小泉八雲集 の商品レビュー
新潮文庫の分類は、大きく「日本の作品」「海外の作品」に分けられてゐます。かつては「草」「赤」「白」などと、岩波文庫同様に帯の色分けで分類されてゐました。トップナムバアの「草1A」は、長らく『雪国』(川端康成)であつたと記憶してをります。 同じく「日本の作品」とされてゐる小泉八雲な...
新潮文庫の分類は、大きく「日本の作品」「海外の作品」に分けられてゐます。かつては「草」「赤」「白」などと、岩波文庫同様に帯の色分けで分類されてゐました。トップナムバアの「草1A」は、長らく『雪国』(川端康成)であつたと記憶してをります。 同じく「日本の作品」とされてゐる小泉八雲なる御仁は、元元ラフカディオ・ハーンといふギリシャ生まれの英国人でしたが、来日以後、どうやら日本を気に入つたやうで、日本人女性と結婚し、さらに日本国籍を取得、「小泉八雲」と名乗るに至りました。 しかし彼はその著作を日本語ではなくイギリス語で発表してゐます。その内容も、未知なる日本といふ国を、西洋に紹介せんとする意図のものが大半なので、海外の作品の方がしつくりくるのであります。デビッド・ゾペティさんや楊逸さんのやうに、日本人を対象にして日本語で発表する場合は構はないでせうが。 まあいい。実はそれほど拘泥してゐる訳ではありませんので。『小泉八雲集』が面白ければ問題ないのであります。 小泉八雲は来日以来、多くの著作を精力的に発表してきました。それらの美味しい部分を集めたアンソロジイですので、詰まらない訳がございません。即ち『影』『日本雑記』『骨董』などから、日本各地から集めた怪談話が披露されてゐます。 特に『怪談』は「Kwaidan」として、映画にもなるなど、有名な存在ですな。あの「耳なし芳一のはなし」も収録されてゐます。ああ痛さうだ。ただし、映画版は、『怪談』以外からもエピソオドが選ばれてゐます。 『知られぬ日本の面影』からは、「日本人の微笑(The Japanese Smile)」が収録されてゐますが、いやまつたく、秀逸な日本人論であります。面白い。当時は英国人の生真面目さに比して、日本人の軽さが外国人を惑わせてゐたらしい。戦後の高度経済成長期の日本人こそ、勤勉で真面目と言はれましたが、明治期の日本人は不気味な笑顔をふりまく得体の知れぬ存在だつたのでせう。小泉八雲は、日本人の微笑を分析するには、上流階級は参考にならない、古来からの民衆の生活を知らないと理解できぬと指摘してゐます。昔から日本人は意味もなく(でもないけど)、へらへらと笑つてゐたのですねえ。 日本の庶民を愛した小泉八雲ですが、当時の日本は文明開化から間もない、大いなる過渡期でした。西洋に何とか追ひつかうと、庶民の生活や意識も劇的な変化を遂げる、まさに真最中と思はれます。当時の若い層を中心として、西洋に学ぶ一方、古来の日本らしさを軽んずる風潮を、小泉八雲は苦々しく思つてゐたやうです。 2016年に生きる我々にも、参考になり勉強になる一冊と申せませう。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-627.html
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松江と言えば、小泉八雲。じつは今まで読んだことがなかったんだよね。旅行の前に目を通しておいてよかった。とぼけた味わいで思わず笑ってしまったり、涙が出そうになったり。短くも美しい怪談話にすっかり魅了されました。
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はじめてちゃんと読んだ小泉八雲。明治の日本に骨を埋める外国人。他の作品も読みたくなる。日本人がもっと日本人らしかった面白い時代、外国人には日本人がどう見えたか。ペリーに同行した人の話とか本になってないんかな、関係ないけど読んでみたくなった。
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雪女、耳なし芳一・・・。松江に住んだラフカディオ・ハーン、馴染むまでに時間のかかる排他的な町(一旦、親しくなると家族的)で、人々が妖怪のように見えたのではないかと・・・。w
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(2015.10.18読了)(2015.10.15拝借)(1976.07.10三刷) Eテレの「100分de名著」で『日本の面影』が取り上げられました。 かみさんの本棚にあったこの本に、『日本の面影』に収録されている作品もいくつか収録されているので、この機会に読んでしまうことにし...
