壁 の商品レビュー
まだ10代の頃読もうとして挫折してしまって以来ずっと本棚で眠っていたのを今なら読める気がして何年かぶりに読んでみた。 そしたらすらすら読めるし面白いしで一体なんで昔は読めなかったのかわからないくらい良かった。 それでも今まで読んできた他の安部公房作品よりは馴染みづらくて、自分が...
まだ10代の頃読もうとして挫折してしまって以来ずっと本棚で眠っていたのを今なら読める気がして何年かぶりに読んでみた。 そしたらすらすら読めるし面白いしで一体なんで昔は読めなかったのかわからないくらい良かった。 それでも今まで読んできた他の安部公房作品よりは馴染みづらくて、自分が内容をどれくらい理解できてるのかちょっと不安だけど…。 第二部のバベルの塔の狸が一番読みやすかったし面白かった。
Posted by
かなりシュールで理解するのが難しい。「砂の女」よりも難しいと思った。面白い部分ももちろんあったが、結論的なところがわからず、正直言って立ち往生してしまった。これが芥川賞とは、その時代は読み手のレベルが今より高かったのだろう。現在のライトなものがもてはやされる感じは好きではないが、...
かなりシュールで理解するのが難しい。「砂の女」よりも難しいと思った。面白い部分ももちろんあったが、結論的なところがわからず、正直言って立ち往生してしまった。これが芥川賞とは、その時代は読み手のレベルが今より高かったのだろう。現在のライトなものがもてはやされる感じは好きではないが、ここまで難しいと…。
Posted by
こんなに訳わからん世界なのに、分かる言葉で分かるかのように書いてくれてる事がもう天才。凄い面白かった。 ちょっとずつちょっとずつ、でも確実にズレていって、最後はとてつもなく変なところに居るのに納得してしまう。なんて天才なの。凄いな〜〜
Posted by
さてさて昭和26年の芥川賞の受賞作である事と小学校か中学校の国語の授業で安部公房氏の他の作品(何かは忘れた)に少し触れた以外の一切下準備がない状態で本書の第1部Sカルマ氏の犯罪を読んだ感想を以下に述べる。 一読しただけではなんとも全く訳の分からない展開であり、かつ何かの喩えに満...
さてさて昭和26年の芥川賞の受賞作である事と小学校か中学校の国語の授業で安部公房氏の他の作品(何かは忘れた)に少し触れた以外の一切下準備がない状態で本書の第1部Sカルマ氏の犯罪を読んだ感想を以下に述べる。 一読しただけではなんとも全く訳の分からない展開であり、かつ何かの喩えに満ちたものでもありそうだったのだが、結局話の要点が分からないまま主人公が壁になったところで話が終わってしまった。いまこの時点でいくつか言えることは別に読みにくい文体ではなかった(古臭い文体ではない)ということと、創作とはかくも自由な発想で良いのか(一見脈略のない荒唐無稽なものも認められる)ということと、なぜこの作品が評価されてるのか知りたいということだ。もしかしたら話の要点などなく、単にSカルマ氏がユニークな体験をした、という話なのかも知れない。しかしこの作品が傑作と呼ばれるからには、何かあるのだろうと期待して最後まで読み進めた。他のレビューを見る前に背表紙の次の文章からこの作品が何を示していたのか考察しよう。 背表紙からの引用: ある朝、突然自分の名前を喪失しつしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在意義を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊としてうつる。他人との接触に支障を来し、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして…。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。 ■ どうせ大した考察はできないのだが、確かにSカルマ氏は名前を失ったお陰で、転落人生とでもいおうか、世界の果に旅に出るまでに人間社会の隅っこに追いやられ、恋人やパパなどの愛する人とも決別させられて最後はただ見渡す限りの荒野にぽつんと1人、成長を続ける壁になってしまったのだ。もう1度カルマ氏の足取りを記録しよう。