土を喰う日々 の商品レビュー
山菜など、素朴で自然…
山菜など、素朴で自然な食物でつくる料理を写真を交えて紹介しています。どれも美味しそう。
文庫OFF
食との関係の理想の形…
食との関係の理想の形をこの本に見ます。食物に対する素朴な感謝、畏敬の念が感じられる十二ヶ月の料理はとても美しい。飽食を恥じる一冊です。
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東京の梟書茶房で選んだ本。 食材を大切に扱う、無駄にしない精神は本当に大切だと感じた。特に食材それぞれの特徴を活かした調理、或いはその食材そのものの野性味を味わっていきたい。 そう思っているところに、かち栗をスーパーで見かけて(40%オフ)即購入。 甘味は添加物で付け足された...
東京の梟書茶房で選んだ本。 食材を大切に扱う、無駄にしない精神は本当に大切だと感じた。特に食材それぞれの特徴を活かした調理、或いはその食材そのものの野性味を味わっていきたい。 そう思っているところに、かち栗をスーパーで見かけて(40%オフ)即購入。 甘味は添加物で付け足されたものではなく、栗そのものの微妙な甘みがあった。正直、ものすごく好きという味な訳ではなかったけど、心做しかありがたさのようなものを特に感じた。(本の影響が強そうではあるが、、) 買った経緯とかち栗との出会い含め、とても良い本でした。
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土の匂い、手触りが伝わってくるような文章。四季の食材を実体験を通してじっくりと描いてくれる。とにかく野菜が食べたくなる。
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幼い頃に京都の禅寺で精進料理の作り方を教えられた著者の暮らしと料理のエッセイ。 貧乏寺だったと表現される少年時代はそこにある物で食事を作るしかなく、工夫を重ね作り上げた料理は文章からでも美味しさが伝わってきます。 今のように何でもかんでも手に入ることはもちろんなく、逆に今の時代の...
幼い頃に京都の禅寺で精進料理の作り方を教えられた著者の暮らしと料理のエッセイ。 貧乏寺だったと表現される少年時代はそこにある物で食事を作るしかなく、工夫を重ね作り上げた料理は文章からでも美味しさが伝わってきます。 今のように何でもかんでも手に入ることはもちろんなく、逆に今の時代の方が豊かではないと感じてしまうほど、ありきたりな世の中になってしまったかもなと考えさせられました。 追い詰められることもなく、責められることもなく、それではモチベーションや意欲は正直保ちにくく本人の意思に委ねられ過ぎている気がします。どの時代が良いとか関係なく今生きているので色々と頑張らなきゃと思いました。 作中に何度も出てくる『典座教訓』も今度購読してみます。
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自然の恵みをいただいて、調理をして食べるということ。頭でわかっていても日々の忙しさに、調理することと食べることそのものが雑になりがちだけど、丁寧に向き合おうと思わせてくれる本。定期的に読みたい。
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水上勉氏は、少年自宅に禅寺に預けられ、そこにて修行体験をする。16歳からは、京都の等持院にて老師の隠侍、すなわち食事、洗濯、掃除などをおこない、数々の教えと共に精進料理について学ぶ事となった。 スーパーやネット販売などなく、何もない台所から絞り出し、料理をするのが、精進料理。旬な...
水上勉氏は、少年自宅に禅寺に預けられ、そこにて修行体験をする。16歳からは、京都の等持院にて老師の隠侍、すなわち食事、洗濯、掃除などをおこない、数々の教えと共に精進料理について学ぶ事となった。 スーパーやネット販売などなく、何もない台所から絞り出し、料理をするのが、精進料理。旬なもの、畑から出ていりものを食べるのであり、畑と相談して決める、つまり土を喰うのである。 土から出てきたものには、平等の価値があり、根っこでも、無駄にはしない。 何もないら台所から、客の心を忖度し、料理をすることは、修行であり、哲学でもあるのだ。 季節の精進料理が紹介されており、教え、教訓的なものもあり、読んでいて楽しい。
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9歳から禅宗寺院の庫裡(くり)で暮らし、精進料理を覚えた村上勉さん。16歳から18歳までは、等持院で尾関本孝老師の隠侍(身の回りのお世話係)をこなしていた。老師の食事も作り、精進料理を学んだ。貧乏寺でなにもない台所から絞り出すのが精進で、それは土を喰らうものだと思ったのは、畑と相...
9歳から禅宗寺院の庫裡(くり)で暮らし、精進料理を覚えた村上勉さん。16歳から18歳までは、等持院で尾関本孝老師の隠侍(身の回りのお世話係)をこなしていた。老師の食事も作り、精進料理を学んだ。貧乏寺でなにもない台所から絞り出すのが精進で、それは土を喰らうものだと思ったのは、畑と相談しながら料理を作っていたからだそうだ。そんな村上さんが12ヶ月間、山荘の台所で土を喰らう生活をしたときのレシピとエッセイ。 土を喰らう生活という表現でもわかるように、畑から取ってきたり、掘り出したりしたものを、ただ焼いたりするだけの料理なのに、とてもおいしそうに思えた。取れ立てで、皮を薄く剥いて、素材の味を楽しむ料理は、今の時代ではとても貴重なもののように思えた。レンジで簡単にすぐできるもの、たくさんの調味料を使って作ったものを普段いただいているから、余計にそう思えたのかもしれない。この本は昭和53年に出版されたものだが、その当時でも、売られている野菜はもう本来の味ではなかったようだ。今も大根が辛かったりしたら、買ったのを失敗した気がしてしまう。本当の野菜の味を私は知らないんだなと思った。 この本を読むと、竹の子を掘ったり、きのこを採ったり、野菜を育てて食べることに憧れる。本当に生易しい生活ではなかったと思うけれど、自然の中で生活したことのない私は、そんなことを思った。生きるために何を食べるのかということについても考えさせられた。 ちなみに映画もとてもよかった。季節に合わせて撮られた映像や自然の音に、心が落ち着いた。
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水上氏が軽井沢の自宅で自ら作る料理について月ごとのエッセイで綴る。昭和の作品だが色褪せた感じはしない。むしろ、ホッとする感じだった。
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日経の春秋で「五十三年も生きていた梅干し」の話が引用されて興味を惹かれて購入。なるほど少年時代に京都の禅寺で奉公した経験を元に軽井沢で隠遁生活?をしている食と料理を中心とした月ごとのエッセイ。 『めしを喰い、その菜のものを調理するということは、自分のなりわい、つまり「道」をふかめ...
日経の春秋で「五十三年も生きていた梅干し」の話が引用されて興味を惹かれて購入。なるほど少年時代に京都の禅寺で奉公した経験を元に軽井沢で隠遁生活?をしている食と料理を中心とした月ごとのエッセイ。 『めしを喰い、その菜のものを調理するということは、自分のなりわい、つまり「道」をふかめるためだということがわかってくる。一日一日の食事を、注意をぬいて、おろそかにしていれば、それだけその日の「道」に懈怠が生じるだろう。』 これが全てかな。食材への感謝。そもそもの食材やそれを育てた土や風土の声を聞くこと。手間を惜しまず工夫を重ねる。それこそ『精進』料理であると。何かとコスパ・タイパが重視されがちな今だからこそ改めて噛み締めたい言葉も多い。
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