他人の顔 の商品レビュー
失踪シリーズに挙げられるが、個人的に安部公房作品でも砂の女と並び傑作。 顔を失った男の自閉した内省・思考の流れが滑稽で面白い。読んでいくうち主人公と同化し沈み込んでいく引力がある。 作品世界が非常に狭く、読後は疲労も残り要体力。
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顔という不確かなものを科学者らしく科学的に分析し、再現するとともに、顔の本質について思索を深めていく過程が多様な比喩表現で描かれ興味深く読める。 だからこそ、最後の妻の手紙によって、主人公のこれまでの行動が全て無に帰されるところは読んでいるこちらまで顔が熱くなってしまった。 人...
顔という不確かなものを科学者らしく科学的に分析し、再現するとともに、顔の本質について思索を深めていく過程が多様な比喩表現で描かれ興味深く読める。 だからこそ、最後の妻の手紙によって、主人公のこれまでの行動が全て無に帰されるところは読んでいるこちらまで顔が熱くなってしまった。 人間関係一般に一貫した法則性を見出そうとする試み自体が無理のあるものなのに、主人公はそれに気づかない。 主人公は顔に価値を置くことを無意味と言いつつ、周囲の人間がそれを認めないからという理由で仮面を作る。しかし本当は主人公自身が自分の醜い顔を認められないのである。
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顔を失った男のあがき。 精巧な仮面で手に入れた他人の顔。 心の平静を求めた外見への追及はむしろ、 男の孤独と剥き出しになった心をつまびらかにする。 安部公房の独特の比喩表現がたっぷりで、どこまでもひたすらに暗い作品。
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安部公房の、昭和39年に刊行された長編小説。 フランスでも高い評価を得た作品で、 日本では映画化もされているそう。 顔に蛭が蠢くような醜いケロイドを負ってしまい "顔"を失った男が、 妻の愛を取り戻すために仮面を仕立てるという ストーリー。 科学者である主...
安部公房の、昭和39年に刊行された長編小説。 フランスでも高い評価を得た作品で、 日本では映画化もされているそう。 顔に蛭が蠢くような醜いケロイドを負ってしまい "顔"を失った男が、 妻の愛を取り戻すために仮面を仕立てるという ストーリー。 科学者である主人公が研究を重ねて "他人の顔"である仮面を作り上げていく過程が とても興味深く、面白い。 またその中で彼が自身に問い続ける "顔"というものの意味、概念について 深く深く考えさせられる。
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1964年 安部公房 NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/n5b914960a0f9 以前読んだ時よりハマったなー。けっこうこの仮面男に共感しちゃう部分があって、思いのほか楽しめた。こんな話だったか……やっぱ、テキトーに読んだだけでは、覚えてないもんだなー。 「怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心をつくり出す」 顔を失うということが、どれだけ大きいことか。普段あまり考えることもないけど、読んでたら、確かになーと納得。人間って、けっこう微妙な顔の変化を認識しゃうから、こんな大きな変化はとんでもないだろうな。 素顔……なにが自分の本当の顔なのか、真偽の程が怪しくなってくる。その素顔はホンモノか。自分も、仮面をつけているのかいないのか。そう思うと、世界は仮面だらけに見えてくる。
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中学時代に読んで以来の再読。 顔にダメージを負うだけで自分が自分でなくなってしまうのには十分なのに、顔を差し替えても自分のままでしか居られない。 考えてみれば当たり前のことだけどかなり辛いことだとおもった。
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10年ぶりくらいで安部公房。子どもたちが中学生のころ「第四間氷期」と「砂の女」そして、いくつかの短編を読み返している。今回は、文学を読み直そうと、おそらく自分が本格的に文学に入りこんでいった1冊目の本に当たる本書を手にした。最初は高校性のころに読んだ。いまから40年前。古い文庫で...
