発想できる人物が偉大だっただけのかもしれないが。 いよいよ幕府の命脈が断たれようとする中、河井は長岡藩をどの方向へ進めていくだろうか。

Posted byブクログ

2018/02/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

(なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるということだ)と継之助は考えている。何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない、と継之助は考えている。(pp.207-208中)  自由と権利というものが西洋の先進文明を成り立たせている基礎であり、政治、法律、社会をはじめ、人間のくらしのうえでの小さなことがらにいたるまでの基礎思想であり、さらには人間を人間たらしめている大本であることに、日本人のたれよりも早く気付いたのは福沢諭吉であろう。(pp.416-417中)  継之助は、儒教の徒である。儒教は王を輔けて人民の幸福をはかるという政治思想であり、あくまでも人民は上から撫育すべきものという、あたまがある。  それが継之助の「人民」だが、福沢の「人民」は人民そのものの富と教養を増大し、その力を大きくすることによって結果として国家や社会が栄えるという、そういう「人民」であろう。(p.425中)  継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。(pp.426-427中) 「覚悟というのはつねに孤りぼっちなもので、本来、他の人間に強制できないものだ。まして一つの藩が他の藩に強制することはできない」(p.516中)

Posted byブクログ