天人五衰 の商品レビュー
輪廻転生を本多繁邦を通して再現しているのだが、三島自身の自己分析をしているように思えてならない。松枝清顕、ジンジャン、安永透は黒子で繋がっている。命の短さとはかなさを三島ならではの文学的表現で紡いでいる。虚無(ニヒリズム)を訴えて後自殺をするので、まるで自分の思いを込めた小説だっ...
輪廻転生を本多繁邦を通して再現しているのだが、三島自身の自己分析をしているように思えてならない。松枝清顕、ジンジャン、安永透は黒子で繋がっている。命の短さとはかなさを三島ならではの文学的表現で紡いでいる。虚無(ニヒリズム)を訴えて後自殺をするので、まるで自分の思いを込めた小説だったと思われる。
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三島由紀夫が虚無の作家であることがよくわかる作品。どこまで結末部を意識してこの大作が創られたかは分からないが、戦後を虚しく生きた三島の心の暗闇に放り投げこまれたような読後感。 末尾の昭和四十五年十一月二十五日という日付が、痛々しく心に残っている。 三島さん、生き延びてほしかっ...
三島由紀夫が虚無の作家であることがよくわかる作品。どこまで結末部を意識してこの大作が創られたかは分からないが、戦後を虚しく生きた三島の心の暗闇に放り投げこまれたような読後感。 末尾の昭和四十五年十一月二十五日という日付が、痛々しく心に残っている。 三島さん、生き延びてほしかった・・・。
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豊饒の海四部作に流れる共通のテーマは輪廻転生、しかし本作最後の尼の言葉で断たれる。三島由紀夫の意図したものは何だったのか?
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三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』四部作の最後の作品。 三島由紀夫は本作の入稿を終えると、楯の会のメンバーとともに自衛隊の決起を呼びかけて市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしました。 三島由紀夫文学の、ないしは日本文学を代表する名作ですが、構成する四作はどれも長く難解で、読み出すには覚悟が...
三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』四部作の最後の作品。 三島由紀夫は本作の入稿を終えると、楯の会のメンバーとともに自衛隊の決起を呼びかけて市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしました。 三島由紀夫文学の、ないしは日本文学を代表する名作ですが、構成する四作はどれも長く難解で、読み出すには覚悟がいります。 私もようやく読み終えましたが、長い距離を走ってきたという疲労感と、この小説はいったい何だったのかという不思議な気持ちが感じられました。 輪廻転生をテーマにしたこの物語は、松枝清顕、飯沼勲、月光姫を経て、清水港の通信所で働く少年・安永透へ紡がれます。 本多繁邦は76歳になり、妻を亡くして、友人となった久松慶子と気ままに過ごしていました。 三保の松原に行った際に立ち寄った帝国信号通信社で、16歳の少年・安永透に出会います。 彼の脇腹に3つのほくろを認めた本多は、過去に失った3人の若者のようにさせないため、透を養子にして教育を施します。 だが、裕福な暮らしを得た透の行動は、次第におかしくなってゆきます。 婚約者の百子を陥れて婚約を破棄し、義父である本多を虐待し始め、一方で外面を良くして味方を増やします。 また一方で、本多は、透が果たして清顕の生まれ変わりか、懐疑的になってゆきます。 実際に作中、月光姫が死んだ日は突き止められず、透が生まれ変わりだったのか、そもそも輪廻転生などといった事象は、これまでも起きていたのか、謎のまま終わります。 ラストは謎を謎のままとし、輪廻の有無に関わらず、その先にあった虚しさを感じるような終結だったと感じました。 天人五衰は四作の中では比較的短く、読みやすい方だと思います。 ただ、過去三作に続いてやはりバッドエンドルートとなっており、天人五衰というタイトル通り、死に向かって流れる物語でした。 また、過去三作では主人公は死ぬことで次の話へ続きましたが、本作の主人公は運命を試して失敗するという意外な結末となります。 結局、輪廻転生はあったのか、透は生まれ変わりではなかったのか、真相は明かされないまま、読者の胸にしこりを残して、三島由紀夫は逝ってしまいました。 そういった意味で、組み立てたパズルの最後のピースが見つからないような"なんだったのか"という読了感がありました。 いずれにしても、今は続き、過去は忘れ去られてゆく、作中の言葉で「何もないところ」というのが、その答えなのではないかと思いました。 長編ゆえにおすすめしづらいところがありますが、読めば名作と謳われるべき何某かを感じることができると思います。 時間があれば是非挑戦して欲しい名作です。
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物語の最後が印象的 「今日は朝から郭公が鳴いておりました」 とまだ若い御附弟が言った。 芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際の花咲いた撫子が...
