日本の伝説 の商品レビュー
柳田国男さんの「日本の伝説」集ですね。 「日本の昔話」の姉妹篇ともいえる作品です。 全部で10話紹介されています。それに柳田さんからの児童にメッセージが添えられています。 昔話と伝説とは違う分野の作品との事でした。 昔話は『むかしむかしあるところにおじいさんがいました…』特定の場...
柳田国男さんの「日本の伝説」集ですね。 「日本の昔話」の姉妹篇ともいえる作品です。 全部で10話紹介されています。それに柳田さんからの児童にメッセージが添えられています。 昔話と伝説とは違う分野の作品との事でした。 昔話は『むかしむかしあるところにおじいさんがいました…』特定の場所や人物が無く、わりとどこの地域にも似たような話があります。 伝説は地域に根差して、場所も人物もある程特定出来て歴史的に伝承で語られています。 解説者によると「昔話と伝説とをごちゃにしてしまって「民話」といったりしているが、「民話」という語は、その用語自身は、学問上のことばではない。昔話と伝説とから材料をとって、別の形に物を創り出してしまったものだ。」 柳田さんの功績でそうした区別がなされてきた背景があることを明らかにされています。 ですから、「日本の昔話」はわかりやすく話しかける読みやすい文章でしたが、「日本の伝説」は細かい字で切々と語りかける文章で綴られています。 「昔話」「伝説」「民話」何れも興味ある文学なので色々読んでいきたいですね。
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日本の昔話が収集物としたら、この日本の伝説は収集物の分類と整理、紐づけの作業の賜物だと思う。 ただの昔話と伝説を分かつもの。それは動物と植物を分かつそれであるという。こういう考察を変な定義づけではなく口語として自分のことばで語れるところに彼の学者としての矜持と確かな知性がうかがえ...
日本の昔話が収集物としたら、この日本の伝説は収集物の分類と整理、紐づけの作業の賜物だと思う。 ただの昔話と伝説を分かつもの。それは動物と植物を分かつそれであるという。こういう考察を変な定義づけではなく口語として自分のことばで語れるところに彼の学者としての矜持と確かな知性がうかがえる。考えるという行為を徒手空拳で挑み続けた人間に他ならない。 伝説の方が確かに昔話よりもどこか静的で神聖ささえ与える感じがする。けれど伝説も昔話とともに生きている。昔話がある種の伝説にもなれば、伝説から様々なバリエーションの昔話が拡がっている。 しかもそれらは、決して日本というだけでなく、どこか遠い時代の別の場所にも水脈のように通じているように思えてならない。驚き清水はモーセが荒野で杖をついて水を与えたことに似ている(しかもモーセはやはり年老いた老人的なイメージである)。 国境の決め方や聖なる力のあるものにあやかる箸や袂石。それらが老婆や水辺、ひいては山という存在につながっているのは単なる偶然だろうか。 そしてこうした伝説の数々は大人ではなく児童の友人として傍らに存在し続けていた。伝説と昔話の違いは子どもと大人の違いのそれではないかとさえ思える。誰もが子どもであり、誰もが最初から大人ではなかった。 ここで想像力でがっちりと紐づけるのではなく、収集されたデータに基づいて考察をとめるあたり、ほんとうに堅実な学者肌のひとだったのだと思う。
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角川文庫版 昔の人の日本語は綺麗 これが子供向けに書かれたとは、昔の子供は難しい本を読んだものだと感心する
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昔話系は結構読んでるので、知ってるエピソードが多くて興味深かったけど、文体は多少読みづらいかも。 アラビアンナイトとの相似点もあったりして、おもしろかったです。
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日本各地に伝わる、不思議な言い伝え。それらを分かりやすい文体で比較考察した一冊です。 何故人々は、石や湖、山を畏れ、大切にしてきたのか。各地に伝わる様々な伝説は、どのようにして生まれてきたのか。これらの伝説が衰え、だんだんと失われつつある今、この本は改めて私たちに"伝説...
日本各地に伝わる、不思議な言い伝え。それらを分かりやすい文体で比較考察した一冊です。 何故人々は、石や湖、山を畏れ、大切にしてきたのか。各地に伝わる様々な伝説は、どのようにして生まれてきたのか。これらの伝説が衰え、だんだんと失われつつある今、この本は改めて私たちに"伝説”の面白さを教えてくれます。 章も豊富でさくさく読める、学問の書。
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“伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物の如く、伝説は植物のようなものであります。昔話は方々を飛びあるくから、どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、伝説はある一つの土地に根を生やしていて、そうして常に成長していくのであります。” と著者の柳田国男氏は...
“伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物の如く、伝説は植物のようなものであります。昔話は方々を飛びあるくから、どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、伝説はある一つの土地に根を生やしていて、そうして常に成長していくのであります。” と著者の柳田国男氏はこの本の冒頭で述べています。以前同著者の作品「日本の昔話」を読んだことがありますが、実際に面白味があるのは「昔話」の方で、そういう事があったと記載されているのが「伝説」という感じです。解説でも昔話は言語の形式を外しては語れない言語芸術のようなものであると書かれている一方、伝説は伝える内容が大事なのであって、その伝え方はどういう形でも一向に差し支えないと説明されています。 この昔話や伝説ですが、現在はあまり聞かれなくなったように感じます。小さい頃に母親ないしは祖母などから聞いた記憶というものは大人になっても印象として残ると言われていますが、自分自身、有名なおとぎ話は記憶に残っていても、生まれ育った土地の「昔話」や「伝説」については全く記憶にありませんでした。幼少期に語り継がれることで残されていったものが消えかかっているのかとも思います。この本を読んで初めて自分の身近にある「伝説」というものにふれた感じがします。伝説や昔話はその土地の風土などとも密接に結び付いているものだと改めて感じましたが、自分たちの世代は生まれ育った土地との関係性が極めて薄くなっているようにも思いました。 追記:生まれ育った土地の「昔話」や「伝説」については全く記憶にありませんと書きましたが、レビュー記載後思い起こしてみたら、小さい頃によく祖父に連れられ近くの夜泣き石がある城跡や、狸伝説が残っている寺に行ったことを思い出しました。
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※このレビューにはネタバレを含みます
買ってからおそらく20年以上放置していた本。 ようやく読めそう。 咳のおば様 咳 関 姥 子安 道祖神 奪衣婆 姥甲斐無い 驚き清水 空也上人という名前を、昔聞いたような気がするが初めて認識した。 大師講の由来 たいし 大師 太子 大子 姥 うば おば 叔母 片目の魚 片目のものを恐ろしくまた大切に思う昔の人々 機織り御前 御箸成長 行逢坂 袂石 山の背くらべ 神いくさ 牛込の赤城神社と日光の話が興味深い。 伝説と児童 綺麗にしたり、大切にしたりすると怒る地蔵の話が面白い。 伝説分布表 解説 池田弥三郎 民話という言葉を批判している。 年譜 ようやく読み終わった。もともとは日本児童文庫として子供向けに書かれた本であることが解説に書かれているが、昔の子供はレベルが高かったとあらためて思う。柳田国男の蔵書が成城大学に寄贈されたことも初めて知った。
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単純で色彩の鮮やかな日本の伝説を、柳田国男の柔らかな筆致で世の若い人のために。初学者向けながら「咳の姥さま」から始まる子供・ウバの一連の伝承、片目の魚、大師から論を展開していく手法は健在。
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一冊の本として初めて読んだかもしれない柳田作品。丁寧に全国から集められた伝説の中に、おおいたの姫島や飯田こうげんの話があると嬉しく感じます。特に、豊後富士=由布岳と富士山に絡む西行法師の伝説は知らなかった分、感銘を受けました。
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日本各地の伝説・昔話を整理すると、全国で似たような話がたくさんあり、全く違う主人公の話が元は同じエピソードからきていることが見えてくる。箸を地面につきさせば、後にはその箸が二対の大木となり、杖を地面に突き立てればその衝撃で井戸水がわいてくる。各地にそんな話があるけれど、主体は各地...
日本各地の伝説・昔話を整理すると、全国で似たような話がたくさんあり、全く違う主人公の話が元は同じエピソードからきていることが見えてくる。箸を地面につきさせば、後にはその箸が二対の大木となり、杖を地面に突き立てればその衝撃で井戸水がわいてくる。各地にそんな話があるけれど、主体は各地ばらばらで、弘法大師や源頼朝、空也上人と、有名な人なら誰でもいいようだ。 伝承というのは勘違いの歴史である。語り伝えるうちに一部が欠けたり付き足されたり、2つの話がごちゃ混ぜになったりする。誰かの業績も他の有名人と混同されて主人公が入れ替わる。 柳田の巧みな構成によって(?)、前に提示された伝説と新しく出された伝説が1つの物語として有機的につながっていく。 読んでいてとても面白かった。
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