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コリオレイナス の商品レビュー

4.3

12件のお客様レビュー

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2026/02/21

早く戰が始ればいい、その方が平和よりずつとましだ、それは晝の方が夜よりましな様なものさ、陽氣で、目も耳も生き生きしてゐて、何も彼も活氣に滿ちてゐる。それに較べて平和と來たら、正に中風病みさ、冬籠りの動物そつくり、氣抜けで、聾で、何も感じない、半分眠つてゐる様なものだ、戰で人間が死...

早く戰が始ればいい、その方が平和よりずつとましだ、それは晝の方が夜よりましな様なものさ、陽氣で、目も耳も生き生きしてゐて、何も彼も活氣に滿ちてゐる。それに較べて平和と來たら、正に中風病みさ、冬籠りの動物そつくり、氣抜けで、聾で、何も感じない、半分眠つてゐる様なものだ、戰で人間が死ぬより、平和で生み落された父無し子の方がずつと數が多いだらう。

Posted byブクログ

2025/07/19

 4ヶ月前くらいに読んだ『暴君』という岩波新書で、この『コリオレイナス』が取り上げられ、読んだことがなかったがとても面白そうだと思って、読んでみた。その時のブクログの感想を引用すると、「「父親のいないコリオレイナスの無慈悲な心理と政治は、その母親である厳格なヴォラムニア譲りのよう...

 4ヶ月前くらいに読んだ『暴君』という岩波新書で、この『コリオレイナス』が取り上げられ、読んだことがなかったがとても面白そうだと思って、読んでみた。その時のブクログの感想を引用すると、「「父親のいないコリオレイナスの無慈悲な心理と政治は、その母親である厳格なヴォラムニア譲りのようだ」(p.212)ということで、息子を男勝りに育てる母、ってあんまり想像できないなあと思った。結構過激な感じなので興味が湧く。「文明化された国家では、指導者少なくとも最低限の大人らしい自制心があるとみなされ、思いやりや、品位や、他者への敬意や、社会制度の尊重が期待される。コリオレイナスはそうではない。そうしたものがない代わりに、育ちすぎた子供のナルシシズム、不安定さ、残酷さ、愚かさがあり、それに歯止めをかける大人の監督も抑制もないのだ」(pp.216-7)という状態で、「怒りっぽさ、脅したがる無情さ、共感の欠如、妥協の拒絶、圧倒的な支配欲」という性質を獲得し、そして国家でこういう人物が最高権力を握るとどうなるのか、という物語」ということだった。  確かに、基本的にすぐにキレる人で、昔の人ならともかく、現代の政治家には絶対になれないそういう人だろうな、と思った。そういう大衆に頭を下げ、彼らのご機嫌をとらないといけない、というのは、コリオレイナスにとって、いかに下らない、許せない、屈辱的な振る舞いかということがよく分かった。むしろコリオレイナスはそういう「市民」とは対照的な性格の権化みたいな感じ。ちなみに、シェイクスピア自身も、そういう無責任でいい加減な大衆には批判的らしい。  あとは印象に残ったセリフ。戦争を肯定する召使いたちのセリフで、「俺も戦争対歓迎だ。(略)元気いっぱい歩き回り、声を張り上げ、いっときもじっとしていない。ところが平和ときたら中風病みのよいよいだ、目はかすみ、耳は聞こえず、生ける屍だ。戦争が殺す人間より、平和が生み落とす私生児のほうが数はずっと多い」(略)「平和になると人間はお互いに憎み合う。」「なんとなれば、そうなると人間はお互いを必要としなくなるからだ。俺は大枚はたいても戦争は買いたいね。」(p.203)とか、なんか捻くれて頓知の利いている感じがシェイクスピアっぽくて(?)、面白い。おれも、個人についてだったら平和な人生を起こるよりは何かと戦う人生を送った方が鍛えられていいと思う。もちろん限度はあるのだけど。あとは脚注のところで、五幕五場の最初のト書き、「貴族たちが客性から舞台に上がる」(p.257)は、脚注によればpassing over the stageとなっていて、「平土間の観客をローマ市民に見立てる演出がなされえいたと言える説」(p.257)らしい。『ジュリアス・シーザー』とかで、こういう演出になってるの見たことあるなと思った。でも結構客席から舞台に行く演出は今のシェイクスピア演劇でよく見るけど、これは本当に当時もポピュラーなことだったのだろうか。最後に、「息子を男勝りに育てる母」に興味があったのだけど、確かにヴォラムニアというお母さんは、息子の傷を喜んだり、一見現代の母親と違うかなと思うけど、でも息子に積極的に関わろうとして、支配的になる点、今の親と変わんないんじゃないかな、と思ったりした。  結構分かりやすいし面白いけど、これが舞台になってるのを見たことないなあ。ぜひとも見てみたい。(25/07)

Posted byブクログ

2024/06/19
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※このレビューにはネタバレを含みます

