眠れる美女 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
川端康成を生まれて初めて読んだ。 ロリコンが興味を示しそうな文芸作品という内容の記事の中で紹介されていた一冊。三島由紀夫にもそういう小説があるようなのでいずれ読みたいと思っている。 3つの小説すべてに共通することは、十代の少女を愛でる老人という設定である。 そんな内容からは、かつて庄屋の主は嫁ぐことが決まった村娘の処女を奪う習わしがあったという噂話や、70年代文化大革命期の中国を舞台にした映画「シュウシュウの季節」、現代イスラム圏の映画「アフガン零年」、あるいは梁石日の小説および映画「闇の子供たち」といった人の世の暗黒面を見せる作品を思い出さずにはいられなかったが、さすがにノーベル文学賞受賞作家の描く世界は紳士的なロリータ趣味である。 「眠れる美女」という秘密倶楽部じみた店で老人が未成人の少女たちと添い寝するという設定がいかにも在りそうで面白いが、現代においては学校教諭やら校長などというモラルの規範となるべき老成した人物たちが少女売春や盗撮で次々御用となっており、これぞ正しく事実は小説より奇なり。 「眠れる美女」の主人公・江口はしきりに自分を「悪」だと肯定しつづけるが、全裸の少女と同衾してそのまま朝まで寝るだけなんて今のリアルな世界においては聖人もかくやである。 幼少期の初恋にはじまり、青年から中年そして老年に至るまで、結局男は一生若い生娘の存在感にあこがれを抱きつづけるものなのかも知れない。ロリコンとは一種の本能であって決して特異な性癖ではないのかも知れない。それは一夫多妻のサルの生態などを観れば明らかだ。種を残すべき男の性に終わりはないのである。 昨今必要以上に年齢の低い男と結婚したがる女性が増えているが、彼女たちに一つだけ言っておくと、その結婚における天国のあとはすぐに地獄である。別に止めはしないが肝に銘じておいた方がいい。老齢の嫉妬心は狂気を生む。 「眠れる美女」のロリータ趣味の次は「片腕」のフェティシズムと続き、最後の「散りぬるを」を読んだらなぜか「不思議の国のアリス」を書いたルイス・キャロルのことを思い出した。 アナイス・ニン「小鳥たち」のようなエロスを期待したが、全然エロくなかった。 (2011.10.08)
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起承転結がない小説が好きではないということを川端康成で自覚したけど、この話は良かった。老いる哀しさ、人生の一瞬一瞬を切り取ったシーンの描写の美しさ。生命のはかなさ。最後の展開は驚き。
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官能小説のような直接的な描写はありませんが、男を失った老人と裸の少女を主題としたエロティシズム溢れる小説。 日本文学にも、こんなジャンルがあるんだなと感心させられる一冊です。 自分の老後にこういうシチュエーションがあったらどうするかな~って考えますね。
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新潮文庫『眠れる美女』『片腕』『散りぬるを』の3作、三島由紀夫のあとがき。 『眠れる美女』は端的に言いますと、エロ老人が素っ裸で薬物投与により眠らされている若い美女を撫でさすって一晩添い寝するというサービスが受けられる”眠れる美女の館の”話。主人公の江口老人は、自分はまだ”出来る...
新潮文庫『眠れる美女』『片腕』『散りぬるを』の3作、三島由紀夫のあとがき。 『眠れる美女』は端的に言いますと、エロ老人が素っ裸で薬物投与により眠らされている若い美女を撫でさすって一晩添い寝するというサービスが受けられる”眠れる美女の館の”話。主人公の江口老人は、自分はまだ”出来る”というのにプライドを持っていて、他の男性としての能力の無くなった”老人”たちが眠らされた裸の女性を拝み奉り神様のように扱うのに或種の嫌悪感を抱きながらも、自分自身が同じように撫でさすり自分自身の思い出を回顧しているだけだというのを棚に上げている。5部構成になっていて、その1は10代の”なれていない”女性、2では1の女よりは”なれた”女性、3は16歳ぐらいの見習いの”小さい子”、4は2人同時で体臭のきつい野蛮な黒い子と優しい白い子。設定だけシラーっと書くとどんな変態小説か?という感じですが、これがもう耽美の極致。実は太古の昔の自分が眠らされる女性の年頃だった頃に読んだ時はまったく理解できませんで、なにやら自分が撫でさすられたような気がして気色悪っゾワっとしたんですが、今、読んでみてえらいハマりました。これは川端康成文学の真骨頂だと言うていいでしょう。耽美を理解するには読者としての経験値、レベルをあげる必要があったんだなぁ、と再認識させられた逸品。至福の読書体験です。私と同じ歳頃でもブリブリに現役で若く枯れていない女性が読むと「気色悪っ、ぞわっ」と思われるかもしれません。が、つい忘れ勝ちな”若さ”の思い出を思い出させる、なんとも寂しくも美しい、定期的に詠みたい作品。
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文学的な官能小説。まだ若い自分が読むからこの小説の本質的な部分については共感できないけど、ジジイになった時にもう一度自分の遍歴を思い出しながら読んでみたい。願わくば同じ体験をして最期を飾りたい。
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昨年の眠れる美女のオペラを観に行く前に本屋で購入、それのみ読んで積ん読となっていたものを読了した。 うーむ、私には川端康成の良さはあまりわかりそうにない…確かに、文章から紡ぎ出される独特の感性?雰囲気?は感じるが、それをあぁだこうだと考える事は私はあまりない。普段から接し慣れてな...