(2015.10.18読了)(2015.10.15拝借)(1976.07.10三刷) Eテレの「100分de名著」で『日本の面影』が取り上げられました。 かみさんの本棚にあったこの本に、『日本の面影』に収録されている作品もいくつか収録されているので、この機会に読んでしまうことにしました。 ラフカディオ・ハーン、小泉八雲の「耳なし芳一」「雪おんな」などは、読んだことがなくても、映画その他で紹介されるのでなんとなく知っています。 知っているつもりなので、なかなか読んでみようという気にならなかったのですが、読んでみて、かなり面白いことが分かりました。400頁もあるので、つい後回しになっていたのですが、もっと早く読むべきでしたね。 日本以外の人に向けて書かれたのに、日本人が読んでも面白い。日本が西欧化して古い日本を忘れてしまったからでしょうか。 【目次】 『影』(1900年) 和解 衝立の乙女 死骸にまたがる男 弁天の同情 鮫人の感謝 『日本雑記』(1901年) 守られた約束 破られた約束 果心居士のはなし 梅津忠兵衛のはなし 漂流 『骨董』(1902年) 幽霊滝の伝説 茶碗の中 常識 生霊 死霊 おかめのはなし 蠅のはなし 雉子のはなし 忠五郎のはなし 土地の風習 草ひばり 『怪談』(1904年) 耳なし芳一のはなし おしどり お貞のはなし 乳母ざくら かけひき 食人鬼 むじな ろくろ首 葬られた秘密 雪おんな 青柳のはなし 十六ざくら 安芸之助の夢 力ばか 『天の川物語その他』(1905年) 鏡の乙女 『知られぬ日本の面影』(1894年) 弘法大師の書 心中 日本人の微笑 『東の国より』(1895年) 赤い婚礼 『心』(1896年) 停車場にて 門付け ハル きみ子 『仏陀の国の落穂』(1897年) 人形の墓 『霊の日本にて』(1899年) 悪因縁 因果ばなし 焼津にて 注 解説 上田和夫 年譜 ●日本人(231頁) 日本人ほど、生を愛する者はいない。死を恐れぬ者はいない。来世について、彼らは何も恐れない。彼らはこの世を、美と幸福の世界であると思うがゆえに、去るのを悲しむのである。 ●心中(234頁) 恋人たちの自殺は、「情死」または「心中」と呼ばれ、いずれも「心の死」「情の死」「愛の死」を意味する。女の場合、よくそれは女郎階級に起きる。が、時には良家の子女のあいだにもみられる。 ●克己(258頁) 戦場において千の千倍の人間に打ち勝つものよりも、おのれ一人に打ち勝つ者こそ、最上の勝利者である ●公心(259頁) 国民の性情が秩序に向かうか、あるいは無秩序に向かうかは、公的な動機によるか個人的な動機によるかによって分かれる。もしも国民が、主として公心に左右されるなら、秩序は保たれる。それが私心の場合、無秩序は避けがたい。公心とは。正しく義務を守ろうとする心がけである。 ☆関連図書(既読) 「小泉八雲『日本の面影』」池田雅之著、NHK出版、2015.06.25 (2015年10月19日・記) (amazonより) 日常の生活、風俗習慣から、民話、伝説にいたるまで、近代国家への途上にある日本の忘れられた側面を掘り起して、古い、美しい、霊的なものを求めつづけた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。彼は、来日後、帰化して骨を埋めるまで、鋭い洞察力と情緒ゆたかな才筆とで、日本を広く世界に紹介した。本書には、「影」「骨董」「怪談」などの作品集より、代表作を新編集、新訳で収録した。
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今年読んだ本、イサム・ノグチの評伝や、『坊っちゃん』の時代シリーズなどいくつかに、ちらちらとその気配やうしろ姿を垣間見せていた小泉八雲。 これはどうやら呼ばれているらしいぞということで、この夏の課題図書に個人的に選定し、お盆の時期を狙って読みました。 小泉八雲には多数の著作があ...
