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民藝とは何か の商品レビュー

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22件のお客様レビュー

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2024/07/14

そもそも高価な貴族的な品物の、ほとんどすべてに見られる通有の欠点は、一つに意識の超過により、一つに自我の跳梁によるのです。一言で言えば工夫作為の弊なのです。

Posted byブクログ

2024/06/30

日本の民藝についての第一人者である柳宗悦による美の論説。本書で語られる柳の主張は、一切の反論の余地も与えないようなものでは確かにない。例えば創意工夫が美を損ずるとか、僅少で高価であることはそれ自体が不完全であるとか、絶対にそうとは言えないのでは、とその論理づけにおいて指摘したくな...

日本の民藝についての第一人者である柳宗悦による美の論説。本書で語られる柳の主張は、一切の反論の余地も与えないようなものでは確かにない。例えば創意工夫が美を損ずるとか、僅少で高価であることはそれ自体が不完全であるとか、絶対にそうとは言えないのでは、とその論理づけにおいて指摘したくなる部分は少なからずあった。 しかし柳の功績は貴族趣味的なものばかりがやたら有り難がられて、日用品が工芸品として評価されていなかった風潮に待ったをかけて、用の美というキーフレーズでいわゆるクラフトの価値を土俵に上がるところまでに押し上げたところにあると思う。現に日本のクラフトデザインの歴史を柳抜きに語ることはできないであろう。有銘の作と無銘の作とに対する目線に、当時の社会としてあまりに極端なアンバランスがあったとすれば、本書の柳の論調もそのカウンターパンチ的な意味があったのではないかとも思う。 絶対的な肯定ができないように思われる部分もままあるなかで、個人的に全くその通りだなと思ったのが、美と道徳の関係について言及されていた箇所である。道徳の欠けたものに美が見出せないのは美学的にも裏付けられるところだと思うし、独りよがりの表現よりも、公の観点で多くのものを救い出そうとする視点を美しいとすることに何の異論があろうかと思う。そういう意味で、最近公衆に蔓延る表現に美しいものが少ないなと思うのは、まさに時代が下って美意識がどんどん欠落している現実だなと思った。

Posted byブクログ

2023/10/21

まさに「民藝」の入門書として、提唱者の柳宗悦より平易な表現で、分かり易く解説されている。 「民藝」は、明治近代化の中でしばしば登場する概念であり、その影響力から、言葉としては認識していたが、体系的に理解できたことは収穫。 このように原則論を読んでいると、時代を超えた普遍性があり、...

まさに「民藝」の入門書として、提唱者の柳宗悦より平易な表現で、分かり易く解説されている。 「民藝」は、明治近代化の中でしばしば登場する概念であり、その影響力から、言葉としては認識していたが、体系的に理解できたことは収穫。 このように原則論を読んでいると、時代を超えた普遍性があり、現代においても意識すべき概念ではないかと思う。 以下抜粋~ ・用が生命であるため、用を果たす時、器は一層美しくなってきます。作り立ての器より、使い古したものはさらに美しいのではありませんか。 ・廉価であるということが、実に美を増す大きな基礎なのです。安いものであるから、強いて美を盛ろうとは工夫していません。 ・無銘の作に心が惹かれるのは、そこに一個性よりさらに大きな衆生の美があるからです。 ・民藝品が特に注意されねばならない大事な理由の一つは民族性や国民性が一番素直にこの領域に現れてくるからです。 民藝こそは国民生活の一番偽りなき反映なのです。 ・ご承知の通り産業革命以来、工藝は二分野に分かれ、機械製品と手工藝とが対立するに至りました。 前者はある意味では進歩した道ではありますが、不幸にも貪欲な商業主義と深く結合したため、品物を粗悪にしました。 ・民藝の美の特質 1実用性 2常に多量に作られることと、廉価であること 3平常性 4健康性 5単純性 6協力性 ・かくして私は民藝品の最後のまた最も重要な特色について語る場合に来ました。 それは国民性ということです。 民藝は直ちにその国民の生活を反映するものですから、ここに国民性が最も鮮やかに示されてくるのです。 地方的工藝の存在は重大な意義を有ってくるのです。 地方こそは特殊な材料の所有者であり、また独特な伝統の保持者なのです。国民的伝統の上にこそ、強固な国民的美が発露されるのです。

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2023/07/02

駒場にある日本民藝館を訪問し、何冊か購入した中の一冊。 民藝が好きで、民藝運動を興した柳宗悦さんやバーナード・リーチ先生らが好きで色々な作品を見たり読んだりしてるけど、そもそも民藝とは、という事を柳宗悦先生より直接教えていただいている様な感じがして楽しかった。 民藝の価値をここま...

駒場にある日本民藝館を訪問し、何冊か購入した中の一冊。 民藝が好きで、民藝運動を興した柳宗悦さんやバーナード・リーチ先生らが好きで色々な作品を見たり読んだりしてるけど、そもそも民藝とは、という事を柳宗悦先生より直接教えていただいている様な感じがして楽しかった。 民藝の価値をここまで高めた功績は偉大だ、と感激します。

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2022/11/06

柳宗理を先に知って、彼のエッセイ読んだ後で彼の父である柳宗悦のこの本を読んだんだけど、もうあれね。父ちゃん圧勝! 柳宗理もすごいけど、それとは比較にならないくらいの柳宗悦の思想の真剣さ、熱さよ。郷ひろみも真っ青の、アーチーチーアーチー具合。 民藝とは関係はないですが、美術が何...

