死海のほとり の商品レビュー
私はクリスチャンでは…
私はクリスチャンではないけれども最後まで引き込まれました。読み物としては重たい余韻が残りますが、日本人とキリスト教をテーマに宗教色の強い読み物ですが変な偏見や独断がなく、読者に問いかけ感じさせるところが面白い。
文庫OFF
主人公が自身の信仰への疑念や葛藤に区切りをつけるため、イスラエルへ巡礼の旅に出る。一方、イエスを巡る群像達の物語が描かれ、これらが交互に織りなし、信仰の本質とは何んであるかが問われていく。 それにしても「ねずみ」の存在は印象的だ。主人公が学寮に住んでいた頃に出会った臆病でずる賢い...
主人公が自身の信仰への疑念や葛藤に区切りをつけるため、イスラエルへ巡礼の旅に出る。一方、イエスを巡る群像達の物語が描かれ、これらが交互に織りなし、信仰の本質とは何んであるかが問われていく。 それにしても「ねずみ」の存在は印象的だ。主人公が学寮に住んでいた頃に出会った臆病でずる賢いゆえに軽蔑されていたユダヤ系ポーランド人のねずみは、収容所で飢餓の刑に処せられる。そのなんとも哀れな姿は、群像達の描写に現れる哀れな十字架を背負うイエスの姿と折り重なる。このねずみとイエス交差に著者の信仰のあり方を感じる。
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クリスチャン2世で今は教会に行くこともやめてしまった「私」が学友とイスラエルをめぐる話と、イエスと出会った人々の物語が交互に進んでいく。そのなかで遠藤周作的な「永遠の同伴者」イエスの姿が浮かび上がってくる…という構成。イエスは全く奇跡を起こすことができず迫害されるみじめで駄目な人間、しかし愛をもって弱者に寄り添い苦しみを分かち合った人間として書かれている。 正直な感想としては、遠藤周作のイエスはそういった個人的なイメージありきで聖書のごく限られた描写を拾って都合よく解釈しすぎているように思える。現代編の方で学友の聖書学者戸田や行き会った牧師との会話で多少は聖書学の知識がありますよ、自分のイエスのイメージが研究や信仰の本筋からかなり外れていることは分かっていますよ、ということをさりげなく書いているが、それにしても…という感じ。そんなにみじめななんにもできない情けないイエスだったのなら、なぜ後に、実際のイエスが人々の記憶にある時代に神格化されたのかという点が全く分からなくなる(その点は、作中で戸田も指摘しているが)。とにかく奇跡をのちの装飾として全否定しているが、現代でもアフリカなんかでは実際に神父が悪霊を追い払ったりしているし、古代でもそれくらいはあったのではないか、と思うのである。まあ小説だから、と言われればそれまでなのだが…。
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宗教というものを信じていない分、共感出来ない部分は多かったがそれを抜きにしても面白かった。 誰もが持つ弱さや狡さとしっかりと向きあい 咀嚼していく。 そんな生き方をしていきたいものです。
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うちは両親が兄弟に周作と名付けるくらい遠藤周作が好きなのだけど、自分は高校生の時の課題で『沈黙』と『海と毒薬』しか読んだことのない程度。 でもなぜか本作がSNSだかブクログだかでおすすめに上がってきてなんか読んでみたくなりました。 自分はまさに本作で出てくる『私』が第二次世界...
うちは両親が兄弟に周作と名付けるくらい遠藤周作が好きなのだけど、自分は高校生の時の課題で『沈黙』と『海と毒薬』しか読んだことのない程度。 でもなぜか本作がSNSだかブクログだかでおすすめに上がってきてなんか読んでみたくなりました。 自分はまさに本作で出てくる『私』が第二次世界大戦中に在学していた大学出身で、一年次に『人間学』というキリスト教的な必修科目があって、聖書についてどう思うか?と最初の授業で神父様が学生に質問したのです。その際、『よくできているお話だとは思うけど事実だとは到底思わない』と言い放ったクラスメイトがいて、お前はなんでカトリックの大学に入学したんだと心の中でつっこんだけど、まさにそんな展開の話でした。 辛く悲しいエピソードばかりだけれどちょっとだけ遠藤周作がずっと抱えていた葛藤か理解できて、それは自分が漠然とキリスト教に対して思っていたことなのかもとも思いました。 しばらく自分の中で遠藤周作ブームが来そうです。
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私と戸田の巡礼の記録と、2000年前のイエスを取り巻く群像の一人ひとりの物語が交互に語られ、一度その人の人生を横切ったからには「永遠の同伴者」として共にいる惨めで貧しいイエス像を描き出す。 神は清らかで威厳があり高く尊いもの、という一般的なイメージに対して、今回も遠藤周作が描くの...
