1,800円以上の注文で送料無料

民藝とは何か の商品レビュー

4

22件のお客様レビュー

  1. 5つ

    7

  2. 4つ

    9

  3. 3つ

    4

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2021/11/29

読んでおかないとという本。同じ主張がずっと繰り返される。用と美と利。用を追求すれば美に至る。組合的な組織で、無心に、数多く作るのが大事。国の文化が豊かになる。利を追求した大量生産は画一的、効率的で美をうまない。 美術品と工芸品の対比は正直よくわからない。どちらも美しいと感じるもの...

読んでおかないとという本。同じ主張がずっと繰り返される。用と美と利。用を追求すれば美に至る。組合的な組織で、無心に、数多く作るのが大事。国の文化が豊かになる。利を追求した大量生産は画一的、効率的で美をうまない。 美術品と工芸品の対比は正直よくわからない。どちらも美しいと感じるものはあると思う。

Posted byブクログ

2019/05/29

民藝とは、運動である。 民の協働としての運動である。 とても面白い視点を与えてくれた、と思う。 芸術というものが権力を志向するのに対して、民藝は協働を呼ぶ。現代のシェアリングエコノミーにも通じる、何かがここにはある。

Posted byブクログ

2019/05/19

名もない人が、生活のために拵えたもの。 過剰さも、個性もいらない。無駄なものがないからこそ、美しい。 わたしは、芸術なんて無駄なもの、ないならないで過ごせるもの、個性的で唯一無二のもの、でもなかったら、寂しくて自分の心が求めるもの。という風に思っている節がありまして、 その...

名もない人が、生活のために拵えたもの。 過剰さも、個性もいらない。無駄なものがないからこそ、美しい。 わたしは、芸術なんて無駄なもの、ないならないで過ごせるもの、個性的で唯一無二のもの、でもなかったら、寂しくて自分の心が求めるもの。という風に思っている節がありまして、 その対極にあるものが、民藝なのだろうと。 わたしは今、そのような民藝にとても強く心を惹かれています。

Posted byブクログ

2018/07/29

しばらく前に日本民藝館の展示を見に行った際、館内の売店で見つけた本。 本書は、民藝運動の創始者である、柳宗悦(やなぎむねよし)による、民藝論の入門書です。 著者自身が民藝学概論、と位置づける表題の小編と、やはり民藝の概念や良さについて、簡潔に語った随筆がいくつかおさめられていま...

しばらく前に日本民藝館の展示を見に行った際、館内の売店で見つけた本。 本書は、民藝運動の創始者である、柳宗悦(やなぎむねよし)による、民藝論の入門書です。 著者自身が民藝学概論、と位置づける表題の小編と、やはり民藝の概念や良さについて、簡潔に語った随筆がいくつかおさめられています。 原本は1941年に刊行されていますが、現代仮名づかいに改められ、文字の大きさや組み方も新しく、読みやすい仕上がりが有り難い。 本書における著者の主張は終始一貫していて、民藝品は、大衆が用いる工藝品として、大量に、廉価に、簡単な手法で、実用的であるために不要な装飾を省き作られたことで、無心の健康的な美がやどっている、それはいにしえの茶人達が愛した美であるーーとしています。 そして、「ここに用というのは、単に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。」という言葉に、東京帝国大学哲学科を卒業した宗教哲学者でもある著者の人となりが、象徴されているように感じました。 展示を見た後、たまたま売店で1つ700円くらいの湯呑みが気に入ったので買って帰ったのですが、帰宅後いつものマグカップでなくそれでお茶を飲んでみると、これまたいつものティーバッグの番茶が、自分比で3倍くらい美味しい。 「私!いま!お茶を飲んでるーー!」という気分が腹の底から湧いてくるというか。 「心への用」って、ひょっとするとこういう気分なのかな。 本書が執筆されてから、80年近くが経過した現代には、無印良品も100円ショップもあり、民藝品が、廉価の、無名の品々であるとは、一概には言えません。 でも、湯呑みで番茶を飲むことが、単に水分を補給するためだけでなく、ひと息つく時間になったり。 団扇であおぐことが、ただ汗をひかせるためだけでなく、炎天下を歩いてきた自分への労いになったり。 民藝の品々を見ていると、日々は単なる通過点ではなく、今を感じながら生きる喜びこそが大切なのだと、語りかけられている気がします。 どれだけ経済、社会、生活が変化しても変わらないことは何か、本書の言葉が伝えてくれているように思いました。

Posted byブクログ

2015/12/07

芸術作品の見方を考えさせる本。有名性からくる「良さそうなもの」を認識するのではなく、無名性でかつ実用的なものにこそ美があると言っている。確かに有名なものや、ブランド品はそれだけでよく見える。美しさとはなにかを考えるな。

Posted byブクログ

2014/11/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

柳宗理のお父さんの柳壮悦。民藝運動を興した人。駒場にある日本民藝館はこの人の活動の中心地。 フォークアートとアートというふうに二つに分かれちゃって美はアートの方にあるってことになってるけど本当?みたいな話がずっと繰り返される。いろいろなところに書いてある文書をとりあえずまとめて本にした感じなので繰り返しだらけなんだけどおもしろい。 無名性 シンプリシティ 廉価性 生活への密着 ローカリティ みたいなのがカギだと。そして、美しさの本質になってるのは絵師が、大量に同じものを生産する中でのディシプリンによって生まれるのではないか?みたいなこと。同じ絵を大量に書くことでその絵の本質に達するみたいなこと。大量に行われることで効率化が行われ、その事物の本質に達するということ。 勃興期の茶道の大名物とかも全部民藝じゃん。作家性のあるやつとかだめじゃんなんかわざとらしくて。 スマホに当てはめるとどうなんだろう。朝鮮からわたってきた民藝品が本当の美であるということなんだよね。でもs5のバンドエイドは違うだろうなという気はするが。 あと、壮悦さん、分析のなかで、 コミュニティとか、宗教とか、ちょっと時代的にインターナショナルな感じに行きます。そういう時代だったんだね。

