物語の役割 の商品レビュー
・アウシュビッツの最初の夜に自分の神と魂が、殺害されたんだと感じ、そして自分と同じ少年の中に神を見た、ということがエリ・ヴィーゼルにとっての物語なのではないでしょうか。 ・柳田さんは洋二郎君の日記を読みました。彼はときどきキリスト教の教会に通っていたらしく、そのときのことが日記...
・アウシュビッツの最初の夜に自分の神と魂が、殺害されたんだと感じ、そして自分と同じ少年の中に神を見た、ということがエリ・ヴィーゼルにとっての物語なのではないでしょうか。 ・柳田さんは洋二郎君の日記を読みました。彼はときどきキリスト教の教会に通っていたらしく、そのときのことが日記に出てきます。たとえば、教会に行く電車の中で窓の外を見ているという描写があります。洋二郎君はこういうふうに書いています。 「孤独な自分を励ますかのように、『樹木』が人為的な創造物の間から『まだいるからね』と声を発するかのように、その緑の光を世界に向け発しているのを感じた」 →すぐフランクルの夜と霧を思い出した、と思ったらやはり著者も読んでいました。 ・(クリューガーの嘘をついてホロコーストを生き延びたという気持ちについて触れたあとで) ここで私はヴィクトール・フランクル『夜と霧』のあまりにも有名な一節を思い起こします。 「最もよき人々は帰ってこなかった」 私には彼らが、現実を無理矢理、受け入れ難い形に物語化しているように見えます。なぜわざわざ、より自分が苦しむ形で物語をとらえようとするのか、考えれば考えるほど不可思議です。 しかしこの複雑さもまた、先に述べた心の深遠さを証明していると言えるでしょう。自分は生き残ったて幸運だったと単純に喜べず、むしろ、どうして自分は生き残ったんだろう、という疑問に突き当たる。あの人もこの人も皆殺されたのに、自分が生きているのは何故なんだ、と答えの出ない問いを自らに投げ掛け続ける。 →「サラの鍵」の主人公サラが被害者なのに、加害者として物語化されていることが、果たして関連性があるかどうか。 ・これは、ある日、古い新聞をめくっていたモディアノが、偶然尋ね人の欄に目を留めたことからはじまります。パリがナチス占領下にあった1941年、12月31日付けのその新聞には、ドラ・ブリュデールという名の、15歳の少女の行方を捜す記事が載っていました。会ったこともない、自分とは全く無関係なその少女の存在が、訳もなく心から離れなくなったモディアノは、あらゆる資料をあたり、少女がどんな生い立ちで、どんな運命をたどったのか、10年の歳月を費やして調査してゆきます。彼女が残したほんのわずかな痕跡を記録したのが、この本なのです。 …本書の前書きでモディアノは、寄せられた批評の中で最も心打たれた一文として、次のような言葉を挙げています。 「もはら名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれにつきるのかもしれない」 ・レイモンド・カーヴァーは「書くことについて」(『ファイアズ(炎)』収録)というエッセイの中で、「作家にはトリックも仕掛けも必要ではない。それどころか、作家になるには、とびっきり頭の切れる人である必要もないのだ。たとえそれが阿呆に見えるとしても、作家というものはときにはぼうっとして立ちすくんで何かにーそれは夕日かもしれないし、あるいは古靴かもしれない―見とれることができるようでなくてはならないのだ。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて」
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物語が生きることとどのように関わっているのかを著者の色々な視点から教えてくれる本. 以下気に入った文章. 村上春樹が「人類に共通する心の奥の方にある鉱脈を掘っている」と述べられていたが、それに通じる内容であった. 「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかった時、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実を色々変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする.」 「あるいは現実を記憶していく時でも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、哀しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似た右葉なものに変えて、現実を物語にして自分の中に積み重ねていく.そういう意味で言えば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いを付けているのです.」 「書くこと、文章に姿を表させること、それは特権的な知識を並べることではない.それはひと皆が知っていながら、誰ひとり言えずにいることを発見しようとする試みだ.」 「現実の中にすでにあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、鉱石を掘り起こすようにスコップで一所懸命掘り出して、それに言葉を与えるのです.」 「自分が考えついたわけではなく、実はすでに底にあったのだ、というような謙虚な気持ちになった時、本物の小説が書けるのではないかという気がしています.」 「非常にわかりやすい一行でかけてしまうような主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです.言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない.個々が小説の背負っている難しい矛盾ですが、言葉に出来ないものを書いているのが小説ではないかと思うのです.一行で表現できないからこそ、人は百枚も二百枚も小説を書いてしまうのです.」 「ほんとうに悲しい時は言葉に出来ないぐらい悲しいと言います.ですから、言葉の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描き切れない.」 「作家という役割の人間は催行日を歩いている.先を歩いている人達が、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、でもそれが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説の形にしている.」 「もはや名前もわからくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれに尽きるのかもしれない」 「自分だけの秘密の庭園を持つこと、自分が自分であることを支えてくれる居場所をつくり上げること、その居場所をちゃんと胸の中に持っていられること、それらのことが、想乃人にとっての特別なのだ.」 「自分は広大な全体の、ほんの小さな一部だという思い.・・・自分は他の何者でもない特別な一人だという思い.その一見矛盾しているようでありながら、どちらも人間にとって必要な、共存させるべき思いを、私は本から学びました.」 「人の死がいかに論理的に説明不可能なもので、この言葉に出来ない問題を繰り返し言語化しようとしているのが物語だ.」
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言葉に書けないものを言葉にするのが小説家というのには参ります。クリエイターとはみんなそうかもしれないけど。モヤモヤしたことをモヤモヤしたままにするのか、明確に定義しようとするのか。再現性の問題か?