10年ぶりくらいで安部公房。子どもたちが中学生のころ「第四間氷期」と「砂の女」そして、いくつかの短編を読み返している。今回は、文学を読み直そうと、おそらく自分が本格的に文学に入りこんでいった1冊目の本に当たる本書を手にした。最初は高校性のころに読んだ。いまから40年前。古い文庫で字が小さい。しかもほとんど会話がなく、文字がつまっている。読みにくい。読み始めは「おまえ」というのが親友のことかと思ったりしていた。(いま読み返すとまったく印象が異なる。「おまえ」は妻でしかない。)ということは、他人の顔を仮面として主人公が身につけるということしか、ストーリーは頭に残っていなかったわけだ。そして、物語にひき込まれていくのにそれほどのページを要することはなかった。ストーリーの本筋からははずれるかもしれないが、このコロナ禍で読み返すことには意味があった。科学的にどうかは分からない。しかし、安部公房であるからには、そのあたりは信頼できるであろう。「目は口ほどに物を言う」とはいうが「表情の機能は、顔の下半分、唇の周辺に集中している」と本書にはある。それをいまや皆マスクで覆っている。そのことの意味は何か。そして、源氏物語の時代をあげて、当時は女性は顔を覆い隠し男性に見せなかったという。顔に意味を持たせるのはもっと近代に近づいてからだろうという。それはどうだろう。それならば、顔の表情というか、顔色の変化を見極める能力は身についてこなかったはず。それとも、言葉を持つ前に身につけた顔色をうかがう術が、言葉の発達によって一時覆い隠されていたのだろうか。本筋にもどろう。嫉妬である。自分の妻を、顔を取り換えた自分が誘惑する。その誘いにあまりにも安易に乗って来る妻に嫉妬する。こんな設定をどうして思いつくのだろうか。こんなねじれた設定でしか示すことのできない感情を引き出したかったのか。小説というのは本当におもしろい。しかし、何もかもが中ぶらりんのままである。主人公が妻に向けて書いている大量のノートの中のどこまでが事実でどこまでが妄想なのか。そして、妻は結局あらわれない。解説で大江健三郎が言うように、妻からの手紙も、主人公自身が書いていたものかもしれない。もちろん、安部公房が書いたものであるのは間違いないのだが。これを高校生の僕はどう読んだのだろう。高校性のころの自分に感想を聞いてみたい。ただ、その後、安部公房をすべて読んでいったわけだから、まだ嫉妬の感情をそれほど知っていたわけでもない当時の僕も、この話が「きらい」ではなかったのだろう。
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妻の手紙が秀逸。古女房は、もはや母親であり、母親は出来の悪い息子のやってることは、何でもお見通しなのだ。 全体としては、主人公の延々と続く泣き言、嫉妬、妄想にうんざりしながら何故か読み続けてしまう。読み続けるうちに、不意に気づく。彼のように思考の渦に巻き込まれて、混沌として、訳の分からないことをしてしまう。そんな人、存外ありふれているのではないだろうか。
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顔って何だろう、と言うことを考えて考えて考え抜くとこうなる、という話に思う 読んでると自分が同じ仮面を被ってる気になってくる。 感情的になったり、後からそのことを反省したり、言ってることは突飛だったり極端だったりするけども、心の動きがとても人間的でリアルなので余計に気持ちが悪い笑
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研究所に勤務する僕は実験中の爆発事故で顔一面に大やけどを負い、ケロイド瘢痕を隠すため顔全体を包帯で覆う日々を過ごす。人間同士のつながりの窓である「顔」の復元を考え、特殊ゴムを使用した覆面を思いつく。見放されたと感じている妻にも別人として迫るがその結末は意外にそっけない。愛というも...
研究所に勤務する僕は実験中の爆発事故で顔一面に大やけどを負い、ケロイド瘢痕を隠すため顔全体を包帯で覆う日々を過ごす。人間同士のつながりの窓である「顔」の復元を考え、特殊ゴムを使用した覆面を思いつく。見放されたと感じている妻にも別人として迫るがその結末は意外にそっけない。愛というものは互に仮面を剝がしっこすることか。そのために仮面は必要か?
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