中陰の花 の商品レビュー
おがみやのウメさんの死をきっかけに、僧侶の則道はこの世とあの世の中間・中陰の世界を見つめ直していく。 現役の僧侶が書いていて、仏教の死生観や物の見方をよく知ることができた。河合隼雄の解説も必読。精神に対する自然科学と宗教のアプローチが興味深い。
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現役僧侶が生と死を見つめた芥川賞受賞作 自らの最期を予言した「おがみや」ウメさん。その死をきっかけに僧侶・則道は、中陰という“この世とあの世の中間”を受け入れていく(e-honより)
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<おがみや・ウメさん>の通称で親しまれた地元の霊能者が、自らの死を予言して霊界に旅立った。 禅宗の僧侶<側道>は、予知能力とか神通力と呼ばれる不思議な能力のメカニズムが分からないまま<ウメさん>の死をきっかけに、人が成仏できるまでの「この世」から「あの世」に至るまでの「中陰」の世...
<おがみや・ウメさん>の通称で親しまれた地元の霊能者が、自らの死を予言して霊界に旅立った。 禅宗の僧侶<側道>は、予知能力とか神通力と呼ばれる不思議な能力のメカニズムが分からないまま<ウメさん>の死をきっかけに、人が成仏できるまでの「この世」から「あの世」に至るまでの「中陰」の世界観と住職夫婦の在り様を見つめた、芥川賞受賞作の表題作、レイプされ身ごもり死産した女と「霊(たま)おろし」を扱った『朝顔の音』の二編。 ・・・人の世の〝生と死〟の境界に彷徨う苦悶の声が轟いてくる。
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生と死との間にある何かを描こうとしている。科学などでは説明しきれないものが宗教に内包され、さらに宗教的で割り切れないものが文学になるのだろうか。
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読書開始日:2021年12月18日 読書終了日:2021年12月19日 所感 【中陰の花】 成仏に対して、様々な見方ができる。 仏教、宗教、おがみやを通して。 最後のシーンでは、水子とウメさんが中陰状態からエネルギーとなった。 やはり死産というものはなかなかにほどけないのだろう。...
読書開始日:2021年12月18日 読書終了日:2021年12月19日 所感 【中陰の花】 成仏に対して、様々な見方ができる。 仏教、宗教、おがみやを通して。 最後のシーンでは、水子とウメさんが中陰状態からエネルギーとなった。 やはり死産というものはなかなかにほどけないのだろう。 周りからの不躾な質問がどれだけ圭子を苦しめていたのだろうか。 徳さんの成仏に関する見解も間違ってはないのだろうが、そんな綺麗には考えられなかったのだ。 まだ見ぬままに消失した我が子。 そんなものが龍に乗って天に登るという成仏はやはり圭子には理解しがたい。 静かに後押ししてくれたウメさんの勧めを守り、最後はウメさんに我が子を連れて行ってもらった。その瞬間、中性子からエネルギーへと変換された。 ウメさんの言葉「霊っていうのは、なにか気になりだしたら何をしててもそのことをじいいっと気にしてるような頭が好きなんです」これはその通りだと思う。霊はじめ病も同じところがある。 圭子は気にしなければならないという気持ちにも駆られていたと思う。 その後の圭子が少しでも元気にしてくれていたらと思う。 【朝顔の音】 かなり暗い作品。 結子はもう長いこと、精神病に冒されていたのだと思う。 犯されることへの苦しみは、男性の想像よりもかなり酷でかつ多種であることは間違い無い。 蝕む。 正常な思考をも奪い去る。 結子は何も悪くない。 救いの垣田も妻帯者。 予想が真実へと変わる。 夏椿の色褪せと自身を重ねる。 夜の朝顔の侵略は、一旦落ち着いた我が子への罪悪感の復活を示す。 最終の花の比喩がかなり怖い。 「中陰の花」 忙しく動く体を休めるため、圭子はもう一つ下手な動きを加える 仏教は質量不滅の法則。コップの水が蒸発する。そうすると水蒸気はしばらくはこのへんにある。そこを中有、中陰とよぶ 世の中の全てのものは膨らみ広がりつつある。シューニャ。空。 微塵から極微。仏教の最小単位 空を一種のエネルギーとしてとらえる。最終として成仏イコールエネルギー 死後のイメージとして、これは綺麗だから人気がある やがてロックグラスの中でふいに氷が動くように、急に無防備な笑い顔をみせた 耳は最後まで聞こえてる 亡くなる瞬間に苦しむ人はいない。脳にあらかじめ組み込まれている防衛機能なんでしょうね 薬缶 唯一根拠があるとすればそれは「笑い筋」だけの、証拠もなにもない話だった 義憤 霊っていうのは、なにか気になりだしたら何をしててもそのことをじいいっと気にしてるような頭が好きなんです。 禅は極めて現実的な生活哲学、しかし人は禅含め宗教に、霊法を期待している 要するにあらゆる世界の不思議を、彼らはその世界=霊法を知ることで一挙に解決したよう 仏=ほどける 成仏は成仏で、その仕方の問題はその人との関係性における 願い事書いた短冊は、省略や しかし世界観とへ、所詮は全貌を見せてくれないこの世界を切り取って見るためのナイフにすぎない 人が生きていくこと自体、何かしら顧みない存在を作っていくことだと教えてくれるや 【朝顔の音】 久しぶりに日常から抜け出すような気分 そんな生活が、朝顔の種によって変化し始めた ひょろひょろゆらめく夥しい蔓芽が、すでに縋れる相手を渇望していた それはもともと自分が記憶していたことのように思えて 結局結子はあんなに明るい結論に導かれていった
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第125回芥川賞受賞作 中陰とはこの世とあの世の中間 と表紙にある。聞き慣れない言葉を解釈したものか。 則道は禅宗の僧侶で 圭子と結婚して6年目になる。子供はいない。一度妊娠したが4週目で流産をした。圭子は今でも少し拘っている。 則道は檀家の行事・葬式や法事を行っていて説...
