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逆立ち日本論 の商品レビュー

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34件のお客様レビュー

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2023/12/20

ちょっと前の本だけれど 気になるお2人の対談だったので購入 読み応えあり 内田樹さんは武道をやられてる方だから 感覚的(身体的)な表現をされる所があり 面白かった ブックオフにて購入

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2022/12/21

いい本!世の中を斜に構えて見ながら、常識を疑いながらそれが根元論につながる。スルドイと思わせるところしばしば。読み続けていきたい二人です。

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2020/06/30

皆何がしかのイデオロギーはある でも、人間が生きやすくあるために存在するのがルールだ 自分の立場やイデオロギーに固執しすぎるのでなく、棚上げや両論併記、継続審議などの「大人の知恵」を許容しよう この2人の言葉はいつも、附に落ちる

Posted byブクログ

2019/03/03

買ってから読みかけて、しばらく積読にしていた。出たのはもう10年以上前になるのか。養老氏にしろ、内田氏にしろ、ずいぶん若く見える。それでも言っていることはを、古びているとは感じない。刺激的だった。 この本は、知的なキックを得るために、何度も読み返したいな。

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2018/06/03

解剖学者の養老孟司とフランス文学者の内田樹の対談を収めています。 レヴィナスに私淑する内田は、「他者」の歓待というテーマをその多彩な議論の中心に秘めているといっていいでしょう。これに対して、解剖の現場で死者に向きあいつづけてきた養老は、けっして動くことのない死者から自己のうちの...

解剖学者の養老孟司とフランス文学者の内田樹の対談を収めています。 レヴィナスに私淑する内田は、「他者」の歓待というテーマをその多彩な議論の中心に秘めているといっていいでしょう。これに対して、解剖の現場で死者に向きあいつづけてきた養老は、けっして動くことのない死者から自己のうちの動かないものへと折り返していくことで思索の出立点を確立し、その成果が『唯脳論』(ちくま学芸文庫)にまとめられることになりました。そうした両者の思想には、身体の知を重視するという共通するスタンスが認められます。 世間に流通する「問題」に対してその「対偶」をとるという、著者たちの独特の身振りはきわめて啓発的で、非常に興味深く読むことができました。ただ、わたくし自身は以前から、著者たちの身体への偏向にある種の戸惑いをおぼえていたのですが、本書を読んでもそうした印象は変わらず、むしろ強められることになりました。両者の思索のスタイルは広い意味で構造主義的と形容することが可能だとわたくしは理解しているのですが、リニアなロジックに対置するしかたで性急に身体の知を掲げることは、構造主義以前の疎外論的な構図に議論を回収してしまう恐れがあるのではないでしょうか。 本書の最後に収められている内田の文章は、『無門関』における「南泉斬猫」の公案を紹介しつつ、養老を禅の宗匠になぞらえているのですが、わたくしには養老も内田も、宗匠というよりむしろ猫なのではないかという疑いをぬぐうことができません。

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2016/04/18

2007年に出版された、内田樹、養老孟司両先生による対談。 テーマは「日本論」という実に曖昧でざっくりとした話なので、逆に2人が肩肘張らないの世間話のような対談となっています。 本書では「日本人をとはなにか」を考えるのにユダヤ人の話が出てきます。これはなぜかというと、「ユダヤ...