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小川さんが文化センターや大学で物語について語られた内容を文書にした本。 小川さんの物語の出来上がるまでの流れ。これがあるから、小川さんの作品にはこんなモチーフがよく出るんだなとわかる。 「読書をしている時だけは、本の中に閉じこもり、自分を現実から守ることができた。」 いろんな意味...
小川さんが文化センターや大学で物語について語られた内容を文書にした本。 小川さんの物語の出来上がるまでの流れ。これがあるから、小川さんの作品にはこんなモチーフがよく出るんだなとわかる。 「読書をしている時だけは、本の中に閉じこもり、自分を現実から守ることができた。」 いろんな意味で読書は閉じこめてくれるからやめられない。
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すでにそこにあるけれど、気づかれずにいる物語を掘り出すのが作家 言葉にできない感動を、言葉にするという矛盾に立ち向かうのが作家 小川洋子さんの、物語を作り出す過程が垣間見れてよかった。作家という仕事に誇りをもちながらも、気負わずに楽しんで書こうとする姿勢がすてき。 小説を書い...
すでにそこにあるけれど、気づかれずにいる物語を掘り出すのが作家 言葉にできない感動を、言葉にするという矛盾に立ち向かうのが作家 小川洋子さんの、物語を作り出す過程が垣間見れてよかった。作家という仕事に誇りをもちながらも、気負わずに楽しんで書こうとする姿勢がすてき。 小説を書いてみたいけれど、一歩が踏み出せないあなたは読んでみるべきかも。
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小川洋子さん、やっぱりとても好きです。 何度も繰り返される小説家の謙虚さ。 「実はすでにそこにあったのだ」 「それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目」 「物語もまた人々の心に寄り添うものであるならば、強すぎてはいけない」 そして、小説の難しさ。 「言葉で書いてあるのに...
小川洋子さん、やっぱりとても好きです。 何度も繰り返される小説家の謙虚さ。 「実はすでにそこにあったのだ」 「それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目」 「物語もまた人々の心に寄り添うものであるならば、強すぎてはいけない」 そして、小説の難しさ。 「言葉で書いてあるのに、言葉にできない感動を与えなければいけない」 「一行で表現できないからこそ、人は百枚も二百枚も小説を書いてしまう」 小川さんは読書を通して、特に『ファーブル昆虫記』と『トムは真夜中の庭で』を通して、「自分を尊重しつつ、自己がすべてではなく身を任せるに足りる全体の一部だと感じることで、安堵を得られ」、「他人を許したり、不運を受け入れたり、偶然に意味を見出したりでき」たと言います。それは確かにその通りだと、幼少期の読書で私はそういうことを学び、だからこそ読書が好きになり、なくてはならないものになったんだと思うのだけれど、その表現はため息が出るくらい的確。私は、小川さんに言葉にされて初めて、ああそっか、そういうことだったんだとストンと落ち着く。小川さんは、物語のいちばん後ろを一生懸命追いかけていると言うけれど、きっと読者の私は更に後ろ。ストーリーがあって、小川さんが居て、だいぶ遅れて私。その間に立てる小川さんはやっぱり、なるべくして小説家になった人だなぁと思います。
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[物語の役割]が果たす事柄に思いを馳せることになる機会がとみに多くなったので再読。大学などでの講演を3つ収めた、ちくまプリマー新書のなかでも出色の読みやすい語りだ。 幼い日の本との出会いから得たものを感情に溺れることなく、しかしいきいきとお話されていて、とてもうつくしい。著者の...
