貧困の光景 の商品レビュー
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「私は道徳的に貧困を描くことだけは避けることにしよう。それは却って無礼なことのような気がするからである。しかしとにかく眼前に見せつけられた貧困を書かないということも、私の作家としての本能に反するように思うのである」 冒頭の言葉の通り、著者が世界の極貧国を駆け巡る中で、全身に浴びる貧困の光景を淡々と著している。 「『貧困とは、その日、食べるものがない状態』を言う。したがって日本には世界的なレベルで言うと一人も貧困な人がいない」のだそうだ。 貧困とは社会的、継続的なもので、地域も社会も解決の方法を持たない。平和、尊厳、自由、平等といった観念は無いに等しく、道徳は意味をなさない。外界からの支援は中抜きされ、最も困窮する人には届かない。そういう世界で、生きるために盗みをする人を私たちは否定できるだろうか。 読んでいると、個人にできることなど何一つないような虚無感に苛まれる。著者もまた虚無感を抱えながら、支援の手を決して止めない。 そんな著者は、「格差社会の増大」が日本のジャーナリズムによりクローズアップされることを、ややシニカルに捉えているようだ。巻末の「荒野が否応なく人間を創り、人間の発見につながるという一方の真実と、潤沢がしばしば人間性を腐敗させ、崩壊させるという皮肉に、私もまた正直なところ、いまだにうまく適応できないでいる」という一文がそのことを表している。 淡々とした文体の中に時折見える著者の人間味が、読後の余韻となって残る。 言いようのない虚無感とともに、日本に生まれた私たちはとても恵まれているのだと再認識する。そして、この国に(たとえ相対的なものであったとしても)「格差」があるならば、私たちはそれをどうにかできる筈なのではと考えさせられる。
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貧困とは、その日、食べるものがない状態を言う。空腹と飢餓とは全く違う。飢餓を救うには、寝るか乞食をするか盗むかしかない。子供の人権という発想は浮いた言葉である。ずしんと心に響くエッセイです。曽野綾子「貧困の光景」、2007.1発行。
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筆者がいう貧困の定義とは、「その日、食べるものがない状態」だそうだ。 この点では、日本ではおそらく一人も当てはまらないだろう。 人は自分が見たことや、聞いたことないことは、想像できない。 いくらアフリカが貧しい、援助をしなくてはいけないと知識では知っていても、中々その実情を想像...
筆者がいう貧困の定義とは、「その日、食べるものがない状態」だそうだ。 この点では、日本ではおそらく一人も当てはまらないだろう。 人は自分が見たことや、聞いたことないことは、想像できない。 いくらアフリカが貧しい、援助をしなくてはいけないと知識では知っていても、中々その実情を想像することは難しい。 本書など貧困に関する本を読んで、世界の貧困の姿を知ってほしい。 いかに自分が、日本が恵まれているか、分かるだろう。
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老女の一徹。 いい意味でも悪い意味でも。 凛としている。自分なりの価値観をしっかりと持ち、それがもたらす軋轢も覚悟し、そのうえで、自分なりの価値と視点を貫く。その透明感は、老女にしか表現できないものだと思う。 バイアスを無視するのではなく、自分はこういうバイアスを持って...
老女の一徹。 いい意味でも悪い意味でも。 凛としている。自分なりの価値観をしっかりと持ち、それがもたらす軋轢も覚悟し、そのうえで、自分なりの価値と視点を貫く。その透明感は、老女にしか表現できないものだと思う。 バイアスを無視するのではなく、自分はこういうバイアスを持っていると宣言し、そのバイアスに確信を持っている。 あらゆるものは表現者のフィルターを経るわけであり、貧困もバイアスを抜きにはできない。 貧困を語るべきだと思い、語る自分のバイアスを明らかにし、そのうえでとことん自己の正義に従った意見を叙述する。それはなかなかできない。 だから、これはとてもいい本だ。 それがゆえに、限界もある。 「俯瞰的な見方」を自ら排除しているのだから、それがないことを批判すべきではないが、やはりここまでの人がここまでの現実を踏まえて書くのだから、俯瞰的な視点がないのは物足りない。 もっというと、俯瞰というよりも、見えない部分を書いてほしい。 不可視の部分にダイブするのは危険である。だからそれは自ら踏みこまないようにしている。それはもっともなスタンスなのだけど、そこに老女の清潔さと限界を感じてしまう。 年齢のことばかり言って申し訳ない。著者の年齢など別に問題にすべき部分ではないのは良く分かっている。だけど、そのように言いたくなってしまう。
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不可触民自身の中にも上下関係があるらしい。 庶民の足であるリキシャのドライバーとして働いているのは上層。農業従事者は下層らしい。 未亡人はさらに虐げられている。 多くのアフリカの学校にはトイレがないから女の子は生理が始まると学校に行かなくなってしまう。
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海外邦人宣教者活動援助後援会に勤めていた著者が、資金を援助した際に直面した出来事について書かれている。その多くは資金が有効に使われる事の難しさについてだ。著者も正直に貧困の仕組みも救う方法も分からないとのべている。難しい。
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曽野さんは貧困の光景を見て歩いています。 小さな貧困、大きな貧困。 深くつぶさに見ています。 それが描かれています。 貧困は国によっても地域によっても違いますが、 ある定義によれば世界では 「1日の生活費が1$以下」としているそうです。 それに照らせば、日本の最近の「格差社会...