今年読んだ本、イサム・ノグチの評伝や、『坊っちゃん』の時代シリーズなどいくつかに、ちらちらとその気配やうしろ姿を垣間見せていた小泉八雲。 これはどうやら呼ばれているらしいぞということで、この夏の課題図書に個人的に選定し、お盆の時期を狙って読みました。 小泉八雲には多数の著作がありますが、この本はそれらの中から数点ずつ選んで編集されたもので、前半は怪談話が、後半は日本人論が主となっています。 怖い話がめっぽう苦手な私ですが、しかも時期が時期でしたが、これはあまり怖くはありませんでした。 一つ一つの作品が短くて、物語のエッセンスの紹介という体であったというのが1点。 そして、怪談にいたるまでの悲劇が、日本人の心情として美しく感じられるものであったからというのがもうひとつの理由であるような気がします。 後半の日本人論などを読んでも、小泉八雲は日本人でも気づいていないような日本人の美点を高く評価しています。 当時、日本という国の理解が西洋の国々にほとんどなされていなかったことを考えると、大変にありがたいことなのですが、どうも必要以上に日本をかっているのではないか。 または、西洋文化に対して思うところがあるのではないかと思わされる節があります。 収録されている「日本人の微笑」の中に、こんな一文があります。 “つまり、相手の慣習や動機を、つい自分たちのそれらで評価しがちであり、それも、とかく思い違いしがちであるということである。” 自分の価値観と違う慣習を、低いものと見がちであることを戒めた文章ですが、小泉八雲の場合は、違うからこそ素晴らしいという方向に振れているのではないかと思いました。 それはラフカディオ・ハーンという人間が、西洋の文化のなかで、常にマイノリティな存在だったこととは無関係ではないはずです。 アイルランド人の父とギリシャ人の母。 ケルト神話を背景に持った土地で育った父と、ギリシャ神話の国から来た母の不仲。 キリスト教では救われなかった幼少期の思いが、日本人の、口に出さない想いであるとか、辛いときこそ笑顔を浮かべようとする心情であるとかに、惹かれたのではないかと思いました。 とはいえ、嬉しくも楽しくもないのに、顔に笑顔が張り付いている不気味な日本人というものを、相手に不快な思いをさせないように、辛い思いを伝えないように笑顔でいるのは、日本人にとっての礼儀であると、きちんと欧米の人たちに伝えてくれたのは、全くもってありがたいことです。 日本人が自ら説明することは、まずできなかったでしょうからね。 日本人の美点はその利他主義にある。 周囲の人が幸せであってこそ、自分も幸せになれる。 明治以前の日本人というのは、そういう人たちだったようです。 他人の幸せのために、自分に厳しい義務を課す。 それが、西洋の文化を受け入れるにつれて、利己主義へと変わって行き、日本人の美点が失われていくことを危惧しています。 実際、私が子どものころよりもなお、利己主義は勢力を強めているように思います。 “イギリス人は生まじめな国民である―それも、表面だけのまじめさではなく、民族性の根底にいたるまで徹頭徹尾、生まじめであることは、だれもが認めるところである。これに対して、日本人は、イギリス人ほどまじめでない民族と比べても、表面はおろか、おお根において、あまり生まじめでないといって、おそらくさしつかえあるまい。そして、少なくとも、まじめさに欠ける分だけ、幸福なのである。たぶん、文明世界の中で、今もなお一番幸福な国民であろう。” え!? これ、日本人のことですか? と、一瞬思いましたが、やはり明治の初めに日本に滞在して、日本の奥地〔東北、北海道〕を旅した女性、イサベラ・バードも日本人は不潔で怠け者と書いていましたから、多分当時の日本人はそうだったのでしょう。 明治政府が推し進めた、西洋に追い付き追い越せ政策のせいで、あっという間に日本人は利他主義を忘れ、笑顔を忘れ、エコノミック・アニマルになってしまったんですね。 そして今、私たちは幸福な国民であるのでしょうか。
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小泉八雲氏について、知っていたようで知らなかったと思い知らされた1冊。「日本びいきで日本に帰化した異国人」だとばかり。昔の日本の怪談の訳し方(長さの単位がマイルだったり)や、日本についての考察などは、紛れも無く西洋人の思考でした。あと、私の好きなとある小説の元ネタを幾つか見つけま...