第125回芥川賞受賞作 中陰とはこの世とあの世の中間 と表紙にある。聞き慣れない言葉を解釈したものか。 則道は禅宗の僧侶で 圭子と結婚して6年目になる。子供はいない。一度妊娠したが4週目で流産をした。圭子は今でも少し拘っている。 則道は檀家の行事・葬式や法事を行っていて説法もする。だが大阪の町から来た圭子は仏教に縁がなく育っているので、何かにつけて教えて欲しいと言う。だが、則道はそれに明確な答えをすることが出来ない。 科学が進んだ現代、釈迦の教えを科学的な現象に置き換えて話すことをする。 知り合いで檀家のウメさんはおがみやと呼ばれていて相談者は信者と言うことになっている。 ウメさんが入院して死期を予言した。病院側は総力を挙げて予言どおりには死なないようにと、頑張った。ウメさんは死ななかったが、二度目の予言をして、そのとおり亡くなった。 圭子は地獄や極楽について聞く。 「知らん」 「知らんて、和尚さんやろ。どない言うてはんの、檀家さんに」 「そりゃ、相手しだいや」 「せやけど訊かれるやろ、極楽はあるか、ないかって」 「だがら、相手次第や。信じれば、あるんや。信じなければない」 「そしたら別な訊き方するわ。人は死んだらどうなんの」 「知らん。死んだことない」 則道は、そういいながら、圭子とともに釈迦の教えを現代に置き換えて感じるようになる。 ウメさんの生きかたを近くで見て、予言どおり亡くなった今、信者の生きかた、圭子の感じ方。夫婦の歩みの中に深く沈んでいるなくした子供のこと。則道は圭子の心に寄り添っていく。圭子は作り続けていた膨大な数の紙縒りを網にし、則道はウメさんとなくした子供の回向の経をよむ。かれは天井から釣り下がったこよりの網を通してなにかの気配を感じる。 包装紙の色とりどりにこよられた網は花のようだった。 「成仏やなぁ」 「だれの」 「だれやしらんけど」 僧侶の作者が書いた言葉が浸みることがある。仏教が則道のように通過行事である日常では、彼が感じた日常が意味なく通り過ぎていく。 則道のいう「なんやしらんけど」すこしだけ生きること死ぬことの意味を考えさせてくれる。 則道が言う、「仏」は「ほどける」からきている。という。 この部分を読めば仏教や釈迦の教えに縁のない者にも、わずかに救われる気持がする。 僧侶だと言う人の書いたこの小説はどういうものかと思っていたが、秋の季節の静かさを増すような、しみじみとした余韻が残った。 ほのぼのとした語り口で死生観の一面を見せてくれる。僧侶というよりは一人の人として、その底辺を作っている禅宗という根底の思想の一片を、知ることが出来る。 それぞれの生き方の中にある中陰という言葉の意味も知ることが出来た
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
表題作は僧侶・おがみや・医者・宗教体験を語る人など主張がそれぞれ食い違いそうな、垣根をこえた登場人物が出てくるが、フラットでどちらにも寄らない結末なのが良かった。でも和尚には和尚の誇りと確固たる禅の教えがあり、そこは揺らがない。無理に感動的に仕上げたりしないところが好み。 光となって物凄い速さで極楽浄土に向かうの、なんか縁起いい感じがするな〜とか、亡くなるその瞬間は苦しまないって本当かな〜とか、法事で説法を聞いている時に似た感覚で読んだ。
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中陰とはこの世とあの世の中間。 現役のお坊さんがこのテーマで小説を書いた。 ありえない話なんだけど、具体的でしっかりイメージ出来ちゃう。 この世界もあるな。と思わせる。そして、思っちゃったら、もう目が離せない。もうページが止まらない!
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読みやすく、内容もとてもほのぼのしたもので良かったです。見えないもの、死についてなど、テーマは決して軽いものではないのですが、人物の描き方などがなんだかとてもあたたかくて、スルスルっと読めました。 玄侑宗久さんの著書はとても好きです!
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僧侶である作者が、人の生と死を見つめた一冊。 表題作は、作者と同じ、僧侶が主人公であり、人が死ぬことについて、人間として、考え、どこへ行くのかと、悩む。その過程が、特殊な体質の人や、宗教と絡め、生き様と交えながら、描かれる。その道の用語が出てきたり、僧侶としての死という概念に対す...
僧侶である作者が、人の生と死を見つめた一冊。 表題作は、作者と同じ、僧侶が主人公であり、人が死ぬことについて、人間として、考え、どこへ行くのかと、悩む。その過程が、特殊な体質の人や、宗教と絡め、生き様と交えながら、描かれる。その道の用語が出てきたり、僧侶としての死という概念に対する考えなど、面白い要素があった。 結局僧侶も人間の一人に過ぎず、あとがきには、そのことについて書いてよかったのか、という悩みもあったようで、それが杞憂に過ぎなかったという事実、世間の反応というのは、いかに自分含め、宗教に対する意識が低いのかが現れている様に感じられた。或いは多様に寛大なのか……。 個人的には大人しかったとも思えた表題作よりも、併合されている「朝顔の音」の方が、ストーリーとしては、もの寂しく、悲しいが、とても良かった。
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