曽野さんは貧困の光景を見て歩いています。 小さな貧困、大きな貧困。 深くつぶさに見ています。 それが描かれています。 貧困は国によっても地域によっても違いますが、 ある定義によれば世界では 「1日の生活費が1$以下」としているそうです。 それに照らせば、日本の最近の「格差社会」なんて どうということはありません。 今の日本で1日100円程度で生活できるわけもないし、 栄養失調の人なんかいません。 中学までは義務教育ですから、文盲はいませんし、 高校・大学の進学状況進学率を考えても 貧困に定義されるレベルとは比べようもありません。 電気・水道・ガス・電話は料金すべてあと払い。 救急車、消防車、パトカーだって電話一本、無料で飛んできてくれます。 こんな恵まれた国で貧乏だから搾取されるなんて話が 本当にあるのでしょうか。 マスコミと政治は、国内にしか興味がないのです。 そうでなければ「格差社会」「下流社会」だなんて言葉が 出てくるわけがないのです。 曽野さんは、へき地で学校や教会を整備しようとしています。 学校の運営に一番必要なものは 机でも鉛筆でも教科書でも先生でもなく 給食だ、といっています。 学校で給食を提供すれば、 親は子供を学校に行かせるようになるし、 たとえ1食でも栄養が補給されれば、知能指数も上がるそうです。 子供が学校で元気に過ごせれば、自然に先生も集まるとか・・・。 給食費未納問題や、校内いじめは日本だけの問題です。 物質的な貧しさと精神的な貧しさ、考えさせられます。
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著者は作家で、日本の国際協力NGOを起こした人で、キリスト教徒。当然NGOもキリスト教系。援助の方法はあんまりよろしくないように思える。淡々と描かれる現地では当たり前の様子が怖い。
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住む家がない。食べるものがない。着るものがない。仕事がない。病院がない。あっても医者にかかることができない。お金がない。そして希望がない。ないない尽しのアフリカを中心とした世界貧困地帯の見聞録である。寄付を貧困国に渡すのはその国の首長を富ませるだけのこと。寄付金の使途と管理者の見...
住む家がない。食べるものがない。着るものがない。仕事がない。病院がない。あっても医者にかかることができない。お金がない。そして希望がない。ないない尽しのアフリカを中心とした世界貧困地帯の見聞録である。寄付を貧困国に渡すのはその国の首長を富ませるだけのこと。寄付金の使途と管理者の見極めに苦心する曽野氏の溜息が聞こえてくる。決してシュバイツアーのように『全く余計な感情を入れずに、あるがままの事態と、困惑や苛立ちを記録』されているわけではない。『もしも世界が100人の村だったら』や『あの金で何が買えたか』に加え、著者が実際に遭遇した貧困から「格差問題」を考えるキッカケになればよいと思う。ただ、日本の国会における格差論議をアフリカの現状と比較しながら一笑に付す姿勢はいただけない。上も下も見渡せばきりがないのは世の常。程度の差こそあれ、安全な場所からものを言うのは同じ穴のムジナの所行である。この点について自覚がなければ傲慢と誹られても仕方がないだろう。格差の問題は遙か離れた遠くの大陸で進行しているのではない。私たち自身に内包されているごく身近な問題であることに気付いてほしい。想像力を働かせてみると、状況は違えどアフリカも日本も同種の問題に躓いていることがよくわかる。進行した格差の拡大は連綿と続き、貧困は世代を超えて連鎖する。この悪循環は何が何でも断ち切らなければならない。私自身もこのテーマにはさらなる勉強が必要だ。
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日本人だって格差があって,貧困は起きているんだ! 確かにそうでしょう。でも餓死するしかない貧困て日本にはありえません。 『ほんとうの「貧しさ」を知らない日本人の精神の「貧しさ」を問う』本です。
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