朽ちていった命 の商品レビュー
1999年の茨城県の東海村臨海事故で被曝し死亡した大内氏の治療の記録。大内氏の被曝量は20シーベルトとされている。ニュースでよく聞くミリシーベルトではない。細胞を再生していく染色体が破壊されたため困難が次々に起こり、「勝ち目のない戦い」を強いられた医師、看護師の苦悩も描かれている...
1999年の茨城県の東海村臨海事故で被曝し死亡した大内氏の治療の記録。大内氏の被曝量は20シーベルトとされている。ニュースでよく聞くミリシーベルトではない。細胞を再生していく染色体が破壊されたため困難が次々に起こり、「勝ち目のない戦い」を強いられた医師、看護師の苦悩も描かれている。死亡解剖後の遺体からのメッセージにも心を打たれる。原子力問題に対しても、「人命軽視」、「所詮、人間のすることだから」などの当時の関係者の指摘も厳しい。
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3.11が起きたこのタイミングで読むことになったのは何かの縁なのだろうか。原子炉が引き起こす災難がどれほどひどいものなのか、人間の力がどれだけ小さいのか、身に染みる。 原子炉に限らず、世の中には思いも寄らない事件が起きる。 そういった不確実性に対して自分自身がどうやって向き合い...
3.11が起きたこのタイミングで読むことになったのは何かの縁なのだろうか。原子炉が引き起こす災難がどれほどひどいものなのか、人間の力がどれだけ小さいのか、身に染みる。 原子炉に限らず、世の中には思いも寄らない事件が起きる。 そういった不確実性に対して自分自身がどうやって向き合いくのか、対処の仕組みとしてどういった枠組みがいいのか、考えなければいけないと思う。
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東海村臨界事故で8シーベルトもの放射線を浴びた患者の治療記録。 チェレンコフ光を目にし、即死レベルの放射線を浴びた患者の83日間の治療を、「遺伝子が損傷して細胞が再生しない」放射線被曝の恐ろしさ、明瞭な意識で筆舌に尽くしがたい苦痛を感じている患者の先の見えない治療を続けるべきか...
東海村臨界事故で8シーベルトもの放射線を浴びた患者の治療記録。 チェレンコフ光を目にし、即死レベルの放射線を浴びた患者の83日間の治療を、「遺伝子が損傷して細胞が再生しない」放射線被曝の恐ろしさ、明瞭な意識で筆舌に尽くしがたい苦痛を感じている患者の先の見えない治療を続けるべきかというスタッフの悩み、待機室で1万羽近い鶴を折り続けた家族の気持ちなどに触れつつも、冷静で感情をはさまない客観的な筆致で描き続けるドキュメンタリーの金字塔。 取材チームは相当いろいろなことを感じ、考えたのだろうが、そのことは「あとがき」まで語られない。 あと、福島第一原子力発電所の事故というかつて経験したことのない状況下で、関東在住者は低線量と言え被曝をしているわけで、被曝をしたときに何が起きるのか、正確に知るという意味でも今まさに読まれるべき記録であると思う。
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1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。 本書は、核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた大内さんを懸命に助けようとする医療スタッフの闘いのドキュメントである。 執筆者である岩本裕さんが、NHKスペシャル「被爆治療83日間の記録」を制作するにあたって、この番組を最高のも...