会社、病院、動物園、裁判、Y子と自宅に帰る、物たちの革命集会、パパの訪問、動物園の約束すっぽかし、マネキンとの会話、世界の果の映画と講演会、部屋の壁を吸い込む、酒場。 朝起きたらSカルマ氏は名前を失っていた。と同時になぜか胸の空洞の陰圧でモノを吸収できる能力を得ていた。また、同時にモノの声を聞くことができる能力も得た。それらはSカルマ氏から平穏な日常を奪い怪奇な人体転落劇に巻き込まれるキッカケになったと言える。これを裏表紙では現実が奇怪と不条理の塊にうつる、と表現されている。Sカルマ氏がハミ出し者にはったのかと言えば、そうではなく、現実が元から可笑しなものだったという表現に聞こえる。また、孤独な人間の実存的体験を描きその底に価値逆転の方向を探った、という下り。これはおそらくこの物語のエッセンスを凝縮したものであるのだろうが、壁になるという一見悲しいオチには価値逆転の芽が含まれているという意味なのだろう。そもそも壁になるといことはどういうことなのだろうか。壁については随所に触れてその意義が書かれている。答えを見たようなものだが、巻末の解説にも目を通した。 解説には壁は内外の仕切りで、砂漠と同質のものであり、安部公房氏は内外の同質性を発見したと書かれている。ふつうは壁の中はこちらの世界、壁の外はあちらの世界で全く別の意味として捉えられる。壁を壊すということは自分の殻を破り、知らない世界に理解を示すような意味で使われる。つまり壁のむこうは実は壁のこちらとあまり変わらないという、純粋さが安部公房氏の作品の特徴であると述べられている。こうなると巻頭の壁は世界を仕切るものではなく、世界への扉というようなことが書かれている事に対しては、壁を壊せば世界が拓けるという事にも捉えられる。Sカルマ氏は壁になったことをどう捉えているのだろうか。文章中では肯定も否定も出てこない。世界の果の映画と講演会から家に帰ったときに彼は壁を見て涙し、壁の営みを讃えた。そして最終的には彼自身が壁になってしまった。最後の一節は「見渡す限りの荒野です。その中で僕は静かに果てしなく成長してゆく壁なのです。」壁になったことを認めた上で楽観も悲観もない。どちらかと言うと営みを讃えた壁になれて嬉しいというニュアンスを感じなくもない。たとえ人間社会から逸脱することになっても彼は自由を手に入れたのかも知れない。 よく分からない事について書くとこういう酷いことになる。本当に難しい作品だ。芥川賞を取ったということだけではこの作品、作風、著者には迎合できないが、何か魅力がある作品だということは分かった。
Posted by
高校生以来の再読。ストーリーはほとんど忘れていた。Sカルマ氏の犯罪だけでなく、他の短編も悪夢的なもので、つげ義晴に通じるものもある。
Posted by
人間の内と外を安倍公房的な哲学で描かれていました。 名前を失った男はその身だけを持ち彼の「存在」自体は名刺に奪われてしまう。 「存在」がない故に社会的存在理由もなく「社会からの除外」という一般的認識から=犯罪者(弾かれる側)として裁判に掛けられます。 壁に阻まれるのではなく壁に沿...
人間の内と外を安倍公房的な哲学で描かれていました。 名前を失った男はその身だけを持ち彼の「存在」自体は名刺に奪われてしまう。 「存在」がない故に社会的存在理由もなく「社会からの除外」という一般的認識から=犯罪者(弾かれる側)として裁判に掛けられます。 壁に阻まれるのではなく壁に沿って何処までも行ける自由に成る程と思いましたが、隔たる壁に自ら自由を創造し突き進むというのは中々斬新だなと驚きました。 消える身体や奪われる影など、肉体と精神の分離表現が特徴的ですが、「物体」と「精神」が同一個体として存在する固定的な考えではなく、 心さえ夢を描ければ何処にでにも行けて何にでもなれるのではないかと思いました。 難解な上に狂気じみた作品集に思えますが、 「壁」という閉鎖的な印象よりは、壁がある限り無限に自由を創造できるのではないかという前向きな印象を受けました。 年老いた頃にもう一度読みたいです。
Posted by
ある日、名前を失ってしまったことで、社会の外に放り出されることになった主人公。その世界は奇妙さを増していき、ある意味で支離滅裂な夢のようなイビツなものとなっていく表題作の『壁』と、他、二章からなる作品です。非現実的なタイプの小説です。現実性からかなり高くジャンプしています。そこに...
