他人の顔 の商品レビュー
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構成と言葉の選びに馴染みがなくて、仮面作成中のとこらへんは読むのを何度も諦めかけたけど、後半仮面ができてからは展開が気になって、一気に読めた。 普段小説は、登場人物の言動に共感や尊敬しながら読書を進めるタイプだから、この本はそれが難しかった。 一度では解釈しきれなかったし、深夜読み飛ばしてしまった文もあると思うけど
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顔という社会の接点を失い、仮面を通じて社会との接点を回復しようとするなかで、仮面の裏側いにる「ぼく」は誰でもない他者の視点で顔(不完全な仮面)を被った人間の本質を暴いていこうとする人間風刺。 結局人は素顔という不完全な仮面を被り社会と関わり合い、表層的な部分でしかお互いを判断でき...
顔という社会の接点を失い、仮面を通じて社会との接点を回復しようとするなかで、仮面の裏側いにる「ぼく」は誰でもない他者の視点で顔(不完全な仮面)を被った人間の本質を暴いていこうとする人間風刺。 結局人は素顔という不完全な仮面を被り社会と関わり合い、表層的な部分でしかお互いを判断できない。それに対し、完全な仮面を被った自分を本質にたどり着いた特別な存在と考えますが、本質を見抜かれていたのは自分。 とても、ブラックユーモアたっぷりの人間風刺で面白い作品です。考察の部分が多く、展開が少ないですが退屈せずに読ませるところはさすがです。
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液体空気の爆発により、顔を喪失してしまった男が主人公。妻から拒絶されてしまったことをきっかけに、プラスチックで他人の顔を作り上げ、そのプラスチックの仮面をかぶった生活を試みる、という内容。男は妻に受け入れてもらえるか、思い悩む。 顔を変えることによって、人格が変わり、新たに作られ...
液体空気の爆発により、顔を喪失してしまった男が主人公。妻から拒絶されてしまったことをきっかけに、プラスチックで他人の顔を作り上げ、そのプラスチックの仮面をかぶった生活を試みる、という内容。男は妻に受け入れてもらえるか、思い悩む。 顔を変えることによって、人格が変わり、新たに作られるような部分が面白い。顔の受け取られ方で、性格は形づくられてしまうのだろうか…
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「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと? 1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。 液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、 「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、 妻の愛を取り戻そうとする。 主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ...
「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと? 1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。 液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、 「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、 妻の愛を取り戻そうとする。 主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ、 混沌とした迷い、仮面をつけた自分がなにをすべきか という決断までノートに手記を書き続け、手記の 中で妻の「おまえ」に語り掛ける。最後に、その 手記を妻に読ませる。「ぼく」の浅薄さと悲哀が 鮮やかに浮かび上がってくる結末に、あっと 思わされた。 昭和中期の泥臭い雰囲気がたまらなく良かったです。 モノクロか初期のカラーテレビの色を感じさせます。 結末には関係ない箇所ですが、デパートの描写で 「どこの売り場でもかならず陳列台一つがヨーヨー のためにあてられており、そのまわりに子供たちが ダニのようにへばりついている。」(P145) 悪意も嫌悪もなく、デパートにいる子供をダニに 例えるなんて令和にはありえないのかもしれない。 文章で昭和中期にタイムトリップできる。 しかし、さんざんノート3冊逡巡した結果が 「やっぱり性欲」となったのはちょっと ヽ(・ω・)/ズコー でしたよ…、うん。
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難しい。再読しないと。 仮面の陰に隠れてこそこそするのではなく、仮面ははっきり仮面だと分かるものでないと意味がない、という妻の手紙が見事。仮面を見破っていた妻は、仮面に隠れるような卑小な男は捨て、仮面を演技として使う男の前には共演者として現れる。 素顔が仮面か、仮面が素顔か。
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長編。書きつけられた何冊かのノートの内容、という形式。顔がただれた研究者の男は、精巧な仮面の作成にとりかかる。妻とのつながりを取り戻すため、失われた他者への通路をまた開くために。 ____________ 文章がくどいし、クサくて読んでいて気持ち悪くなってくる。最初に安部公房...
