論より詭弁 の商品レビュー
議論の場で論理的な説明と、巧みなレトリック、はたまた詭弁のせめぎ合いを、俯瞰的な視点で見る様な一冊。
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淳良さを欠いた著者が、無菌室で純粋培養された非形式論理学の弱点を徹底攻撃する。 論理学の素養がある人は、例示された詭弁が著者によって市民権を与えられるのをどう捉えるのだろうか。それでもより広い視点ではその論法がやはり詭弁であるとして打ち棄てるのか。そのあたりの感覚があればもっと...
淳良さを欠いた著者が、無菌室で純粋培養された非形式論理学の弱点を徹底攻撃する。 論理学の素養がある人は、例示された詭弁が著者によって市民権を与えられるのをどう捉えるのだろうか。それでもより広い視点ではその論法がやはり詭弁であるとして打ち棄てるのか。そのあたりの感覚があればもっと面白く読めそう。 面白かった点を何点か。 事実と主張の区別は難しい。いかなる客観的な陳述も、それが陳述の対象として選択されている時点で、価値判断であることから逃れることはできない。あるものが「ない」という陳述は果たして常に事実でありうるか。 人に訴える議論が犯す、論点のすり替えという虚偽は日常によく見られる。論理学はアレルギー反応を起こしてそれを糾弾するが、すべての議論で論点を移行させてはいけない道理はない。発話の内容ではなく、発話者がその内容を発話する資格があるのか、そっちを先に決着させたっていい(そういう議論も当然ある) 。 「この章題を見て、中身がないので気を衒った題をつけ、せめて読者の関心を惹こうとしていると勘繰る人がいるかもしれないが、実はそのとおりである」
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定義を聞かれたときは、明確に答えず「あなたが普段使っているものと同じです」など、実際に使える用法も多いものの、ほとんどは煙に巻かれたような感じのまま読み終わってしまった。
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香西秀信著『論より詭弁:反論理的思考のすすめ (光文社新書)』(光文社) 2007.2.20発行 2016.11.4読了 論理学の立場から詭弁と断罪されていた技法をレトリック(正しさの証明ではなく可能な説得手段を見つけ出すことを目的とする)の立場から批判的に検討するというのが...
香西秀信著『論より詭弁:反論理的思考のすすめ (光文社新書)』(光文社) 2007.2.20発行 2016.11.4読了 論理学の立場から詭弁と断罪されていた技法をレトリック(正しさの証明ではなく可能な説得手段を見つけ出すことを目的とする)の立場から批判的に検討するというのが本書の内容。 本書では、人に訴える議論や不両立な根拠の提示などがトピックとして詳しく解説されており、単純に面白いだけでなく勉強になる。式の展開方法を理解できれば、相手が同じ技法を使ってきた時に相手の思考まで推量できるようになるのではないかと思う。 URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000008449043
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昨今のメディア(特にインターネット)では「論理的であること」がブームであると感じる。論破力を売りにしている配信者や、科学的に正しいライフハックを喋る配信者などだ。そんな時代だからこそ「論理的であること」を再考する必要がある。確かに科学や学問は論理的に進めていくものだ。しかしそれは...
昨今のメディア(特にインターネット)では「論理的であること」がブームであると感じる。論破力を売りにしている配信者や、科学的に正しいライフハックを喋る配信者などだ。そんな時代だからこそ「論理的であること」を再考する必要がある。確かに科学や学問は論理的に進めていくものだ。しかしそれは日常のコミュニケーションや特定の議論の場で用いると揚げ足どりに終始してしまったり全体が見えなくなってしまったりということが起きる。このような事に気付かせてくれる一冊。
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詭弁を知ることで、相手の詭弁に気付くことが可能になるし、それに対処することができる。そういう意味で一読の価値あり。
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論理と議論とは違う.著者はこの手の著書で有名な香西秀信. 論理だけでは議論に勝てないのだが,論理を無視した議論も,また困ったものである.もう少し深い考察が欲しいところである.
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言葉を使う限り、その言葉には話し手の価値観や考えが反映されるので「事実」は表現できないと理解した。 でも、だからこそ言葉選びに慎重になる必要があったりすると思う。 相手に立証責任を負わせるような反論上手になりたいものだ。そのためにも「なぜ?」を常に意識したい。
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・「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174) ・「議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる(=立証責任)」(p.174) ∴「議論において絶対にやってはならないミスは、相手方に立証責任があるときに、勘違いしてこちらがそれを引...
・「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174) ・「議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる(=立証責任)」(p.174) ∴「議論において絶対にやってはならないミスは、相手方に立証責任があるときに、勘違いしてこちらがそれを引き受けてしまうことだ……それは議論の最も強力な武器を放棄し、無防備なまま相手方の攻撃さらされることを意味する」(p.174-5) この「立証責任」というのが、本書全体を通底するテーマである。 ある議論を支配するためには、立証責任を負う相手方の説明に対し、こちらが好きなだけ反論するという方法を取ることが最も有効である。そして、こちら側が立証責任を負わされそうになった場合には、論点を移行して、巧みにそれを相手方に転換させることが必要となる。 こうして、著者は、相手方からの「定義要求」や「お前も同じ」型の議論、「不当予断の問い」に対する対処法を指南する。 議論を吹っ掛けられた際に、その主導権を相手方に奪われないための護身術として、本書は役に立つ。
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アリストテレスの考え方が秀逸 詭弁と言わず、表現の工夫 正にその通り 修辞学者リチャード・ウィーバーの言 言葉に独自のスタイルを待っている人間は内容でなくスタイルで強く印象付けられる
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