Posted byブクログ

2012/08/30

柳宗悦の民藝に対する考え方には感心するところはとても多い。 ただ、読み物としてですね、同じような文章の繰り返しなので、結構読むのがしんどいです。。。

Posted byブクログ

2011/06/05

たまたま目にとまった。柳宗理の父について興味を持ったから読んでみた。正直、宗悦が紹介する民藝を見ても美しいと感動をすることはない。ただ彼の考え方は嫌いではない。美についてそこまで真撃に向き合う姿勢には敬服する。民藝はさておき、自分なりの美の基準について考えを持つきっかけとなった。

Posted byブクログ

2011/05/03

この名文にやられた。ただ、「真の美」という発想がいかにも時代を感じる。私の世代の人間には、逆に民藝もまた骨董の一種と化しているように見えるから。それに、他の本で見るようなゴテゴテと色んな民芸品を所狭しと並べている人は、正直言って悪趣味にしか思えない。ただ、河井寛次郎記念館や日本民...

この名文にやられた。ただ、「真の美」という発想がいかにも時代を感じる。私の世代の人間には、逆に民藝もまた骨董の一種と化しているように見えるから。それに、他の本で見るようなゴテゴテと色んな民芸品を所狭しと並べている人は、正直言って悪趣味にしか思えない。ただ、河井寛次郎記念館や日本民芸館のように、客への心遣いを感じる装飾としての民芸品はさほど嫌みはない。何事も中庸を良しとするのだろうか。その意味で、「なぜ柳氏は茶道の世界を批判したのだろう?」というのが自分の中では疑問として湧いた。茶道のデフォルメはもはや用の美を忘れたと言いたいのか。それとも、千利休を称揚し、その美的感覚がスタンダードとなる中、流れに竿を指したかったのか。もうちょっと勉強すれば、実際の柳さんの歩みから答えが出そうな気がする。

Posted byブクログ

2010/06/12

『民藝とは何か』、『日本民藝館について』、『民藝の性質』いずれも似たようなことを言っていると感じた(おそらく多くの人が同意してくれると思う)。 だから、読み進むうちにだんだんと読むスピードが増していった。 そして、はたと立ち止まって、「これってホントに読書なのかな。やっていること...

『民藝とは何か』、『日本民藝館について』、『民藝の性質』いずれも似たようなことを言っていると感じた(おそらく多くの人が同意してくれると思う)。 だから、読み進むうちにだんだんと読むスピードが増していった。 そして、はたと立ち止まって、「これってホントに読書なのかな。やっていることは速読と似たようなもんで、いつの間にか『早く読み終わらせる』ことそれ自体が目的になってないかな。俺はそんな読書がしたいわけじゃない。」と思った。 しかし、その一方で速く読むことそれ自体はそれほど非難されるべきものでもないという考えもある。 高橋源一郎は「『明治の文章』は明治人の音読の速度で読まないと味わえないのではないか」という仮説を立てたという(『態度が悪くてすみません』所収の「速度と祝福 God speed you」)。 これが書かれたのが1940年前後。 ならば、リズミカルに読んでも問題ないのではないかというわけだ(昔の人は今より早口だったみたいだから。それに文章もリズミカルな漢語調だし)。 ああ、全然内容に触れてなかった(まあ、僕がやってるのはレビューという名の日記なので)。 言ってることは至極全うなことだと思う。 錯雑とした意識に捉われない、日々の健康的な生活の中から生まれる実用的な民藝品にこそ真の「美」が存在するのだと(多分こんな感じ)。 でも時々横槍を入れたくなることもありました。 僕にとって象徴的なのが、人々が在銘の品を求めるのは、「それは『銘』を愛し、『人』を愛し、『極め』を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではない」(p.64)という部分。 これはブランドの概念にもつながってきそうな部分ですね。 宗悦さんの言っている「美」にはだいたいにおいて賛同しますが、僕はそれがいつの間にか「健康的で実用的であるといった諸々の要素さえクリアできればそれは無条件に素晴らしいものである」ということになってしまうのではないかと恐れます。 それでは在銘の品(いわゆるブランド)を盲目的に求める大衆と全く同じことではないかと思うのです。 宗悦さんがこのような反論を想定していたのかは分かりませんが、宗悦さんはそうした諸要素の拠って立つところとして、さらに「直観」というものに説明を求めました。 「直観」で諸要素を、また美を感じるのだから、そこに自身の独断の入る隙はない。「もし見誤るなら(それは)充分に直観が働いていないからです」(p.93)と。 僕は人が皆(偏見などを取っ払って)「直観」で物事を見れる、またそこで同じことを感じるであろうということを信じていない人間ですから、ここらへんの記述(この文章の核な気もしますが)には多少の違和感を感じました。 まあそんなことはどうでもいいか。 今度日本民藝館に行ってみたいと思います。 (2007年09月16日)

Posted byブクログ