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エティカ の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2025/03/11

ある時 突然 ナンの前触れもなく スピノザ という名前が、脳裏に浮かんで youtubeでスピノザの説明を聞いてみて 島田雅彦がスピノザについて語っている話も聞いてみて スピノザの研究者が語っている言葉も聞いてみて 今日、図書館で本を借りてみた スピノザが言ってることが、...

ある時 突然 ナンの前触れもなく スピノザ という名前が、脳裏に浮かんで youtubeでスピノザの説明を聞いてみて 島田雅彦がスピノザについて語っている話も聞いてみて スピノザの研究者が語っている言葉も聞いてみて 今日、図書館で本を借りてみた スピノザが言ってることが、分からなすぎてビックリした 第1部 神について 023 脚注 a posteriori 後天的 a priori 先天的 と訳されるのが普通であるが スピノザの時代では 前者 結果から原因に向かうこと 後者 原因から結果に向かうこと、を意味した 265 諸感情の定義 1 欲望とは、人間の本質そのものである。 274 16 歓喜とは、恐れを乗り越えて実現した、過去のものの観念をともなった喜びである 277 25 満足とは、人が自分自身や自分の活動力を観想することから生じる喜びである こんなこと言って、なんになるの?

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2024/12/05

『エチカ』の本質を理解するには、著者スピノザの特異な背景が重要です。彼はポルトガルからの亡命ユダヤ人の家系に生まれました。彼の家族は「マラーノ」と呼ばれる人々で、イベリア半島でカトリックへの改宗を強いられながら密かにユダヤ教を守り続け、最終的に比較的寛容だったオランダに逃れてきま...

『エチカ』の本質を理解するには、著者スピノザの特異な背景が重要です。彼はポルトガルからの亡命ユダヤ人の家系に生まれました。彼の家族は「マラーノ」と呼ばれる人々で、イベリア半島でカトリックへの改宗を強いられながら密かにユダヤ教を守り続け、最終的に比較的寛容だったオランダに逃れてきました。 スピノザは伝統的なユダヤ教の教育を受けましたが、次第に独自の思想を形成していきます。聖書の歴史的研究や、モーセの律法への批判的考察から、彼は伝統的な教義への疑問を深めていきました。その結果、わずか23歳で破門という厳しい処分を受け、ユダヤ教会から完全に切り離されることになります。 彼が提示した神の概念は、ユダヤ教やキリスト教の人格神とはまったく異なるものでした。スピノザの神は、意志も感情も持たず、自然の法則そのものとして存在する非人格的な存在です。これは実は、東洋の思想との興味深い共通点を持っています。 例えば仏教における「法」(ダルマ)の概念 ─ すべての現象を支配する非人格的な普遍的法則という考え方は、スピノザの神概念と驚くほど似ています。また、日本の神道とも一見似た要素があります。自然と神性が分かちがたく結びついているという点では確かに共通していますが、神道の神々が多元的で人格的な性質を持つのに対し、スピノザの神は徹底的に非人格的で単一の実体として捉えられる点で大きく異なります。 このような革新的な思想を、スピノザは17世紀のヨーロッパで発表しなければなりませんでした。当時のオランダは、確かにヨーロッパの中では最も寛容な社会でしたが、それでも宗教的な異端は危険視されました。そこでスピノザは、まるで数学の教科書のような形式で『エチカ』を書きます。定義、公理、定理という形で論理を積み重ね、できるだけ感情的な反発を避けようとしたのです。 しかし、これでも十分ではありませんでした。ユダヤ教会からの破門に加え、キリスト教会からも危険思想家として警戒され、著作の多くは生前に公刊することができませんでした。『エチカ』も死後出版となります。当時の人々には、彼の思想は無神論的で危険なものと映ったのです。 実は、この「幾何学的な証明」という形式は、単なる護身術以上の意味を持っています。スピノザは、人間の感情や行動も、数学的な必然性で理解できると考えていました。怒りや喜び、愛といった感情も、自然現象として客観的に分析できる─これは現代の心理学に通じる視点でもあります。 このように『エチカ』は、ユダヤ・キリスト教の伝統を超えて、東西の思想が出会う地点に立ち、形式的な論理と深い洞察を組み合わせることで、普遍的な真理に到達しようとした壮大な試みと言えます。その難解さの背後には、思想的な革新性と同時に、時代の制約の中で真理を語ろうとした著者の苦心が隠されているのです。

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2024/10/01

#83奈良県立図書情報館ビブリオバトル「神」で紹介された本です。チャンプ本。 2017.10.21 https://www.library.pref.nara.jp/event/2487

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2019/09/12

読んでて、面白いところもあるんだけども、でもこれをしっかり理解しようとすると、ここからでは正直、しんどいと思った 入門書、解説書的なものを頼ろうと思う

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2016/11/05

 何を言っているのかよくわからない、というのが正直な感想。幾何学的方法に基づき「定理」「証明」が繰り返され、しかもそれが思いついた順に書かれているような感じで全体像が見えづらい。もっとも、このわかりづらさはスピノザ自身も認めているようで各章の最後にまとめがある。それによって何をど...

 何を言っているのかよくわからない、というのが正直な感想。幾何学的方法に基づき「定理」「証明」が繰り返され、しかもそれが思いついた順に書かれているような感じで全体像が見えづらい。もっとも、このわかりづらさはスピノザ自身も認めているようで各章の最後にまとめがある。それによって何をどう考えていたのかがおぼろげながら見えてきたが、それは解説のおかげで何を言わんとしているのかを事前に知らされていたからで、それがなければ読み進めることはできなかった。

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2015/12/23

だめだ。好みじゃない。主体論すぎ、感情論すぎ、つまり何かが”近すぎる”のだ。そっちの派閥のひとにとってはいいのではないか。

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2011/11/07

 エティカの重要性とは、その徹底的に論理的帰結を追及した幾何学的方法である。この方法が形而上学的な存在論、いっさいを包括する全体的、統一的空間を創造している。定義と公理によってすべての命題を導きだすことで、哲学の体系を構成する数学的アプローチはあらゆる意味で、彼の偉大な仕事であっ...