長編。書きつけられた何冊かのノートの内容、という形式。顔がただれた研究者の男は、精巧な仮面の作成にとりかかる。妻とのつながりを取り戻すため、失われた他者への通路をまた開くために。 ____________ 文章がくどいし、クサくて読んでいて気持ち悪くなってくる。最初に安部公房を読んだときの衝撃はいったいどこにいってしまったのやら。浮世離れした比喩といっしょに怪しげなよくわからない論理で主人公の独白がつらつら書き綴られているのはかなり読んでいて苦痛。題名に顔とあるだけあって顔に関する考察がかなり長い。 文章中の表現も同じような言い回しが多用されるので安部公房構文なるものがおぼろげながらわかってきた。「〜以上は、〜でなければならない」「〜なのではいけない、〜でこそ〜なのだから」みたいな逆説的な内容の、排中律で、理由を倒置しているみたいなやつ。 個人的には短編の方が好きだ。短編のあの面白さは一体どこへ消し飛んでしまったのか。長編は「方舟さくら丸」と「けものたちは故郷をめざす」はかなり面白かったが、この小説を最初に読んでいたら安部公房を好きになることはなかっただろう。 この小説には、他の作品のあらゆる要素、安部公房が普段考えていてテーマにしていたであろうあらゆる要素が入ってきており、安部公房の思想が全て詰まっている感はある。表情、他者への通路、見る見られる、のぞく、社会の中での孤独、自分の消失。輪っかになったヘビ、というのも出てきた。変なことを数式化してそれっぽく言っていたりするのも健在だ。安部公房の思想理解という点では重要な作品だろう。 特にこの小説がかなり独りよがりで気持ち悪く書いてあるのは、主人公のおかしさを強調するためのものなのだろうか。だとすると、その試みは成功していると言っていいが、普段の安部公房も少なからずこんな感じなんだろうなという気もする。 すべて内緒ごっこであり、妻はあわれな夫の相手をしてあげているだけなのでは、とぼんやり最初から思っていたが 予想が当たった。妻の手紙に救われる。なんて常識的で読みやすい文章なんだ。こういう文章が書けるなら最初から早く書けよ、という気持ちにさえなる。ここから考えるとやはり、わざと気持ち悪く書いていたのだろう。 ていうか、他者への通路=顔のことだったのだなぁ。昔どこかでこのフレーズだけ聞いて感動して覚えていたのだが、この作品が出自なのだろう。 解説で自分が思っていたこと(短編のほうが面白い、安部公房の長編はわかりにくい、この小説はバランスが悪くて面白くない、失敗作だ)を大江健三郎がすべて、そして、きれいにうまい文章で書いている! 大江健三郎すごい! ありがとう! さらに、その上で読解をし、つまらないという感情のその先に進もうとしているのがさらにすごい。解説だから何かしら褒めなくてはならないのだろうが、フランスでも良い賞取っているみたいだし、大江健三郎の言うように一見そうとは見えないが、それなりの隠れた緻密な構成があるのかもしれない。 『愛の片側』って映画本当にあったら面白いのでは。観てみたい。
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顔を失くした男の自己回復と、 他者との交流の窓を回復する目的であったはずの仮面が、 いつしかただ別の素顔を得るだけになる。 執拗に繰り返される自問自答と顔に纏わる考察が、 必死になればなるほど迫害的で妄想的な意味合いを強め、 ひどく歪んだ自己愛的な主観へと埋没していく様が怖いが...