私と戸田の巡礼の記録と、2000年前のイエスを取り巻く群像の一人ひとりの物語が交互に語られ、一度その人の人生を横切ったからには「永遠の同伴者」として共にいる惨めで貧しいイエス像を描き出す。 神は清らかで威厳があり高く尊いもの、という一般的なイメージに対して、今回も遠藤周作が描くのは、無力で惨めで汚らしく、ぼろ切れのように棄てられるイエス。戸田が語るように、奇跡を期待する民衆に対して何もできず、その無力さに愛想を尽かされて皆に棄てられるのだが、一度関わった人は誰も彼を忘れられない=イエスは誰も見棄てない。 弱くてずるい修道士のねずみはナチスの収容所で最後まで弱いまま、ただ最も歳若だった少年に自分の最後のパンをやって追い立てられていく、その後ろ姿に付き添って歩くイエスの姿を少年は見る。石鹸にされたねずみと、人々の罪や汚れを落とすイエスは重なって、最も弱い者の中にも(だからこそ?)イエスは存在している。
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奇蹟を行えず、それゆえに人々から蔑まれ、みじめに死んでいったイエス。彼が持ち得るのは「やさしさ」のみであり、その「やさしさ」は百卒長の心を動かしたが、死の前に零した嘆きの言葉は、イエスの「やさしさ」ともいうべき高潔な姿をけがしてしまったように見える。 そして、狡さと臆病な性格から、軽蔑されてきたねずみ。彼は学生から葡萄糖をかすめ取り、収容所では賄賂で楽な仕事を得て、弱った人間にパンを与えることもしない。福音書で語られるイエスの姿とは似ても似つかない人間である(むしろ、脱走した囚人に代わり飢餓室に入った神父が「イエス」を思い起こさせる)。しかし、ねずみはいよいよ自分がガス室に送られるとき、尿を垂らすというみじめな姿を晒しながらも、「パンを食べる」という最後の安らぎを捨て、少年にパンをあげた。 主人公の記憶の中にある人物とイエスが重なるように描かれており、ハンセン病患者を避けた「私」もまた、ねずみと重ねて描かれている。エピソードのみならず、作中であえて同じ表現をすることで読者に同じ情景を浮かばせたり、夕暮れのエルサレムから伊豆のわびしい町を連想して「聖地」を卑近な地に見せてみたり、「奇蹟を行えないイエス」という存在が作品の文章全体で描かれているように感じた。
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友人が、本書を読んだことをきっかけにカトリックの洗礼を受けたという話を聞いて読んでみた。聖書学者である友人とイスラエルを旅する「私」の旅日記風の物語と、福音書をいくつかの人物の視点からリライトしたような物語が交互に出てくる構成になっている。巻末の解説が著者と親交の深かった井上神父...
友人が、本書を読んだことをきっかけにカトリックの洗礼を受けたという話を聞いて読んでみた。聖書学者である友人とイスラエルを旅する「私」の旅日記風の物語と、福音書をいくつかの人物の視点からリライトしたような物語が交互に出てくる構成になっている。巻末の解説が著者と親交の深かった井上神父によるものであり、これも必読と言えると思う。
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弟子たちや町の人はイエスを見棄てた。それを現在の、信仰を棄てかかっている主人公とリンクさせてイエスの足跡を辿っている。昔も今も変わらないイエスの意思と存在が浮かびあがってくるような物語だった。 同伴者としてのイエスの描写が印象に強い。人間は弱いものだから、ひたすらに寄り添ってくれる存在があればきっとひとつの慰めになるのだろう。この愛に最後の最後で救われることだってあるだろう。 主人公とその友人の戸田の言葉は、どちらも著者の偽りない気持ちなのではないかと思ってしまった。何か答えが欲しい主人公と、意地悪な返しをする戸田。まるで自問自答のようだ。 本小説は『イエスの生涯』と表裏をなすものと、あとがきにあった。たしかにこの小説で謎だった部分は『イエスの生涯』で納得のいく解釈が書かれていたように思う。
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小説家である「私」を中心とする現代の話と、イエスの物語が交互に語られ、著者自身の信仰の核心にあるものがえがき出されている作品です。 「私」は、大学時代からの知人であり現在は聖書学者である戸田の案内で、イェルサレムの街をめぐります。戸田はイエスについての史実を説明し、イェルサレム...
小説家である「私」を中心とする現代の話と、イエスの物語が交互に語られ、著者自身の信仰の核心にあるものがえがき出されている作品です。 「私」は、大学時代からの知人であり現在は聖書学者である戸田の案内で、イェルサレムの街をめぐります。戸田はイエスについての史実を説明し、イェルサレムで語られるさまざまな伝承が歴史的な裏づけをもたないことを「私」に話します。「私」は戸田に反論できないものの、彼自身の求めつづけてきたイエスのすがたを手放すことはありません。 一方で「私」は、やはり昔の知人である「ねずみ」と呼ばれていたコバルスキの最期のようすを知ろうとします。戦争のさなか、ナチスの収容所に閉じ込められたコバルスキは、英雄とはほど遠い、苦しみのなかを生きた人間でした。 これに対して、イエスのすがたをえがいた章では、奇跡を求める人びとの要求にこたえることができず、なにもできなかった男としてその生涯を閉じたイエスがえがかれています。みすぼらしく死んでいったイエスの人生は、苦しみのなかにいる人びととともに苦しむことをえらびつづけた道だったのであり、そのようなイエスが死後に人びとの信仰を集め、逆説的にも現代にまでその教えが伝えられることになったということを、著者は語ろうとしているように思えます。
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