天人五衰 の商品レビュー
三島由紀夫が人生を懸けて書いた豊穣の海シリーズの第一作。『春の雪』という言葉から思いうかぶように美しく、繊細な小説である。 特に清顕と聡子が逢引きし、雪の降る俥の中で過ごす時間は、まるで時間が止まったかのように感じるほど美しい。 傷つくやすく、感情によって生きている美少年清顕...
三島由紀夫が人生を懸けて書いた豊穣の海シリーズの第一作。『春の雪』という言葉から思いうかぶように美しく、繊細な小説である。 特に清顕と聡子が逢引きし、雪の降る俥の中で過ごす時間は、まるで時間が止まったかのように感じるほど美しい。 傷つくやすく、感情によって生きている美少年清顕と、理性と思考によって生きるいる親友本田のバランスが良く、読んでいてマンネリしてこない。 本田は深い知性と分析を駆使し、転生し続ける主人公を通して、生きるとはなにか?世界とは何か?を、模索する。 おそらく三島自身も本田を使って決死の思いで 生きるとは何か?に手を伸ばしていたのだろう。読んでいてその狂おしいまでの模索、苦悩を感じる事が出来た。
Posted by
老残の本多繁邦が出会った少年安永透。彼の脇腹には三つの黒子がはっきりと象嵌されていた。〈輪廻転生〉の本質を劇的に描いた遺作。
Posted by
豊穣の海最終巻。妻も亡くし老残の主人公、本多は十六歳の少年、安永透に出会う。少年の左の脇腹にはこれまでの転生の証である三つの黒子があった。さっそく本田は少年を養子にして教育を始めていく…という内容。ラストがあまりにも衝撃的すぎる。
Posted by
ここまで書いてなお自死を選んだのは何故か、そこの凄みはこのシリーズを読んだだけでは全くわからなかった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
再読です。 若い頃はものすごい美青年が転生するってだけで読み切ったのですが(笑)、今となって読むとまさに暁の寺、天人五衰の本田と同じ年代となって、物語の様相は全く変わりました。 はっきり言って最終巻はかなり面白く読めました。 天人が衰えて聖なる力を失い死んでゆく様相は大変恐ろしく醜悪で、ついうっかり夢枕爆の「腐りゆく天使」のイメージと重ねてしまいましたが、所詮凡人はハナから天人ではありません。 なので年老いて醜悪な本田にかなり共感してしまいます。レスビアンの慶子との友情も微笑ましく羨ましいとさえ思ってしまいました。 自分は選ばれた天人だと証明しようとして、失敗した透の朽ち果てて行くような生き様も、むしろ良いと感じます。 豊饒の海を読みながらずっと考えていたのは、なぜ清顕が転生するのかと言う事でした。何のために、どんな資格があって??? 清顕はものすごい美青年ではありますが、特に心根が美しいとか純粋と言うわけではなく、むしろ愚かな若者の印象が強かった。聡子との恋も意図的に手遅れにしてしまってから初めて燃え上がり、相手も自分も滅ぼし尽くす道を行く印象。 その反面奔馬の勲は、若いが故に忠義において誠実で純粋で、わかりやすいです。周りの分別ある大人たちに寄ってたかって止められ、無罪放免にされてゆく過程はあまりに残酷で無残でした。 ジンジャンに至ってはどう言う人物なのかほとんど書かれていません。勲が信念など持たない、感情と肉体のみで生きる女性になりたいと願ったからなのでしょうか? そして最終巻の最後、本田が全ては夢か幻だったのか?と唖然とするくだりは、圧倒的な美しさと印象で突き刺さります。 まさにこの場面のために三島はこの4部作を書いたのではと…… 人生は夢のまた夢。清顕は子供時代から理性と知識のみで生きようとした本田の追い続けた憧れであり、愛なのかと。 なにはともあれ久しぶりに純文学を読み、色々考えさせられて、とても楽しい読書となりました。
Posted by
三島由紀夫「天人五衰 ~豊饒の海(第四巻)」 タイトルのとおり、すでに本多は老いている。 「東京海上や、東京電力や、東京瓦斯や、関西電力の、『品格のある堅実な』株の持主であることが、紳士の資格であった時代」は終わり、「昭和三十五年からの十年間、・・・花形銘柄は日ましに下品になり...