顔を失くした男の自己回復と、 他者との交流の窓を回復する目的であったはずの仮面が、 いつしかただ別の素顔を得るだけになる。 執拗に繰り返される自問自答と顔に纏わる考察が、 必死になればなるほど迫害的で妄想的な意味合いを強め、 ひどく歪んだ自己愛的な主観へと埋没していく様が怖いが、 それは蛭の巣窟になったからなのか。 それとも妻が指摘することが真実なのか。 男とその妻という形式を借りた、 これまた安部公房が描き続ける普遍的な人間の実存をめぐる物語に仕上がっている。
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マスクをしていないと、奇異な目を向けられる昨今において。 主人公はもはや妄想観念的な執着心でもって仮面を作り出そうとする。 しかし、この執着心やら孤独感とはどこに源泉があるのだろう。 顔、なのだろうか。 P.74『怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心えおつくり出す...
マスクをしていないと、奇異な目を向けられる昨今において。 主人公はもはや妄想観念的な執着心でもって仮面を作り出そうとする。 しかし、この執着心やら孤独感とはどこに源泉があるのだろう。 顔、なのだろうか。 P.74『怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心えおつくり出す。』 こだわりの強さ、情緒交流の乏しさ。 そこに、恐るべきボディイメージの歪みと疎外感が加わる。 P.80『流行と呼ばれる、大量生産された今日の符牒だ。そいつはいったい、制服の否定なのか、それも、新しい制服の一種にすぎないのか』 これは昨今でもまったく同じ現象を容易に思い浮かべられる。量産型女子大生とか男子大生とか、就活スーツ、或いはカジュアルオフィス、クールビズ等々。 そこに根底に流れる疎外感と自尊心の欠如がさらに妄想分裂的心的態勢へ退行させる。 P.82『ぼくに必要なのは、蛭の障害を取り除き、他人との通路を回復することなのに、能面の方はむしろ生にむすびつくすべてを拒否しようとして、やっきになっているようでさえある』 このジレンマはマスクをすることで、他者と交流を試みて、しかしマスクという符牒がなければ交流できないという現在の我々のもどかしさとも重なるようだ。 次第に、人格が徐々に交代する。 しかし、これはマスクへ投影された自己像であって、そもそも欲求の投影をはじめから試みていた事もわかる。 それは妻への攻撃であり、この主人公の性的欲求と攻撃性が未分化な未熟な人格構造の投影でもある。 この物語が読みにくいのは当然でもある。 妄想性障害。 奇妙な数式と論理。訂正不能な認知がこの病理を想起させる。 もっと詳しく生育歴を調べたいものだが、二重の父性など元来から葛藤深い人格構造のようでもある。 そして、彼の知能は抽象的思考優位のようでいてその実具体的思考の域を出られていない事も妄想的思考たらしめている。 数学のような体裁であるが、しかし実際は算数の域を出ていない、というべきだろうか。 いずれにしても、読みにくく了解不可能な物語である。 解説(大江健三郎)のアンバランスさ、とはまさに。
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妻の立場だったなら、「顔だけが変わったからって、あなただって気付かない訳ないでしょう」と思う。骨格、肉付き、爪の形、仕草だって、「あなた」だって気付かせるに十分すぎるくらいだと思うから。けれど人って、失われたと思うものに程執着するし、「顔」って常に外界に向けて公開されてしまうものだから、主人公がここまで執着して苦悩してしまうのも無理がないし私もそうなると思う。妻も主人公の悲しみ苛立ちを受け止めようと、また一部道徳的な自己戒律から仮面をかぶって暮らしていたんだと思う。その全てが見えなくなるほどに苦しんだ主人公を非難はできないけれど、妻からすれば、私の気持ちをくもうともせず自分のことばかり憐れんで、侮蔑的な目で私のことを観て勝手に粗ぶって付き合いきれないし次は何しでかすかわからない怖い。。と思うのも当然…。苦悩が性格をゆがめて、覆面効果が暴力性を強化し、怪物みたいだと嫌った見た目にふさわしい心と行動を作り出してしまったのかなぁ。心理学的に考察された論文がありそうだから、そんなのも読んでみたい。
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良くも悪くも男性はこういう思考に陥りやすいのではなかろうか。しかし妻の気持ちもわからぬではない。一度刺さったハリネズミのトゲはそう簡単には抜けない。ならいっそもっと深く差し込んで見る必要があったのではないか?
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