 エティカの重要性とは、その徹底的に論理的帰結を追及した幾何学的方法である。この方法が形而上学的な存在論、いっさいを包括する全体的、統一的空間を創造している。定義と公理によってすべての命題を導きだすことで、哲学の体系を構成する数学的アプローチはあらゆる意味で、彼の偉大な仕事であったと思う。   スピノザの神即自然、すべての事物は神の中に存在するという汎神論的立場は、意志の自由をも否定する決定論に帰結することになる。しかし、この自由意志の否定は単に自然的・機械的法則に服するという意味ではなく、神的存在の永遠な唯一の権力に服するということだ。(ここで神という言葉を使っているが通俗的な意味での、人格的な存在としての神ではなく、非人格的な無限という絶対存在のこと) この自由意志の否定こそ汎神論の完成であり、ここでは善悪の根源的対立も解消されることになる。

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2011/02/27

「神とは、絶対無限の存在者、いいかえれば、そのおのおのが永遠・無限の表現する無限に多くの属性から成りたつ実体のことである。」 ・・・・・・第一部 定義6 この『エティカ』という本は、幾何学的記述によって世界を説明している。 定義、公理、定理、証明で構成される、極めて異質な存在だ...

「神とは、絶対無限の存在者、いいかえれば、そのおのおのが永遠・無限の表現する無限に多くの属性から成りたつ実体のことである。」 ・・・・・・第一部 定義6 この『エティカ』という本は、幾何学的記述によって世界を説明している。 定義、公理、定理、証明で構成される、極めて異質な存在だ。 誤謬なく出来る限り排除し理解してもらうため、この記述法を選択したらしい。 「冗長ではあるが」と本人が言っているので、繰り返し似たような記述があることは、自覚してもなお、これが最善と判断したのだろう。 ただ、読み解くのは、困難を極め自分がどこまで理解できたのか判断しがたい。 それでも、多くの興味深い思想がそこにはあった。 「われわれは、どのような場合にも、ものを善と判断するから、そのものへ努力し、意欲しあるいは衝動を感じあるいは欲求するのではない。むしろ反対に、あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれがそれにむかって努力し、意欲し、衝動を感じあるいは欲求するからである。」 ・・・・・・第三部 定理9 注解(193頁) 善悪の解釈について、ニーチェのそれに似ていると感じた。 (時系列を考えれば、ニーチェのそれが、スピノザに似ていると表現すべきかもしれない。) 「人間が自然の部分でないということは不可能であり、またそれ自身の本性のみによって認識され、そしてそれの十全な原因であるような変化しかうけないことも不可能である。」 ・・・・・・第四部 定理4(306頁) 『神即自然』という言葉で表される汎神論はスピノザの思想の基盤といっていいと思う。 現代では、人間と自然を、対立する関係と表現、理解されることが多いと思う。「人間と自然の共存」を声高に叫ぶ人もいるだろう。共存と表現すること自体、人間と自然を別個のものと捉えているからだ。だが私は、そこに自然の価値を不正に貶める人間の傲慢さ、奢りを感じずにはいられなかった。人間は所詮、自然の一部に過ぎない。構成するパーツであり、人間を含め、全てを包括するのが自然なのだ。誰も「森と木が共存する」などとは言わない。それと同様に「人間と自然の共存」という言葉には違和感と意味の履き違えがある。 スピノザの思想に出会ったときに、私の思想を言語化してくれている、そう思った。 また、スピノザは、その自然そのもの、世界そのものを神と呼び、唯一の実体と解した。 あらゆるモノが神の一部であり、様態なのだと。 これは、よく擬人化される神のイメージとは全く違う解釈であり、八百万の神をもつ日本の伝統的思想にも、他のあらゆる宗教にも相容れない。だが、現代の科学的世界解釈と比較的近しい思想ではないかと思う。 「われわれは第三種の認識によって認識するすべてのことを楽しむ。しかもこの楽しみは、原因としての神の観念をともなっている。」 ・・・・・・第五部 定理32(449頁) 「神は自分自身を無限の知的愛をもって愛する」 ・・・・・・第五部 定理35(452頁) 世界をより深く正しく認識すること、それこそが神への愛であり。それを行う人間は神の一部であるから。人間の神への愛は、神による自分自身への愛と解することができる。 私がスピノザに好感を持つ理由のひとつに、理性への信頼、あるいは「理性への強い期待」 を感じるからだ。 巻末の最後の言葉を、私はとても気に入っている。 「さて、私がここに到達するために示した道は、きわめてけわしい道であるかのように見えるが、それを見いだすことは不可能ではない。じっさい、まれにしか見いだされないものは、困難であるに違いない。なぜなら、もし幸福が手近なところにあり、たいした労力もかけず見いだされるならば、それをほとんどすべての人がどうして無視することができようか。 とにかくすぐれたものは、すべて希有であるとともに困難である。」 ・・・・・・463頁

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2010/12/23

この人も異端、って破門されてるらしくて気になる。 読むときはパスカルも一緒かなあ。 自由でいるためにこんなに努力し続けないといけないなんて、なんて不自由なんだろう、って思ってた10代の頃を思い出しつつメモ。

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