滝山コミューン一九七四 の商品レビュー
まず、装丁がすばらしい。カウンターが示す1974。その数字のズレは固まった過去ではなく、つながりと変化の印。デザインもいい。むちゃくちゃにセンスがよかったから、アヴァンギャルドな内容を若い人が書いているのかと思ってたんだけど、読んでみると大学教授が自叙伝的に記す戦後民主主義の話...
まず、装丁がすばらしい。カウンターが示す1974。その数字のズレは固まった過去ではなく、つながりと変化の印。デザインもいい。むちゃくちゃにセンスがよかったから、アヴァンギャルドな内容を若い人が書いているのかと思ってたんだけど、読んでみると大学教授が自叙伝的に記す戦後民主主義の話。政治の季節は終わっていなかった。読んでいる途中思わず背中がゾクッとした。装丁も内容もいいなんてなんてすばらしい本なんだ。 民主主義の裏にある集団思想の影。 ニュータウンにある学校でのとっても局所的な、ある意味奇跡に近いような「優性な世界」。筆者は感情的な拒否しているけど、考えとしては否定も肯定もしていないように思う。僕も同じように思う。肌には絶対合わないけれど、集団を扱う上では成果を出せる主義思想なんだと思う。 民主主義とか大きな話はわからないけど、弱さについてどう向き合うべきなんだろうか。 とにかくいい買い物をした
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通勤時、往路は本作、復路は先に感想をいれた「八月の博物館」を読んでいた。 偶然とはいえ、両作品とも、著者が過ごした小学6年生時代の話となる。 正確にいえばフィクション・ノンシクションと違いはあるけど、こんな繋がりで読むことが出来たことは、大変におもしろかった。 1974年、東京郊...
通勤時、往路は本作、復路は先に感想をいれた「八月の博物館」を読んでいた。 偶然とはいえ、両作品とも、著者が過ごした小学6年生時代の話となる。 正確にいえばフィクション・ノンシクションと違いはあるけど、こんな繋がりで読むことが出来たことは、大変におもしろかった。 1974年、東京郊外、東久留米市、滝山団地。 著者小学6年生時代、団地に隣接した滝山小学校に6年5組という「核」となる教室が出現。 班行動とか苦手だった。というか、集団行動がいやだったのかな。 とはいえ、出来るだけ目立たなく、同じ色でいるように心がけていた小心者の私だった。 本作の時代より、少し遅れてはいたけど、同じ武蔵野でも場所が違うとこんなに違ったのか。 私の学校では、校歌と一緒に「君が代」もちゃんと斉唱したし、校章と一緒に日の丸もあった。 なんというのか、過去のことだし、それをどうこうとは言えないけど、どんなことも時代を経てみれば、いろいろと意見が出てくるのだろうと。 どこか、SFぽくも感じさせられたけど、「ねらわれた学園」のような作品がでた時代、実際にそんな風潮があったのだろうな。
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2010.4.13 読了。 団地、社会主義、教育、郊外などに興味ある人はぜひ読んでみるといいとおもう。 牧歌的であり、不気味なノンフィクション。平成20年度講談社ノンフィクション賞受賞。 1974年、東京都東久留米市のマンモス団地のことを回想。滝山団地・東久留米市立第七小学校...
2010.4.13 読了。 団地、社会主義、教育、郊外などに興味ある人はぜひ読んでみるといいとおもう。 牧歌的であり、不気味なノンフィクション。平成20年度講談社ノンフィクション賞受賞。 1974年、東京都東久留米市のマンモス団地のことを回想。滝山団地・東久留米市立第七小学校で形成された不気味な児童たちの民主主義の成立とその欺瞞。「滝山コミューン」の成立と崩壊。 全共闘という政治の季節がおわり、70年代は落ち着いた時代という認識が一般的だが本書はそれを相対化する位置を描いている。70年代の社会党・共産党の議席数の躍進。国鉄、私鉄、日教組などのストの様子。 「全生研」という日教組から派生した生活・学級指導研究会の若い新卒教師による熱心な学級づくりの実践、革新的な算数の指導法「水道方式」を背景に一つのまとまりをつくる「滝山コミューン」 ソ連時代の教育学者マカレンコの理論を背景として生み出された、民主主義的浸透の実践。 民主主義=みんなもの、「みんな」から零れ落ちたら。 「みんな」とは一体何なんだ。公共性を問い直す視点も考え直させられる。
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特定の時期がおかしかったのか、相対的に昔というものは大抵のところおかしく見えるものなのか、あるいは、個人的な最近の幸福感に左右されるのか。よくわからないな。
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西武池袋線沿線西多摩地区のマンモス団地「滝山団地」を舞台に、そこの住民の子息が通う公立小学校で行われた日教組全生連のソビエト式集団教育を、当時の先端的な気性に富む団地住民の意識が自然と支持していくことで熱気を帯びていく、当時小学生だった筆者が抱いた「あの時のいや〜な感じ」をルポ。...
西武池袋線沿線西多摩地区のマンモス団地「滝山団地」を舞台に、そこの住民の子息が通う公立小学校で行われた日教組全生連のソビエト式集団教育を、当時の先端的な気性に富む団地住民の意識が自然と支持していくことで熱気を帯びていく、当時小学生だった筆者が抱いた「あの時のいや〜な感じ」をルポ。局地的でかつ、ある一時期だけ出現した狂騒は、筆者にとって間違いなくひとつの記憶でありひとつの史実であって、歴史の全体像の中に埋もれさせたくない、という主張に共感する。
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「民主的」とは…http://ameblo.jp/urizunokinawa/day-20071027.html
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あの先生の著書。 あのひねくれた根性はここで作られたのかとも錯覚するような内容だった。 同世代の人が共通でもっている、「学校生活」の思い出って意図されていると、大人になった今なら納得できるが、現役のときには知りたくないな。 天神2008/07-
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今の学校ではこんな事はできないと思う。なんで こんな先生が強いんだろう。班活動とか ないし。ストライキとか ないし。
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ボク自身は1980年代中旬に小学生高学年を迎えているのと、団地ではなく地方の割合昔からある住宅街の小学校だったために本書で描かれたようなことは無かったと記憶しているが、それでも班活動や休日の課外活動はあった。でももう少し時代が経ているせいかイジメを作り出す元となりうる「ボロ班」と...
ボク自身は1980年代中旬に小学生高学年を迎えているのと、団地ではなく地方の割合昔からある住宅街の小学校だったために本書で描かれたようなことは無かったと記憶しているが、それでも班活動や休日の課外活動はあった。でももう少し時代が経ているせいかイジメを作り出す元となりうる「ボロ班」という概念はなかったし、
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学校・保護者がタッグを組んで学校改革に乗り出すという革新的な団地を紹介。 自分の小学校(すっごく田舎)と比べると考えられないほど子供が子供っぽくなくてなんかイヤだね〜。筆者とは特に友達になりたくない感じ。
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