三島由紀夫「天人五衰 ~豊饒の海(第四巻)」 タイトルのとおり、すでに本多は老いている。 「東京海上や、東京電力や、東京瓦斯や、関西電力の、『品格のある堅実な』株の持主であることが、紳士の資格であった時代」は終わり、「昭和三十五年からの十年間、・・・花形銘柄は日ましに下品になり、日ましにどこの馬の骨かわからぬものになりつつあった」(P127)。つまり、本多は頑迷になっていたのだった。 毒蛇にかまれてジン・ジャンが死んだあと、本多が新たな生まれ変わりだと信じた青年、安永透は、自分を選ばれた運命の持ち主と信じている。本多はこんどこそ早死にから救おうと彼を養子にとるのだが、透は次第に傍若無人になっていく。 豊饒の海、とはいわゆる月面の海のひとつのことだという。もちろんほんとうはただの砂漠でしかない。すべてを失った本多が月修寺(月の寺・・・)を60年のときを経てふたたび訪れるシーンでの、「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」(P303)という一文は、人生の果てにたどりついたのがまさに豊饒の海であったことを示している。 これを書き終えたその日、三島は自ら命を絶った。 本多の独白。 「自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。・・・絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。しかし俺には、能うかぎり希薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている」(P131)。 読後しばしぼーぜん(結末は知っていたのに)。 三島由紀夫、享年45歳、私もついに年上になってしまった・・・。
Posted by
4年かけて「豊饒の海」全4巻を読了。輪廻転生をテーマに描かれた作品だが、主題そのものよりも三島による登場人物達の心情表現の色鮮やかさがすごい。正直全てを理解できた訳ではないが、私自身は自分の気持ちですらあれだけの言葉、熱量で語ることはできないと思う。 また、天人五衰においては、風...
4年かけて「豊饒の海」全4巻を読了。輪廻転生をテーマに描かれた作品だが、主題そのものよりも三島による登場人物達の心情表現の色鮮やかさがすごい。正直全てを理解できた訳ではないが、私自身は自分の気持ちですらあれだけの言葉、熱量で語ることはできないと思う。 また、天人五衰においては、風景描写も光っていた。繰り返される海、波の描写は紙の上に動いている海が見えた。 読書の秋にぴったりの読み応えのある文学作品。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
三島由紀夫の描く「世界解釈」の輪廻転生の物語の最終巻。 恋に生きた清顕、信念に生きた勲、女を欲した月光姫とこれまで「見られる」受け身側であったのに対し、 本作で生まれ変わりとされる透は「見る」側として描かれていました。 作中に、自分は猫だと思い込んでいる鼠が猫に食べられそうになった時に『いや、私は猫だ。猫は猫を喰うことはできない』と言ったのち、それを証明する為に鼠は自殺をするものの結局は喰えたものじゃない見棄てられ 「猫は自分を食べない」=「自分は猫」 の方程式が消失する話がありますが、 第3巻までで美しいものは死ぬべきということが幾度も主張されたのち 「20歳で死ぬ」=「自分は美しい天才である」 の方程式が、透の自殺の失敗によって彼が信じてきた神秘性を瞬時に失う描写は彼が清顕からの輪廻転生の「偽物」であると強く主張していると感じました。 考察のような感想になりますが、透という名前自体が 不透明ではない美=透、しかしそれを「見る側」である透自身が偽物であるという揶揄なのではと思いました。 仏教用語に於ける「天人の五衰」の死の直前の5つの兆しを終盤の透が悉く体現しており、5つ目の不楽本座については月修寺へ向かう参道でタクシーを降り運転手に断るという行動から、本多の長寿の末の死を想起させられました。 聡子は忘却を前提に清顕と恋をしており、本多は「見られる側」の美しさに嫉妬しながら「見る側」として生き永らえ其々の人生を送った60年がとても切なく感じました。 最期に本多が御門跡(聡子)と会えたこと、清顕の夢日記が透に焼かれたことで、60年の輪廻転生から解脱しようやく清顕の心が浄化されていれば良いなと思える最終巻でした。
Posted by
第四巻の途中まで、物語はどんどん広がりを見せていながら、急に物事の終焉に向かって収斂されていく。それは主人公の老いに沿ったものだが、最終的には夢うつつの話になるという終わり方は、人生そのものが現実なのか夢なのか考えさせられるような物語。人は最期、たぶんそうやって人生を振り返るのか...
第四巻の途中まで、物語はどんどん広がりを見せていながら、急に物事の終焉に向かって収斂されていく。それは主人公の老いに沿ったものだが、最終的には夢うつつの話になるという終わり方は、人生そのものが現実なのか夢なのか考えさせられるような物語。人は最期、たぶんそうやって人生を振り返るのかもしれない。
Posted by
とうとう終わってしまいました。子供の頃の夏休み、汗を書いて登った学校の裏山の山頂広場、風の音と蝉の声だけの静かな空間に、ひとりで置いていかれたような気持ちです。結局、最後は振り出しに戻って何もなくなってしまった、そんな感じもします。難しくて理解できないところも多々あったものの、日...
とうとう終わってしまいました。子供の頃の夏休み、汗を書いて登った学校の裏山の山頂広場、風の音と蝉の声だけの静かな空間に、ひとりで置いていかれたような気持ちです。結局、最後は振り出しに戻って何もなくなってしまった、そんな感じもします。難しくて理解できないところも多々あったものの、日本語の美しさや日本人、神道、仏教に改めて気付かされた最高の読書体験になりました。だけどまだまだ消化不良です。
Posted by