読書について 他二篇 の商品レビュー
ショーペンハウアーの性格の悪さが随所に現れていますが、それでも論点をずらさずに、切れ味鋭い批判を明瞭に行えるのでやっぱり凄い人です。 最近はフランス語の真似をして言葉を使うせいで、ドイツ語をまともに使えん奴が増えてきた、みたいな怒り方をしていて、いつでもこういう人はいるんだな...
ショーペンハウアーの性格の悪さが随所に現れていますが、それでも論点をずらさずに、切れ味鋭い批判を明瞭に行えるのでやっぱり凄い人です。 最近はフランス語の真似をして言葉を使うせいで、ドイツ語をまともに使えん奴が増えてきた、みたいな怒り方をしていて、いつでもこういう人はいるんだなぁ、と思った。
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読書の危険性と思索の重要性が重点的に述べられた書。 随所で著者の天才主義を汲み取ることができる。 ニーチェは著者に多大な影響を受けたと言われるが、浅学の身ながら通ずる点が有るものと感じられた。
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現代はあまりにも膨大な本が溢れており、簡単に手にとって読んでしまう。 しかし読書とは本来、「他人に考えてもらう」行為であると筆者は指摘する。 確かに本を読むことで筆者の主張に感化され、自分の主張を変えてしまうことは多々ある。 書籍の中には単に「売れる」ことだけを目的としたなんの意...
現代はあまりにも膨大な本が溢れており、簡単に手にとって読んでしまう。 しかし読書とは本来、「他人に考えてもらう」行為であると筆者は指摘する。 確かに本を読むことで筆者の主張に感化され、自分の主張を変えてしまうことは多々ある。 書籍の中には単に「売れる」ことだけを目的としたなんの意味もない主張を繰り返すだけのものもあるということを肝に銘じなければいけない。
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本ばかり読んでいると自分の頭でものを考えられなくなるよという本。 痛いところを突いてくる。 読書観に致命的な影響を与えた一冊。
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本ばかり読んでいるとバカになるよ、という痛快な書です。 もっとも活字に飢えていた時期に読んだので大いに影響を受けました。 わりにさくさく読めるのもポイント高いです。
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★★★★☆ 気づかないうちにそんな状況に陥っているかもしれない。というか、たぶん陥っている。 読書から何を得るか、何を学ぶか、というのはただ読んだらいいというものではなくて、能動的にその本を咀嚼して批判検討して自分なりの思索をめぐらさないといけない。読書はあくまで思索のきっか...
★★★★☆ 気づかないうちにそんな状況に陥っているかもしれない。というか、たぶん陥っている。 読書から何を得るか、何を学ぶか、というのはただ読んだらいいというものではなくて、能動的にその本を咀嚼して批判検討して自分なりの思索をめぐらさないといけない。読書はあくまで思索のきっかけや手助けであって、読んで即自分の思考が出来上がるわけではない。読んだだけなら、著者の考えを無批判に受け入れてしまってかえって思索には有害になってしまう。 そういうことって普段からわかっているつもりなのに、ついつい読んだだけで満足してしまうことが多い。書いてあることを、へー、そうなんだとそのまま受け入れたうえ、ただその受け売りしているだけなのに自分の考えのように勘違いしてしまう。その先がない。 よほど意識を高くして読まないとそいういう落とし穴にはまってしまうんじゃないだろうか。本が好きでそれなりに読んでいるけれど、振り返って考えてみればそこまでの意識の高さはなかったように思う。 【メモ】 ・自分の思想という物を所有したくなければ、そのもっとも安全確実な路は暇を見つけ次第、ただちに本を手にすることである。 ・読書に勤しむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。そのため時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。
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読書という行為の本質を鋭く指摘する本書。 3つのメッセージを受け取りました。 1. 読書は著者の思考をなぞる行為であり、読み手には考える隙がない。 2. 考えるという行為をするためには読書をしてはいけない。 3. 読書をしてはいけないことを知るためには読書することが必要。 考...