ある日、名前を失ってしまったことで、社会の外に放り出されることになった主人公。その世界は奇妙さを増していき、ある意味で支離滅裂な夢のようなイビツなものとなっていく表題作の『壁』と、他、二章からなる作品です。非現実的なタイプの小説です。現実性からかなり高くジャンプしています。そこには、現実性の強い重力から逃れながらも、現実性から逃れたがゆえの、孤独による、よるべなさのようなものがあります。しかし、その世界観といい、文体といい、何故かとても心地よくもあるのです。その幻想世界にある、現実社会を照らすするどい寓意。それはメインに表だって飾られたものではなく、うっすらと感じる程度に内包されているというか、抽出的に読解してみることで感じられるものだったりします。
Posted by
好きなのは「S・カルマ氏の犯罪」。かなりカオスな世界観です。 この本の題名は『壁』ですが、この世界に壁という壁がなかったなら、わたしもあなたもあったものじゃないし、すべては溶け合い、それこそまさにカオスなんだろうなと思います。 でも人はそれぞれ名前を持ち、身分証明書やI...
好きなのは「S・カルマ氏の犯罪」。かなりカオスな世界観です。 この本の題名は『壁』ですが、この世界に壁という壁がなかったなら、わたしもあなたもあったものじゃないし、すべては溶け合い、それこそまさにカオスなんだろうなと思います。 でも人はそれぞれ名前を持ち、身分証明書やIDカードによって自己を識別してもらい社会生活を営む。もしかしたら社会で生活しているのは、『私』ではなく、『私の名前』のほうなのかもしれない。 なら、『私』の行き場はどうなってしまうのだろう。 実存主義の思想を感じます。 阿部公房は、人間が、あって当たり前だと思っているものを、次々に取り上げていって再び混沌の渦の中へ放り込むことで、そこでもがく姿に人間を描こうとしているんだと思う。 そんな、人それぞれな解釈はおいておくとしても、ただ単純に面白いです。 ある朝名前をなくしていた『私』と『名刺』との権力争い。 シュールです。ナンセンスです。言葉あそびの極致です。 名刺が会社に行って仕事をします。名刺や帽子や万年筆たちが当たり前のようにしゃべるし、しまいには、モノたちが謎の作詞作曲をしだします笑 その歌詞は深いようでいて意味不明でかわいらしく、すごくツボです。 主人公は、果てしなく成長する壁になります。安易な解釈かもしれませんが、名前を失い、存在を口々に否定され失墜した自我が、外へ溶けだしていくことを恐れるあまりに自らが壁になってしまった…そうだとしたら切ない話です。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
自分の名前を失い、職場へ行くと自分の代わりに名刺が働いている。病院へ行けば金魚の目玉がいて、からっぽのカルマ氏の胸は雑誌のグラビアのアフリカの荒野を吸収してしまう。そして動物園へ行くと・・・というくだりにどうも既視感既視感。多分、昔、最初をちょっとだけ読んで辞めたのだと思う。せむし→腹むしはちょっと面白かった。 抜粋―『「さようなら。」悲しげなY子の声が追いかけてきました。振り向きましたが、まだ視線がうまくY子を捕えない間に、「早く!」じゃけんにドアの外に突き出され、それが最後の別れになったのでした。』 結局、私にはY子がなんだったのかわからなかったけれど、このシーンはなぜかものすごく悲しかった。カルマ氏を唯一信じてくれたY子だったのに、彼は服や靴に邪魔をされたり、マネキンのY子に惑わされたりしているうちに、ゆっくり話す間もなくY子と別れることになってしまった。でも、大抵の場合そんなものなのかもしれない。 しかし、安部公房とは本当に油断ならない。例えば、友達と世間話をしていたら、「で、会社に行ったら、Aさんからすぐ『昨日泣いた?』とか言われちゃって、それで、『ちょっと飲みすぎました』とか誤魔化してたんだけど、」「うん、うん」「そしたら、金魚の目玉がいてね」「は?」「なんかよくわかんないんだけど、影を食べるとかいう狸が」「ちょっと待って、それ夢の話?」という感じの、かなり現実的な話をしていたはずなのに、いきなり足を掬われる感じの不安感がある。 で、逆に日常生活において、人の夢の話とか、突拍子もない例えや表現を聞くと「安部公房っぽいなー」と思ってニヤニヤしてしまう。
Posted by
なるほど(わからん。) さっぱり意味はわからなかったけれど、ところどころ強烈に頭に残っているシーンがある。 例えば裁判のシーンや、物が反逆を起こすシーンなど。チョークの絵の話も印象的。きっと忘れられない。
Posted by