2007年に出版された、内田樹、養老孟司両先生による対談。 テーマは「日本論」という実に曖昧でざっくりとした話なので、逆に2人が肩肘張らないの世間話のような対談となっています。 本書では「日本人をとはなにか」を考えるのにユダヤ人の話が出てきます。これはなぜかというと、「ユダヤ人」という概念が非常に哲学的な考察を必要とするからだといいます。かつて日本の出版界に「ユダヤ人ブーム」というのがありました。それほど読書家でもない父がイザヤ・ベンダサン(実は山本七平という日本人とされる)著の「日本人とユダヤ人」を持っていたほどなのでかなり売れたのでしょう。 ユダヤ人というのは定義がはっきりしないそうなのです。まず人種ではない。ヘブライ語を話す人ということでもない。勿論イスラエル国籍の有無でもない。そしてユダヤ教を信仰する者ということでもないようです。それぞれがゆるく集合に入るけれども、絶対的な定義ができない。 そこで「あいつはユダヤ人だ」と、主に反ユダヤ主義者から名指しされることによって逆説的に「ユダヤ人」と定義される、という仮説を立てます。もう2000年以上もの間、世界中で反ユダヤ主義が興り、その都度被迫害者としての「ユダヤ人」が生まれてきた…。従って「ユダヤ人」の定義を探すには、自分が「反ユダヤ主義者」だとしたら何をもって誰かをユダヤ人だと規定するのかを考えてみる。 というように、世の中の様々な事象を「逆さまに見る」。逆に考えたらどうなるか、という考え方をする。そうしたことで自分にとっての世界の見え方が変わってくる。 それはなかなか面白い体験です。どうやら倫理とか哲学とかを考えるには、そうしたちょっと意地悪でひねくれた脳の使い方が必要なようです。

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2015/04/20

ユダヤ人のことが少し分かった。レヴィナスという難しげな哲学者がどういう人物か少しだけ分かった。いったい本書では何が語られていたのか。昨日読み終えたばかりなのにほとんど思い出せない。ユダヤ人のことしか覚えていない。ユダヤ人の問題は実はユダヤ人のことだけではなく、もっと大きな枠組みで...

ユダヤ人のことが少し分かった。レヴィナスという難しげな哲学者がどういう人物か少しだけ分かった。いったい本書では何が語られていたのか。昨日読み終えたばかりなのにほとんど思い出せない。ユダヤ人のことしか覚えていない。ユダヤ人の問題は実はユダヤ人のことだけではなく、もっと大きな枠組みで考えるべき問題らしいということがおぼろげながら分かった。「夜と霧」でフランクルは決してナチスだから悪だとはとらえていないということには気付いていた。話はどんどん多岐にわたっていく。話がかみ合っているようですれ違っているようで。それぞれの自己主張が強いけれど、2人とも大声で意味のないことを自身ありげに話す人ではない。全共闘のこと、政治のこと、アメリカという国について、「蒟蒻問答」という落語について、おもしろい。一気に読み通しました。内田さんがあとがきで養老先生のことを「師匠」と呼んでいます。確かに、いつも近くにいるとそれだけで、自分が高められていくのかもしれない。

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2015/03/11

この対談全て理解できる人は、なかなかいないと思う。特にユダヤ人論は難しい。内田さんに、ユダヤ人論の新書があるので、今度読んでみたい。 五章六章、八章はおもしろかった。対談って話がスッーと流れてしまいがちな傾向があるが、お二人の場合、養老氏を師匠と崇める内田さんが、噛み砕いて分か...

この対談全て理解できる人は、なかなかいないと思う。特にユダヤ人論は難しい。内田さんに、ユダヤ人論の新書があるので、今度読んでみたい。 五章六章、八章はおもしろかった。対談って話がスッーと流れてしまいがちな傾向があるが、お二人の場合、養老氏を師匠と崇める内田さんが、噛み砕いて分かりやすくしているケースが多々あり、そういった話題のほうが、私たちには理解しやすいように感じた。逆だと少し難しい。 ともあれは知的なおじさんになりたい。頑張ろう。

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2014/12/08

印象に残ったフレーズ… ぼくは、本音を言うときに必ず「ケースバイケース」という言葉が出てきます。(養老:p160) ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の「デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散...

印象に残ったフレーズ… ぼくは、本音を言うときに必ず「ケースバイケース」という言葉が出てきます。(養老:p160) ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の「デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えららるか。この無秩序に対する耐性というのはけっこうたいせつじゃないかと思うのです。(内田:p162) ぼくは、呼び方は基本的に相手まかせです。(中略)呼称命名権は他人に属する、というのがぼくの持論です。(内田:p174)

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2017/08/06

読むたびに騙され気になってしまう養老先生と最近、本を読み始めた内田先生の対談は、やはり騙されて終わりました。しかし、この爽やかな読後感はなんなのでしょう?いきなりのおばさんロジックの話は目からウロコでした。

Posted byブクログ