小泉八雲氏について、知っていたようで知らなかったと思い知らされた1冊。「日本びいきで日本に帰化した異国人」だとばかり。昔の日本の怪談の訳し方(長さの単位がマイルだったり)や、日本についての考察などは、紛れも無く西洋人の思考でした。あと、私の好きなとある小説の元ネタを幾つか見つけました。ここだったのか。
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小泉八雲の命日に。 小泉八雲の仕事を誤解していた。創作ではなく収集か。云わば遠野物語だ。真実は古い日本にというけれど,田舎でも松江は好きで熊本は嫌いとか,それが分からないな。恨み,妬み,嫉みを生むのもまた人間。離縁した女房の霊が何故怖いのか?己の思慮が立身のみだったことを男が悔...
小泉八雲の命日に。 小泉八雲の仕事を誤解していた。創作ではなく収集か。云わば遠野物語だ。真実は古い日本にというけれど,田舎でも松江は好きで熊本は嫌いとか,それが分からないな。恨み,妬み,嫉みを生むのもまた人間。離縁した女房の霊が何故怖いのか?己の思慮が立身のみだったことを男が悔いているから。一番印象に残るのは比較的長い「赤い婚礼」。両親の決めた早い結婚によってその後いろいろ不幸がおこる。不義の関係やら情死やら。不倫の果てに文字通り村八分になって壮絶な心中沙汰の末に果てる。でも二人を手厚く葬るのもまた村人。田舎の情は時に残酷。
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小泉八雲の諸作品を一冊にまとめたもの。「怪談」のような話、民話もあれば、当時の世のなかの様子を書いたようなものもあり。「日本人の微笑」などは、多分にハーン自身のエキゾチズム的な印象も影響していると思うが、現代にも通じるような、それでいて通じないような日本人観がうかがえて面白い。た...
小泉八雲の諸作品を一冊にまとめたもの。「怪談」のような話、民話もあれば、当時の世のなかの様子を書いたようなものもあり。「日本人の微笑」などは、多分にハーン自身のエキゾチズム的な印象も影響していると思うが、現代にも通じるような、それでいて通じないような日本人観がうかがえて面白い。たとえば、以下のように書いていたりする。 「日本人は、イギリス人ほどまじめでない民族とくらべても、表面はおろか、おお根において、あまり生まじめでないといって、おそらくさしつかえあるまい。そして、少なくとも、まじめさに欠ける分だけ、幸福なのである。たぶん、文明世界の中で、今もなお一番幸福な国民であろう。」(p.246) その他の作品は総じて、人から聞いた話というスタンスで書いているのが特徴だろうか。この距離感が異邦人としての立場からくるものなのか、あるいは親の愛に恵まれていなかったという生い立ちも影響していたりするのだろうか。 怪談や民話のような話を読んでいて思ったのは、女性が主人公のものがないということ。女性が際立つ物語でも、業突く張りだったり男を惑わす悪女のようにして登場する。自分が小さい頃から触れてきた日本の物語もその類のものばかりのような気が。 また、グリム童話なども一般になじんでいるのは子ども向けに翻案されたもので、実はもっと怖かったりえげつないとされるけれど、この本のなかの怪談や民話も同じように、すくいようのない話だったり、「あれ、これで終わり?」のようなものがわりと多かった。
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人から聞いて書いた話と実体験に基づいて書かれた話の境目がわからなくなることがあった。先に解説を読んで、参照すれば良かったんだけど。
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