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下流志向 の商品レビュー

3.8

147件のお客様レビュー

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  2. 4つ

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  3. 3つ

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2012/05/20

たしかにそれらしい状況であるし、どうしてそうなったか理解できる。ではどうするかまで読みすすめられなかった

Posted byブクログ

2012/05/05

勤労が憲法に規定された国民の三大義務であるというのは言われてみれば、という指摘である。 そんなことは普段意識していないし、いわれても違和感が残る。働くか働かないかは自己決定だと思っているからだ。 勤労が国民の義務であることの意味は今でもうまく説明できない。我々を規定する価値観...

勤労が憲法に規定された国民の三大義務であるというのは言われてみれば、という指摘である。 そんなことは普段意識していないし、いわれても違和感が残る。働くか働かないかは自己決定だと思っているからだ。 勤労が国民の義務であることの意味は今でもうまく説明できない。我々を規定する価値観やそれを培う教育が自己決定する主体としての個人として自分を認識することしか教えてこなかったためである。 憲法が想定した市民と現代社会を生きる我々との矛盾ではないだろうか。 ここで我々は憲法の精神に立ち返り、勤労に励まなくてはならないという気はない。 憲法には自省の念が込められていたようにも思うし、そもそも資本主義が想定する人間像は常に勤労を人々に求めるようなものではないと思うからだ。 資本主義はいずれ人々を労働から開放すると信じられてきた。フォード生産方式を発明したフォードもそう信じていたはずだ。 何をもって勤労とするかという定義の問題もあるが、投資家として生きる人間は今でも北欧を中心に増えていると思うし、自らの肉体を使うだけが生産活動ではないだろう。 資本主義の本質は差異による価値の創出であり、価値というのは市場における人気投票のことであるから、人々のニーズを捉える価値を生み出すことが資本主義の要請であると言えるのではないか。 確かに、今でも多くの人間にとって付加価値は集団における労働を通して提供するものである以上、どんな職場でも楽しく働ける能力はとても重要であるだろうし、生活の大部分を会社で過ごす人間にとって、幸せに生きるためには必要不可欠の能力だろう。 しかし、だからといって勤労は国民の義務である、今の職場で頑張れと説くのは性急というか、つべこべ言わずに働け、という押し付けのリスクがあるようにも思う。 筆者も十分自覚しているように、勤労は生きるために必要不可欠の行動ではなくなっている。それでも若者を取り巻く勤労のプレッシャーや空気から解放することの方が大事なのではないだろうか。

Posted byブクログ

2012/04/23

 タイトルと目次、少し読んで気になったので購入。  まぁ、だよなぁ…と。さて、今回、やっとゆとり教育が見直されました。  わかっていたことなのにね。  下流志向の若者…って、そうさせたのは、我々大人です。  反省の意味をこめて、ごめんなさい、でもちょっとがんばってみよっか、ど...

 タイトルと目次、少し読んで気になったので購入。  まぁ、だよなぁ…と。さて、今回、やっとゆとり教育が見直されました。  わかっていたことなのにね。  下流志向の若者…って、そうさせたのは、我々大人です。  反省の意味をこめて、ごめんなさい、でもちょっとがんばってみよっか、どうしようもない世の中だけど…と、ダメですか?

Posted byブクログ

2014/02/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

何でもかんでも意味を求めたり、すぐ役に立つかどうかを基準にしがちなのは現代が消費社会だからか。うー、まだ咀嚼しきれていない部分がある。

Posted byブクログ

2012/03/24

 目から鱗という感じで、自分では思いつきもしなかったような発想を、久しぶりにたくさん1冊の本からいただきました。なかなか面白いお薦めの本です。  なぜ子どもたちは勉強しなくなったのか。なぜ若者は働こうとしないのか。筆者は一つの見方を提示しています。それは、日本に消費社会が浸透し...