 シェイクスピア作品のなかでも比較的後になって作られた悲劇作品。舞台はローマでその将軍である主人公は、ローマの隣国ヴォルサイとの戦いで成果をあげた。のちにコリオレイナスという名を与えられたが、ローマ市民との関係が悪かった。ついにはローマから追放されることになり、その後ヴォルサイの将軍オーフィデェアスと手を組んでローマに攻め込もうと決意した。このように、本作は国家の内側と外側それぞれの対立や衝突、また登場人物たちの葛藤に注目すると面白い。あとがきにあるように、多くの人々がさまざまな場面で二者択一を迫られる。『ハムレット』以上に板ばさみ状態が続いている。  また解説では、終盤におけるコリオレイナスとその母であるヴォラムニアの対話について言及している。訳者の松岡和子はこの場面からコリオレイナスをマザコンと見なした(新潮選書『シェイクスピア「もの」語り』より)が、その一方で解説者の河合祥一郎はこの意見に反論する。河合はこの場面を絶対的権威としての母親と解釈した。これは武人のコリオレイナスにとって、自身のアイデンティティの基盤である母親はヒエラルキー構造上、上の立場であった。だから跪いたのだと解釈した。

Posted byブクログ

2023/12/17

ちくま文庫版シェイクスピア全集第14巻。古代ローマを追放された将軍をモデルとしたシェイクスピア最後の悲劇。 ローマをめぐる政治劇。ヴォルサイ人との戦いに勝利をおさめ、「コリオレイナス」の称号を受けたケイアス・マーシアス。しかし護民官の策略により民衆を侮蔑したため、ローマを追放さ...

ちくま文庫版シェイクスピア全集第14巻。古代ローマを追放された将軍をモデルとしたシェイクスピア最後の悲劇。 ローマをめぐる政治劇。ヴォルサイ人との戦いに勝利をおさめ、「コリオレイナス」の称号を受けたケイアス・マーシアス。しかし護民官の策略により民衆を侮蔑したため、ローマを追放されることになる。敵であったヴォルサイ軍とライバルのオーフィディアスを味方につけローマ側に侵攻を進めるが、残してきた母と妻子が現れ……。 P13~14 市民「俺たちを飢えさせておいて、自分たちの蔵は穀物で一杯だ。高金利条例を出して、金貸しどもの便宜を図る。金持ちに対抗する健全な法律は毎日のように撤廃するくせに、過酷な法律ときたら毎日のように発布して、貧乏人を締め上げ束縛する。俺たちは戦争に食い尽くされなくたって、あいつらに食い尽くされる。」 民衆の政治への参加に公然と反対し、民衆をののしったため追放の刑となるコリオレイナス。確かにもう少し冷静であるべきだっただろう。上記の抜書きのようなセリフには共感もする。しかしこの物語における流れをみる限り、策略に踊らされた民衆の側も賢いとは言えず、手放しで民主制を礼賛できないところが歯がゆい。そんな中で、話はコリオレイナスの個人的な感情のストーリーに飲み込まれていく。母親の説得に彼がどう応じたかが、本作最大のハイライト。うーむ、母は偉大……なのか?結末が暗示するものを考えてみたい。

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2022/07/20

歴史劇の中では読みやすい方か。移ろいやすい民衆心理は、現代社会も同じかもしれない。母子(男女)の関係は武士道と比較しても面白いのかなと思った。

Posted byブクログ

2022/02/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

なんだかやり切れないですわ。 訳者いわく「総ハムレット状態」の本作。 あらゆる登場人物が二者択一に迫られるのが印象的。 物語に出てくる登場人物は一度した選択を貫き通すイメージがあったので、 「Aを選んだがやっぱりBにする」というシーンが度々あるのには驚いた。 常にnobleな選択をしようとするコリオレイナス、 宿敵を撃つことに情熱を燃やすオーフィディアス、 この2人が滑稽にも見えてしまうのは 私自身が「市民」だからなのかしらん。 市民たちの愚かな側面が、 本作全体に不気味な雰囲気を醸し出していると感じる。 自分に言われてるようで堪える。

Posted byブクログ

2020/09/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

シェイクスピア全集 14 (14)コリオレイナス (和書)2009年09月27日 20:08 2007 筑摩書房 シェイクスピア, 松岡 和子 コリオレイナスは初めて読みました。コリオレイナスの自由の相互性という視点を見いだすことができると感じた。最後は死んでしまい、とても英雄とは言えないけど別に英雄なんかにならなくてもいいのだよ。

Posted byブクログ

2018/12/11

原書名:The Tragedy of Coriolanus 著者:ウィリアム・シェイクスピア(Shakespeare, William, 1564-1616、イングランド、劇作家) 訳者:松岡和子(1942-、中国長春市、翻訳家) 解説:河合祥一郎(1960-、福井県、英文学)

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2016/10/11

不器用なんだけど 言動が派手で身を滅ぼしてしまった主人公だと思うんだけど、そのまわりも、みる目が無かったというか・・。ただ 今の日本にもあるような現象かもしれません。政治に長けている人が、人格&性格がいいとは限らない。法律に触れるような あくどいことでなければ (まあ おじさん政...