柳宗理を先に知って、彼のエッセイ読んだ後で彼の父である柳宗悦のこの本を読んだんだけど、もうあれね。父ちゃん圧勝! 柳宗理もすごいけど、それとは比較にならないくらいの柳宗悦の思想の真剣さ、熱さよ。郷ひろみも真っ青の、アーチーチーアーチー具合。 民藝とは関係はないですが、美術が何かわからないという理由で美術芸術を敬遠している方、読んでみてください。きっとあなたを励ましてくれるはずです(私は励まされた)。

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2022/11/05

下手物の放棄→民藝・民器 工芸美学 ドイツ東アジア協会 民衆的工芸と貴族的工芸 ゴシックの心=伝統の心 →ルネサンスの心=自由の心 仏像の世俗化 35 工藝の正史は民藝史 =信仰史が宗教の正史 74 安い器ほど安らかな器はない 77 商業主義のもとに、正しい民藝品はあり...

下手物の放棄→民藝・民器 工芸美学 ドイツ東アジア協会 民衆的工芸と貴族的工芸 ゴシックの心=伝統の心 →ルネサンスの心=自由の心 仏像の世俗化 35 工藝の正史は民藝史 =信仰史が宗教の正史 74 安い器ほど安らかな器はない 77 商業主義のもとに、正しい民藝品はあり得ないのです。私的な利と、公な美が一致することはあり得ないのです。 モリス normal art あるいはnatural

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2022/04/04

実際に日本民藝館にも訪れてみたが、日々使われて用をなすことで価値が生まれる民藝品を通じて、「なくてはならぬもの」という存在から美とは何だったのか考えさせられる。 今の自分の生活の中で日常に溶け込んでいるあらゆるものを見直したい。

Posted byブクログ

2022/02/20

アートとサイエンス、人間と機械、定性と定量、be or have、よく語られる最近の二分に共通する、民藝と貴族的工藝。この視点で読むととてもわかりやすい。

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2022/02/09

かなり哲学的というか思想色が強い内容だった。疑問は、現代には民藝の思想は残っていても「民藝」は残りえないのではないか、ということ。希少性はなく量産するものである、という特徴は、民藝品をつくることがとても少なくなった今、民藝品の物理的数にそもそも希少性がでてきてしまっているのではな...

かなり哲学的というか思想色が強い内容だった。疑問は、現代には民藝の思想は残っていても「民藝」は残りえないのではないか、ということ。希少性はなく量産するものである、という特徴は、民藝品をつくることがとても少なくなった今、民藝品の物理的数にそもそも希少性がでてきてしまっているのではないかと思ってそれは民藝と言えるのかなあと。現代における民藝品の位置付けを知りたい!!

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2021/12/18

国立近代美術館で柳宗悦没後60年の「民藝の100年」という展示や、近所の日本民藝館に行ったことなどもあり、民藝に興味を持って手に取った。 柳宗悦は、ロダンを中心とする汎神論的な芸術の受容からキャリアをスタートしているが、彼の民藝評には汎神論的な感覚を感じる。なぜ民藝が美しいかと言...

国立近代美術館で柳宗悦没後60年の「民藝の100年」という展示や、近所の日本民藝館に行ったことなどもあり、民藝に興味を持って手に取った。 柳宗悦は、ロダンを中心とする汎神論的な芸術の受容からキャリアをスタートしているが、彼の民藝評には汎神論的な感覚を感じる。なぜ民藝が美しいかと言えば、それは「用」の美。なにかに用いられるということを想定された美しさなのである。近代の美術において評価されてきた貴族的な品物と民藝と比較すると、前者が有想(想像を巡らせ、意匠を凝らすこと)であるのに対して、後者は無想であり、より清い境地にある。また、前者が意識なら、後者は無心、前者が主我ならば後者は忘我の境地であるとも言われる。こうした無想・無心・忘我になぜ美しさがあるかと言えば、この世の中の叡智とは、1人の人間が作り出さんとするものではなく、集合的無意識のような個人の枠組みを超えたところに現れるからである。このような柳の考え方は、個人がオーサーシップを持ち、自由であることを基盤する近代的な考え方への超克を目指すものであるとも受け取れる。民藝は、製造過程で多くの人がかかわっており、さらにその後も誰かに使用されて洗練されていく。民藝が目の前に存在しているというタイミングまでに無数の人の手を介しており、個人のオーサーシップを重視する近代美術とは一線を画する。こうした観点では先日、SOMPO美術館で見た川瀬巴水の版画の製造過程も、多くの人間がかかわっている。川瀬巴水は日本中を周遊し、絵画の着想を得るが、作品が完成する過程にはかならず優れた版の彫師が存在している。そうした作者の複数性と言う観点では、そこから日本的美術の美しさを見出すことができるのではないかと考えた。

Posted byブクログ