ドグラ・マグラ(下) の商品レビュー
いよいよ解き明かされ…
いよいよ解き明かされる「私」の謎。途中で諦めると本当に訳が分からないので、最後まで読まなければ損です。読むのが辛い部分は飛ばしても意外と大丈夫かと。
文庫OFF
作者は出版翌年にお亡…
作者は出版翌年にお亡くなりになっているのですが、まさしく「これを書くために生きていた」の言葉通りだったのでしょうか。びっちりと文字が並び、ところどころによっては内容が難しく読みにくい感があるのですが、くるくると変わりゆく物語背景に憑かれた気分を感じています。主人公の混乱が理解でき...
作者は出版翌年にお亡くなりになっているのですが、まさしく「これを書くために生きていた」の言葉通りだったのでしょうか。びっちりと文字が並び、ところどころによっては内容が難しく読みにくい感があるのですが、くるくると変わりゆく物語背景に憑かれた気分を感じています。主人公の混乱が理解できる気がします。
文庫OFF
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解説にも書いてあるとおり全て理解するのは無理なんだろうなと思いました。 個人的な解釈として堂々巡りなのだと感じました。 ループもののように繋がっている冒頭と終わりのブーンという音や主人公の今起きている事を先月にもやっていたのではないか?という疑問。 若林先生が話しているドグラ・マグラを書いた大学生のこと。読み終わってからこの部分を再度読み、この本の事を本の中でも言及しているのだと気付きました。 伏線を探すために見返しているこれを書いている私自身。 本の中の1000年前と大正15年、主人公の把握できる今日と1か月前、読み始めと読み終わりでぐるぐる回って主人公も読んでいる私も一生理解出来ないし終わりがくるかもわからないのだとそういう作品なのだと感じました。 難しい部分も多くて読むのにとても時間がかかりましたが個人的にはとても面白くて好きな作品でした。いろんな解釈を漁ってみようと思います。
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大変疲れた結果、ものすごい振り回されたなと思ったのが正直なところ。 そういうことかと思った次の瞬間には全然そんなことなかったし、上巻もさることながら、下巻の半分まではとても読みにくくて苦労した。 葉巻の煙を掴もうと躍起になる。そんな作品でした。
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読むと精神に異常をきたすドグラ・マグラという奇書が存在する、というのはだいぶ前から知ってたんだけど昔の本だし難しそうだな〜と思ってなかなか手を出せなかった。 満を持して挑戦してみたら意外と楽しめたし狂ったりはしてないです!笑 ただ、この本を読んでた3日間は精神がドグラ・マグラの世界に飛んでたというか。取り憑かれたように読んでしまう不思議な魅力があった。 主人公は結局呉一郎なん!?それとも違うん!?というこの作品最大のポイントは他の人の考察も読んでみたらいろんな捉え方があって面白かった。私は素直に「主人公は呉一郎で父である正木博士に巻物を見せられ狂ってしまい、一連の惨劇を起こした後記憶を失って博士が自殺する直前の出来事をループしている」って解釈したんだけど 何度も読んでたらまた違った見え方になるかも。全部が完全に解き明かされないからこそ「奇書」と言われているのかな。奥が深いよドグラ・マグラ。 チャカポコが苦手で読むの挫折した人もいるみたいだけどチャカポコチャカポコ楽しそうにずっとエグいこと言ってるの面白くて私は好き。
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再読。2日で一気に読んだせいか、なんだか目の前がチカチカとするし、頭もぐったり疲れてしまった。でも一度目よりもずっと鮮明にこの小説の描こうとしたことが見えた気もする。 取り憑く、乗り移るという単語が頻出するのは、当然「私」と「呉一郎」が同一人物か否か、についての議論へと進ませる手がかりではあるものの、しかし見方を変えたとき、「私」は「読者」を意味していることも了解されるだろう。作中で「私」は自身が「呉一郎」かどうかについて思い悩み、しかし結論を出すことはできない。小説自体がそのことに対して答えの提示を避けるかのように肝心なことは明言してくれない。でもそれは当然のことだと思う。