不器用なんだけど 言動が派手で身を滅ぼしてしまった主人公だと思うんだけど、そのまわりも、みる目が無かったというか・・。ただ 今の日本にもあるような現象かもしれません。政治に長けている人が、人格&性格がいいとは限らない。法律に触れるような あくどいことでなければ (まあ おじさん政治家の失言はそれ以前の資質の問題もあるが)仕事をきっちりしてくれる方を追い落とすようなことをしないほうがいいと思う・・・のだなぁ。 (ア●サンは仕事せず 虚言ばっかだけど)

Posted byブクログ

2018/12/17

訳者の松岡和子さんがあとがきで「コリオレイナスは板ばさみの劇である。さまざまな状況でさまざまな人物が二者択一を迫られる」と書いているのが、言い得て妙だ。 しかし、事を複雑にしているのは「二者択一」が、どちらかが正しい/どちらかが支持できる、とは単純に決められないところにある。 ...

訳者の松岡和子さんがあとがきで「コリオレイナスは板ばさみの劇である。さまざまな状況でさまざまな人物が二者択一を迫られる」と書いているのが、言い得て妙だ。 しかし、事を複雑にしているのは「二者択一」が、どちらかが正しい/どちらかが支持できる、とは単純に決められないところにある。 「コリオレイナス」がシェークスピア作品の中でどちらかと言えばマイナー扱いにあるというのは、翻訳作品ラインナップでもこの作品はどちらかと言えば隅に置かれていることからもわかる。 しかし私には、主人公コリオレイナスの発言は拒絶感なく入ってきたし、展開も楽しく、飽きることなく最後まで読めた。 この作品が低い位置に置かれているのは、ひとえにコリオレイナスが民衆の感情に徹底抗戦し、あくまで強固に武勲高き貴族としての気位を矜持し続けようとしたという“反民衆の視線”であると思える。 私を含めた民衆側から言わせると、コリオレイナスの言い分は、ある意味、弱いがそれが多く集まり1つの勢力となった民衆の声を、たんぽぽの種子を吹き飛ばすように、1個の存在として否定し拒否しているように受けとれる。 だが、もし自分がコリオレイナスの立場だったらどう考えるだろうか?他の読者はそういうふうに考えることはないのだろうか? 国の命運を左右する大事な戦で、大将が傷を負いながら勝利をもぎとっている間に、民衆の多くは怖気づき戦意を消失させて足踏みする根性無しで、さらには自分だけ試練や苦難からトンズラここうとして国のことなんかどこへやらで、あげくにはおこぼれの戦利品をできるだけ多く分捕ることばかり考えている… さらに、日々の窮乏から「貴族が貯め込んでいる穀物を放出しろ」と民衆は声高に叫ぶが、確かに今の時点で放出すればその場はしのげるものの、数年後あるいは長期で考えた場合、目先の貯蔵の放出は将来の食糧危機をもたらす恐れを多分に孕んでいる、だから今の備蓄は放出できないとコリオレイナスがもし考えていたならば、どちらが正しいのか? 私たちはともすれば条件反射的に「民衆が正しい」「施政者は横暴」と捉えがちだが、この戯曲でわかるとおり、民衆の意見だから正しい/お上の意見だから間違っているというのは、近視眼的であって正しい認識ではない。 “To be or not to be, that is the question ”と同様に、どちらかが正解なんて断定できない。 繰り返すが、大衆の意見だから、あるいは政府の意見だから、すなわち正しいなんて絶対に言えない。 これは現在の私たちが生きる社会にも当然当てはまるから言ってるのであって、私たちは悲劇の主人公コリオレイナスになるべきではないのはもちろんだが、この戯曲に出てくる市民にもなるべきでない。いわば“賢い民”になるべきである。 そう考えた時、私はコリオレイナスに横綱白鵬の生き方を重ねて考えた。 1人横綱を長く務め、現在も「勝って当たり前」であり続けるのは、尋常ではない才能と努力の賜物。 それは誰もがわかっているはずなのに、白鵬関とちょっとした土俵上の所作について、ブーイングやネットなどで悪口を言われるのに、個人的に疑問に感じている。 仮に、白鵬関が立ち会いの変化や猫だましなどを一切しなかったとしよう。 そのために白鵬関の相撲人生が結果的に短くなり、私たちが稀代の名横綱の取り組みを見られるのが短縮されるとすれば、私たちファンとしてはどっちが幸せなのか?一時の感情で横綱を批判や否定をするのが、真の相撲ファンとして正しい態度なのか? 白鵬関にも確かに絶対的強さでドンと構えていてほしいけど、相撲の核心を十分知りえない周りのやつらも、雑音立てずに静かに見てろよ…、そんなことまで思いはせてしまう。

Posted byブクログ