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。 本書は、核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた大内さんを懸命に助けようとする医療スタッフの闘いのドキュメントである。 執筆者である岩本裕さんが、NHKスペシャル「被爆治療83日間の記録」を制作するにあたって、この番組を最高のものにしたいという気持ちの源泉となったのは、大内さんのご遺体の写真だという。 体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、背中側の半分は皮膚が残っていて真っ白で、はっきりと境界ができていた。 放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かしていく怖さをまざまざと見せつける一枚だった。 公開するにはあまりにもむごい写真ではあるけれで、大内さんが、放射線の怖さを多くの人に伝えて欲しいと訴えているという思いで、困難な取材を続けたと「あとがき」にある。 衝撃的だったのは、59ページに掲載されている染色体の顕微鏡写真である。 すべての染色体がばらばらに破壊され、どれが何番の染色体なのかまったく同定することができない。 その写真を見た医師は、こう語っている。 「病気が起きて、徐々に悪くなっていくのではない。 放射線被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる」 医師は、大内の染色写真を手に、 「放射線というのは、なんと恐ろしいものなのだろうか」 としばし呆然としたという。 大内さんにまだ意識があって、話ができた頃、 あまりの治療のつらさに、 「おれはモルモットじゃない」 とつぶやいたこと。 全身の皮膚がはがれおち、体液がしみ出してくるため、包帯とガーゼで包まれた大内に、 面会に来た妻が、 「もうさわれるところがありませんね」 とさみしそうに言ったこと。 遺体の解剖をしたところ、身体の粘膜がすべて失われ、筋肉の細胞は繊維が失われ細胞膜しか残っていない状態だったのに、 心臓だけは放射線に破壊されず、きれいに残っていたこと。 それらは、 「いのち」って何だろう? と、考えつづけてほしいという、大内さんからの精一杯のメッセージだろう。 皮膚がはがれおち、赤くただれた右手の写真を見ていると、 被爆治療というのは不可能なのだということを思い知らされる。 大内が死亡した際の記者会見で、治療チームの指揮を執ってきた前川教授が、 「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。 現場の人間として、いらだちを感じている。 責任ある立場の方々の猛省を促したい」 と述べている。 あれから10年。 大内さんが全身で訴えたメッセージは、どこで消えてしまったのだろうか。
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読みやすい。被爆したらどうなるのかということが、よくよくわかる。おそろしい。しかも、自分の仕事がどのような危険をはらんでいるかということを知らず、作業にあたっていて、このようなつらい目にあるというのが、理不尽すぎる。写真があったので、よりいっそう鮮烈なイメージを持つことができた。...
読みやすい。被爆したらどうなるのかということが、よくよくわかる。おそろしい。しかも、自分の仕事がどのような危険をはらんでいるかということを知らず、作業にあたっていて、このようなつらい目にあるというのが、理不尽すぎる。写真があったので、よりいっそう鮮烈なイメージを持つことができた。ひどい火傷になったような状態でぼろぼろになった皮膚や、破壊された染色体や、凹凸のなくなった腸粘膜。カラダの中のことは目に見えないけれど、白血球が激減して、細胞が突然変異を起こし、、、。本を読んでいて具合が悪くなり、本当に吐き気がした。絶対に「死ぬ」とわかっているとき、どのような最後をを望むのか、自分の意見を明確にしておきたいとも思った。長生きは絶対的な善ではない。
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2011.5.18 小出からの紹介で知り、今こそ読むべきだと思いました。読みながら泣きました。 放射能の恐ろしさや大内さん、家族、看護する周りの人々の気持ちが胸に突き刺さる感じです。 たくさんの人が読むべきだと思いました。
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東海村臨界事故はなぜ起こったのか。 実態の知れない「被曝作業員」ではなく、現実に放射能と闘った人と、その人を救おうとした人たちの命の記録。
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東海村JCO施設内で発生した臨界事故。この事故では3人が被曝し、うち2人が亡くなりました。 臨界によって発生した中性子線が作業員の体を貫き、生命の源である染色体を完全に破壊しました。その結果、作業員の体には恐るべき変化が…。
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1999年、東海村で起こったウラン濃縮作業中の臨界事故で 被ばくした作業員3人のうち、もっとも多い放射線を浴び 亡くなった大内久さんの闘病のドキュメント。 驚いたのは放射能が人体に与える恐ろしい影響力。原爆の映画などを観ると、被ばくし皮膚が溶けているシーンがあるが、あれは染色体の...
1999年、東海村で起こったウラン濃縮作業中の臨界事故で 被ばくした作業員3人のうち、もっとも多い放射線を浴び 亡くなった大内久さんの闘病のドキュメント。 驚いたのは放射能が人体に与える恐ろしい影響力。原爆の映画などを観ると、被ばくし皮膚が溶けているシーンがあるが、あれは染色体の破壊によって新しい皮膚が作られなかったからなんだ、と今更ながらわかった。 致死量をはるかに超える放射線を浴び、それを知らされることなくこんな過酷な戦いを83日間も耐えた大内さんは、どんなに不安で痛くてつらかったろうと思う。 原子力を支配することは今の人間にはできない。こんな恐ろしいものが身近にあるのが本当に恐ろしくなった。
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放射線を勉強した者として、必読の本だ。 放射線、放射能は安全に取り扱いさえすれば、こんなに利用価値のあるものはない。 しかしながら、諸刃の剣…であることを再認識した。
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