昨年の眠れる美女のオペラを観に行く前に本屋で購入、それのみ読んで積ん読となっていたものを読了した。 うーむ、私には川端康成の良さはあまりわかりそうにない…確かに、文章から紡ぎ出される独特の感性?雰囲気?は感じるが、それをあぁだこうだと考える事は私はあまりない。普段から接し慣れてないだけかもしれないけど…
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3編の小説。表題作は、老人が眠らされた女を横に、葛藤したり昔の女を思い出したりしながらの一夜を過ごす話。乾いた印象だけが残った。他に至っては何も伝わってこなかった。解説で三島由紀夫が絶賛してるので分かる人には分かるのだろう。
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「眠れる美女」 江口老人が不思議な館に眠る美女の横に眠るお話。その時々に母親や人妻とのことを思い出す。死への隣り合わせ。
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妖しくも美しい3篇の物語。ひたすらに耽美的。読むときの心理状態に応じてロマンチックにも不気味にも感じられそうな本です。
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『眠れる美女』 ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』の冒頭にこの本の書き出しが引用されていたので興味を持ち、こちらも読んでみました。 深く眠っていて決して目覚めない女の子のいる宿があり、訪れた老人たちはその女の子のそばで眠ります。もう女を女としてあつかえぬ安心の出来...
『眠れる美女』 ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』の冒頭にこの本の書き出しが引用されていたので興味を持ち、こちらも読んでみました。 深く眠っていて決して目覚めない女の子のいる宿があり、訪れた老人たちはその女の子のそばで眠ります。もう女を女としてあつかえぬ安心の出来る客ばかりなので、女の子たちは皆きむすめです。 江口老人は老いのあわれさ、みにくさ、あさましさを感じますが、若い娘のはだにつつまれ、たのしみ、しあわせの思いも感じます。娘を見て、昔の女性を思い出すこともあります。生涯におかした罪を忘れるため訪れる者もあるのでしょう。“「眠れる美女」は仏のようなもの(p83)”で、若い寝顔は美しいという江口老人の思いに共感しました。 物語を通して妖艶な美しさを感じました。美しい作品でした。 『片腕』 “「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」(p135)”と娘が言い、私が娘の片腕を借りる物語です。 “紅差し指にその指輪をはめながら(p136)”という文を見て、初めて薬指を紅差し指と言うことを知りました。紅差し指という言葉の方が娘の指の美しさを表しているようで、この表現が印象に残っていて好きです。全体を通しても、私の視点から娘の腕の美しさが描かれていました。 私はうっとりとして、“自分の右腕を肩からはずして娘の右腕を肩につけかえ(p160)”ます。しかし最後、目がさめて私の右腕が目についた瞬間、“娘の腕を肩からもぎ取り、私の右腕とつけかえていた。(p168)”ところから私の本能のようなものを感じ、娘の腕に酔いしれているときとのギャップに恐怖を感じました。 『散りぬるを』 自分達の殺されるのも知らずに眠っていた滝子と蔦子、そしてその加害者山辺三郎について、語り手の私が書いた小説です。 「それが今考えますと、どこまでがほんとうに私が自分でその時のありさまを覚えていたことなんですか、取調べの際に自分のしたことを反ってお役人から教えられたりして、今頭にあるものが、この二つのうちのどっちだか、一々はっきり区別出来なくなってしまいましたんですけれども、(p180)」という三郎の自白が、“ほんとう”らしく思えました。 滝子の若い生命力と、三郎の底抜けの寂しさの訴えを感じる作品でした。
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