物語の最後が印象的 「今日は朝から郭公が鳴いておりました」 とまだ若い御附弟が言った。 芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際の花咲いた撫子がつつましい。左方の一角の古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を焼きそうな青緑の陶の煽が、芝生の中ほどに据えられている。そして裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩をそびやかしている。 これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいたお庭である。数珠を操るような蝉の声がここを領している そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。 この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・・
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「豊饒の海」読了。 令和三年十一月二十日 惜しい。5日違い。 昭和45年11月25日、三島は編集者に、何の予告もなくこの小説の最終章を託した。 楯の会メンバーの迎車が早く着き、編集者に直接手渡すことは叶わず。原稿には、厳重な封がされていたという。 この4作目の主人公、安永透には、他の転生の主とは違い、まったく共感を持てなかったが、最後は少し気の毒になった。 結末は、何が現実で何が夢なのか、分からなくなるようなものだったが、腑に落ちたような気もする、不思議なラストであった。
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全四巻からなるこの「豊饒の海」。今作はそんな大長編のラストを飾る四巻目「天人五衰」である。 今回の主人公は安永透。彼は生まれながらにして自分の脇下にある黒子を何か自分を超越的な存在たらしめる証拠だと思っている。彼は慶子に言われたように、清顕と勲、ジン・ジャンの転生者ではなかったかもしれない。けれど私にはどうしても転生者だと思わざるを得なかった。特にそれらしい描写があるとは言えないものの、直感でそう思った。本多の普通の人に戻したいという助力あったからこそ、転生者ではあったもののその資格を失ったのではないかというのが私の考察である。そうだとするならば、関与次第では清顕も勲もジン・ジャンも死を免れられたかもしれないと思う。だから、もし本多が養子に取らなければ、徹底的な補助をしなければ、透も二十歳で死んでいたのではないかと考えた。いずれにせよ真相は分からないし、きっと贋物説の方が多いとは思うが、想像するだけは許してほしい。 天人五衰の過程をそのまま透が辿るという構成の素晴らしさには圧巻。また最後の本多が月修寺に向かうシーンは、第一巻「春の雪」の清顕が月修寺に向かうシーンと対比されていて凄く良かった。そして、極め付けは最後の場面での聡子のあのセリフは全ての認識を覆すものであり、驚嘆するしかなかった。全ては幻だったのか!? 正直、この作品を完全に理解するのは私には若過ぎて些か難解だった。けれど読んで良かったと胸を張って言える。三島由紀夫は何を思ってこの4巻からなる物語を書いたのだろうか。私にはまだ理解できないけれど、私が彼の享年と同じ歳になるまでには理解できていたら良いと思う。とにかく今の私にとっては、彼の作品を読むことが彼を理解することであり、彼を悼むことでもあるのでこれからも読み続けていきたい。
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私の読書人生史上最高傑作。ただし、春の雪〜天人五衰までを一つの作品として読まなければ、何が最高なのか分からないと思う。
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豊饒の海最終巻、やはりおもしろくて圧倒された。 と同時に空しいと感じる脱力感もある。 ここまで打ち砕かなくてもいいじゃないか、といったらいいか、、、。 好みはあるだろうが名作であると思う。 作家によって さらりと描いて想像力をかきたてられおもしろい作品と、 三島由紀夫のように...
豊饒の海最終巻、やはりおもしろくて圧倒された。 と同時に空しいと感じる脱力感もある。 ここまで打ち砕かなくてもいいじゃないか、といったらいいか、、、。 好みはあるだろうが名作であると思う。 作家によって さらりと描いて想像力をかきたてられおもしろい作品と、 三島由紀夫のようにものすごくうまい文章で目に見えるように、 想像力を飾り立てられてめくるめく作品とあるとして、 私はどちらも好みである。 さて 白状すると私にも自分の中に、 「私は私しかいないのだ!」というある核(意識)を持っていて、 それをとてもとても大切なものだと思って生きてきたようだと思う。 それは生まれた時からあったもので、 成長して認識が始まってから自分が作ったものではなく、 どこからか私に受け継がれてきたものだと思えて仕方がなかった。 意識と認識は別のもののような気がどうしてもする。 それでこの「輪廻転生」による魂の浮遊を信じたい。 勿論信じはしない気持ちのほうが強い。 伝わっているとしたらDNAで繋がっているのだ、 と言うほうがわかりやすいが、つまらない。 他人の意識の中身はわからない、作家はそのごく一部を暴き出す、 人のを知りたいという欲求に答えてくれる。 本多は傍観者であり一貫した主人公であり作者。 輪廻転生の伝達者、清顕、勲、月光姫(ジン・ジャン)、透と 巫女的存在、聡子、槙子、慶子、絹江が織り成す錦絵のような夢想小説。 意識は誰もみんな持っているし、それは男であろうと女であろうと ひとりひとりが、大切な大切な宝物のごとくの意識を この世にどう表すか、表されるのか、 魂の具現実験を手堅く見せてくれた三島由紀夫。 ここまで書いてもうふた通りの感想が書けそう、 と思ってしまったが、まあ、止めておこう。
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豊穣の海第一部からこの第四部まで、本当に読み応えのある作品でした。大作です。 この第四部では、本多をはじめとする、さなざまな人間の煩悩が描かれる。終盤、これまでの人生の恥と罪と死を負った本多は門跡(聡子)に会いにゆく。本多はこれまで仕事上ではさまざまな実績を残したが、本当のところ...
豊穣の海第一部からこの第四部まで、本当に読み応えのある作品でした。大作です。 この第四部では、本多をはじめとする、さなざまな人間の煩悩が描かれる。終盤、これまでの人生の恥と罪と死を負った本多は門跡(聡子)に会いにゆく。本多はこれまで仕事上ではさまざまな実績を残したが、本当のところは、清顕をはじめとする他人の人生に執着し、自分の人生を生きていなかったのだと思う。とすると、門跡(聡子)が本多へ発することばがとても意味深く思える。すべては儚き夢物語だったのだろうか。
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