 目から鱗という感じで、自分では思いつきもしなかったような発想を、久しぶりにたくさん1冊の本からいただきました。なかなか面白いお薦めの本です。  なぜ子どもたちは勉強しなくなったのか。なぜ若者は働こうとしないのか。筆者は一つの見方を提示しています。それは、日本に消費社会が浸透してしまい、何もかも経済的な損得で物事を判断することが、横行しすぎているのではないか。  別の言い方をすると、それは即時性と等価性となるようです。つまり、今すぐに、自分の支払う代償と全く同じくらいの報酬が受け取れないとやらないよ、とそういう意味になります。  勉強も、ある意味苦役を強いられます。それがこちらの支払う代償です。では、報酬はあるのか。たくさんの知識が身につく…と思ってくれればいいのですが、そうは考えないので、や~めたとなる。こんなこと覚えても意味ねえ、というわけです。  仕事も労働がこちらの支払う代償です。これも、苦役を強いられると言っていいでしょう。賃金という報酬をもらえるではないかと思うのですが、少なすぎると思うので、やっぱりや~めたとなる。年功序列的に賃金が増えていくのでは遅すぎる、というわけです。  そういう発想なので、誰もがアーティストやIT長者のような若者を志向します。イメージとして、彼らは簡単に膨大な報酬を得ているように見えるからです。「なんかクリエーティブな仕事がして~」などという口癖は、こういう思考から来ているというわけです。  もう一つ、なるほどなと思ったのは、格差社会についてです。一言で言えば、弱者ほどリスク社会の荒波にもまれているということです。自己決定、自己責任は正論のように聞こえますが、それで負けた人たちを、最後に面倒を見るのは、結局政府であり、周りの人間のコストになるという発想が欠けていると指摘しています。そして、強者はしっかりリスクヘッジのできる生き方をしていると。  もちろん、この本に書いてあることを100%信じるつまりはありません。また、じゃあこうすればいい、というような解決策が明確に提示されているわけでもありません。でも、面白いのです。新しいものの見方をたくさん見せられます。なるほど、とうならせられるページがたくさんあります。  ぜひ、読んでみてください。久々、お薦めの1冊です。

Posted byブクログ

2012/03/06

知性と無知の解釈を、時間の観点から説いた点が最も印象に残った。近代以降の時間と空間の定量化に対する、例のあの人(A.Giddens)の話を思い出させてくれた。

Posted byブクログ

2012/02/27

あんまり明るいことは書いてないんだろうけれど、 この作者さん、何かでも紹介されていたし、気になる。 まだまだ読んでみたいものばかりで、読んでないもの ばかりだなぁ~。

Posted byブクログ

2012/05/08

「学び」と「労働」とは本質的に等価交換ではない。「学び」に対する対価はすぐには得られないし、「労働」に対する対価は常に過小である。だから経済的合理性がないと判断する子どもは「学び」と「労働」から逃走する。にゃるほど〜。 (以下引用) 学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡...

「学び」と「労働」とは本質的に等価交換ではない。「学び」に対する対価はすぐには得られないし、「労働」に対する対価は常に過小である。だから経済的合理性がないと判断する子どもは「学び」と「労働」から逃走する。にゃるほど〜。 (以下引用) 学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味が事後的に考量される、そのようなダイナミックなプロセスのことです。学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた人間の宿命である。(P.65) 「自分探しの旅」の本当の目的は「出会う」ことにはなく、むしろ私についてのこれまでの外部評価をリセットすることにある(P.71) 社会上層の子どもたちは下層家庭の子どもたちより学力が高いように思われる。その理由は、普通は裕福な家庭の子どもには潤沢な教育投資を行うことができるからと説明されますが、もう1つもっと深い理由をも落とすわけにはいきません。それは上層家庭の子どもは「勉強して高い学歴を得た場合には、そうでない場合よりも多くの利益を回収できる」ということを信じていられるが、下層家庭の子どもは学歴の効用を信じることができなくなっているということです。(P.83)

Posted byブクログ

2012/01/23

ゆとり世代とか、そんな簡単な言葉では解決出来ない「学び」と「労働」の価値観の変化。「これ、何のために勉強するの?」と言っていた自分の潜在的な価値観がわかった気がしてゾッとした。これ読ませたい人が複数いる(笑)

Posted byブクログ

2012/01/10

おもしろかった! 学ぶことを拒否すること、働くことを忌避することは、つまり「消費主体」だからという。それと対になっているのが、「労働主体」。 私はどっちなんだろうと真剣に悩んだ。どっちにしろ、お手伝いしててよかった・・・!って思ったよ。 経済合理性とか、等価交換の無時間性とか、...

おもしろかった! 学ぶことを拒否すること、働くことを忌避することは、つまり「消費主体」だからという。それと対になっているのが、「労働主体」。 私はどっちなんだろうと真剣に悩んだ。どっちにしろ、お手伝いしててよかった・・・!って思ったよ。 経済合理性とか、等価交換の無時間性とか、コミュニケーション「おせっかい」とか。なるほどと思えることがたくさんあった。 たくさん印象に残るものはあったけど、“どう生きるか”の壁が目の前にあるわたしにとっては、「理論を語っても仕方がない」(p206)かな。 実際に、示していかなきゃはじまらない。 (※2010年手帳より)

Posted byブクログ