[物語の役割]が果たす事柄に思いを馳せることになる機会がとみに多くなったので再読。大学などでの講演を3つ収めた、ちくまプリマー新書のなかでも出色の読みやすい語りだ。 幼い日の本との出会いから得たものを感情に溺れることなく、しかしいきいきとお話されていて、とてもうつくしい。著者のファンには特に、物語が生まれる舞台裏を垣間見ることができもしてたいへん興味深い。 作家が創作について語るとき「物語を作るのではなく、あるものが降りてくるのだ」という旨の発言をしているのを鼎談等でみかけることは多いが、これは言葉足らずである場合も少なくないのではと膝を打ったくだりがあった。第二部、物語が生まれる現場から。 “私は、ストーリーも実は小説にとってたいした問題じゃないと思っています。ストーリーは自然と発生してくるもので、むしろ自分が書こうとしている、まだ書かれていない物語が、すでにストーリーを持っているわけです。ストーリーは作家が考えるものではなくて、実はすでにあって、それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目である。すでに物語自身が持っているストーリーを逃さず受け取めようという姿勢で、私は書くように努力しています” 第三部にも心打たれる箇所があり、親に叱られたり、弟と喧嘩したりするのは嫌なことなのに、本を読んで泣くのは嫌じゃないことを不思議に思った感受性の強い著者の幼児期の記憶を語っているくだり。 読書や創作に限らず、価値観を逆転させて個々人の物語をつくり、携え生きていく人間のこころが、たとえようもなく不思議であり、またおおいに頷かせられるところであった。 魅力的なエッセイともまた別種のおもしろさがあった。
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人はなぜ物語を必要とするのであろうか。 単なる娯楽なのだろうか。 私はこれまで物語の力を見せつけられたような思いをした事が何度かある。 困難な現実にぶつかった時、だれもがそれを受容するために現実を変形させたりして、物語を作っているとある。 これまでの疑問にはじめて答えてくれた...
人はなぜ物語を必要とするのであろうか。 単なる娯楽なのだろうか。 私はこれまで物語の力を見せつけられたような思いをした事が何度かある。 困難な現実にぶつかった時、だれもがそれを受容するために現実を変形させたりして、物語を作っているとある。 これまでの疑問にはじめて答えてくれた本だった。
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この方全然知らなかったけれど、 「博士の愛した数式」の作者なのですね。 しかも、 この小説が「国家の品格」の藤原正彦に影響を受けて書かれたとは。 藤原正彦は好きではないけれど、 数学者が定理を見つけた時の、 「発見」という言葉遣いに宿る謙虚さはすごくいいと思います...
この方全然知らなかったけれど、 「博士の愛した数式」の作者なのですね。 しかも、 この小説が「国家の品格」の藤原正彦に影響を受けて書かれたとは。 藤原正彦は好きではないけれど、 数学者が定理を見つけた時の、 「発見」という言葉遣いに宿る謙虚さはすごくいいと思います。 また、 小説を書くのも「発見」であるとするこの人の姿勢も、 とても共感が持てます。 一方の約数の和が他方の数の約数の和になる(その数自身を除く)、 という「友愛数」っていいですね。 けれども、 わたしが本を読む時に欲するのは、 「そうだよね」という共感ではなく、 「そうだったのか」という発見にあるので、 その点は物足りなかったです。
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小川洋子氏の「物語の作り方」・・つまり創作方法や、自分の人生における「物語」の役割についての講演会を一冊にまとめたエッセイ。 小さい頃、色んな絵本がおいてあった歯医者にいくのが楽しみで仕方なかったことや、着替えるのが遅く、鈍間だった自分に対する嫌悪感を、ボタンを主題にした物語で...
小川洋子氏の「物語の作り方」・・つまり創作方法や、自分の人生における「物語」の役割についての講演会を一冊にまとめたエッセイ。 小さい頃、色んな絵本がおいてあった歯医者にいくのが楽しみで仕方なかったことや、着替えるのが遅く、鈍間だった自分に対する嫌悪感を、ボタンを主題にした物語で自分を慰めていたこと、大学生時代に将来とくに役に立つというわけでもないと自覚しているのに、真剣に物語に向き合あえるという時間をとても慈しんでいたことなど、小川さんがいかに物語に「生かされてきたか」がわかる。 これほど物語に対して想いを馳せていたんだから、ある意味当然の帰結として小説家になったんだなぁ。 その姿勢には、いつも心が洗われる。尊敬している作家。
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