読者である”私”は、小説を読んでいるとき、登場人物に感情移入することは出来るけれど、その実「なりきり」を楽しんでいるだけで常に安全圏のままだ。この点で読者と一人称の語り手はイコールとはならない。 しかし『ドグラ・マグラ』は、「私」と「読者」の境を曖昧にする。作中に「ドグラ・マグラ」という本を登場させ、「私」が「呉一郎」という人物本人なのか、別人なのか、それとも作中作の人物なのか、狂人である「私」の妄想なのか、すべてをあやふやな状態にすることで、読者である”私”と「私」という存在の境界をもあやふやにしていく。 ”私”はただの読み手でしかないのだから「私」とは無関係だ。でもその論法で言えば、「私」だって、長々と書かれた誰かの文章を大量に読み、長々と誰かが語る言葉を聞いて自分が誰かを判定しようとしているに過ぎず、実際のところ「私」と「呉一郎」は言葉の上の関係性でしかない。確信を持って言えることなど何も無いのだ。逆に言えば、「私」が「呉一郎」のことを思い、「自分は彼なのかもしれない」と考えるとき、それを否定することは出来なくなる。同様に、”私”もまた「私」になりきっているわけで、「私」は”私”なのだ、という「なりきり」は限りなく真実となる。 このように、読むことで自分もまた、誰かにとっての夢でしかないことを『ドグラ・マグラ』は示す。ゆえに事の真相は示されない。ここが蝶の見ている夢なのかどうかなんて誰にもわからないのだから当然のことだろう。 「私」と"私"の距離を縮め、作中人物の精神と読者の精神を溶け合わせることで、「胎児の夢」を現出させんとする夢想。夢野久作が『ドグラ・マグラ』で実現させようとしたのはきっとそれなのだ。 なんて愛おしい夢想。 そして私は夢を見る。 そして私は夢となる。
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上巻に比べて下巻は読みやすかったのが良かった。 上巻と同じような感じだったら多分途中でリタイアしてた、、、読み終わると精神に異常をきたす本なんて言われてるけど、めっちゃ元気です^-^ この本は記憶が薄れてきたらまた読み直したい。 読んでる時のメンタルとか状況次第で多分解釈とか変わ...
上巻に比べて下巻は読みやすかったのが良かった。 上巻と同じような感じだったら多分途中でリタイアしてた、、、読み終わると精神に異常をきたす本なんて言われてるけど、めっちゃ元気です^-^ この本は記憶が薄れてきたらまた読み直したい。 読んでる時のメンタルとか状況次第で多分解釈とか変わってきそう。
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上巻よりは読みやすかったが理解できたかといえば…? 無限ループ?なにが現実でなにが夢なのか、自分自身さえも信じられなくなってくる。 とりあえずまたゆっくりと読み返してみたいと思う。
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若林博士の屍体弄りの描写がグロテスクで、下巻とはいえ、冒頭から飛ばしている笑 上巻より前半は読みやすいのだが、中盤から後半にかけては読みずらい。解説によれば、主人公が呉一郎か、呉一郎とモヨ子からできた胎児か、という説が強いらしい。終わり方からいくと、どうも時間の感覚が歪んでいるので胎児として夢を見ているのだと思うと納得できるし、解放場でも呉一郎らしき姿を目にした。私は胎児説。 正木博士と若林博士がタッグを組んで自分たちの精神病理学説を実証するために、呉家の人間が見ると気が狂う巻物を呉一郎に見せ、呉一郎で検証する。呉一郎にとって、正木博士は実は父だった。
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とりあえず上下に分ける必要があったのか謎。 上巻で飽きる人もいそう。 読みにくいし、理解が追いつかない。 精神面の事を描いてるので、夢に出てきてゾッとはしたが、別にそこまで精神に異常をきたすほどではない。 下巻になると、物語にも進展が出てきて、読めるようにはなるが、上巻がしんどか...
とりあえず上下に分ける必要があったのか謎。 上巻で飽きる人もいそう。 読みにくいし、理解が追いつかない。 精神面の事を描いてるので、夢に出てきてゾッとはしたが、別にそこまで精神に異常をきたすほどではない。 下巻になると、物語にも進展が出てきて、読めるようにはなるが、上巻がしんどかった。
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