読書という行為の本質を鋭く指摘する本書。 3つのメッセージを受け取りました。 1. 読書は著者の思考をなぞる行為であり、読み手には考える隙がない。 2. 考えるという行為をするためには読書をしてはいけない。 3. 読書をしてはいけないことを知るためには読書することが必要。 考えるためには読書はしてはいけない、ということを知るためには、本書を読む必要がある、という矛盾が面白かったです。 読書が必要ないことを知るために、まだまだ読書が足りないと感じました。
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読書について、考えることについてなど辛辣に書かれている。 読書とは他人の頭で考えることなのだ、とかとか。 いらん本がいっぱい溢れている今こそ読まれるべき本だなと思った。 いい本に出会えても、その後きちんと消化するために自分の頭で考えないと血肉とはならないな、と。 ビジネス書とか小...
読書について、考えることについてなど辛辣に書かれている。 読書とは他人の頭で考えることなのだ、とかとか。 いらん本がいっぱい溢れている今こそ読まれるべき本だなと思った。 いい本に出会えても、その後きちんと消化するために自分の頭で考えないと血肉とはならないな、と。 ビジネス書とか小説はともかく、新書とかの読み方は反省しようと思った。
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「思索」と「読書について」はともかく、「著作と文体」については、よほど言語(という学問)に興味がない限り読みきれるものではないと感じた(だから「著作と文体」に関しては途中まで)。 どの文章にせよ、ショウペンハウエルが自ら以って実践していることがある。 それは何かを書く際は「主張す...
「思索」と「読書について」はともかく、「著作と文体」については、よほど言語(という学問)に興味がない限り読みきれるものではないと感じた(だから「著作と文体」に関しては途中まで)。 どの文章にせよ、ショウペンハウエルが自ら以って実践していることがある。 それは何かを書く際は「主張すべきものを所有」(P63)するいうことである。「すぐれた人」は、「いったい何を表現しようとしているのかをつねに明確に知っていた」(P18)等の表現からもそれはわかるだろう。 しかしこうした考えは今現代において、少なくとも僕はそのまま受け入れることはできない。 それは書くことで、結果的に何が書きたかったのかを後から認識するということがしばしばあるからである。またそういう「何を言いたかったのかが書くことでわかってくる」ような生成プロセスそのもの(いわゆる著者の息づかい)を一種の売りとしている文章家が数多く存在する以上、ショウペンハウエルのそうした主張を無批判に受けいれることはできない。 こうした例からもわかるように、中には「?」というような記述もあるけど(当時としては画期的な考えだったのかもしれない)、基本的には今現代においても「なるほど」と人を唸らせるような、箴言のたくさん詰まった宝物庫のような文章であった(特に自ら考えることの重要性を主張しているあたりは、確かにそのとおりだなあと思う)。 著作権といった、今現在問題となっている概念に触れているあたりの先見性にも凄みを感じる。 ただあまりにも言いたいことがはっきりしている印象を与えるため、それほど長い文章ではないにもかかわらず読むのは少ししんどかった。 同じことを繰り返し述べているようで、少し退屈に感じたから。 「悪書」を読むのを「時間と力」(P134)のムダとそこまで断言なさるのなら、ご自身の文章ももっと短くしてくれればいいのに、と一言贅言を申し上げたくなります(皮肉は皮肉しか生まないですね)。 いや僕も(自分の判断に基づいた)「悪書」は読みたくないですけどね。 (2007年08月23日)
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・自ら思索するものは次節をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威のある説を学び次節の強化に役立てるに過ぎない。 ・意味のない多読は良くない。 自分の読む本を決める段階で、思索があり、選択をすべきである。 ・真に価値があるのは、1人の思索家が第一に自分自身のために思索した...
・自ら思索するものは次節をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威のある説を学び次節の強化に役立てるに過ぎない。 ・意味のない多読は良くない。 自分の読む本を決める段階で、思索があり、選択をすべきである。 ・真に価値があるのは、1人の思索家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。 ・価値のある本のみを選ぶ必要がある。 無駄な流行本は時間と金の無駄。ではどうやって選ぶのか。 非良心的な三文文筆家が巷にあふれ、無用な悪書がいよいよ氾濫して悪徳をまき散らしている。このような風潮に対しては、評論雑誌が立ってそれを防ぐダムの役を果たすべきであろう。すなわち、評論雑誌は清廉潔白な態度で正当厳重な判断を下す必要がある。 ・匿名でなく本を批判する必要がある。 流行本ではなく、本当に良いショウペンハウエルなどを世間に伝える正しい手段が必要 ・大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。 複雑さの先にある単純さ。コンサルタントとして、自分に必要な事柄の一つ 。 ・読書は我々が駆使しうる天賦の才能の駆使を促すのである。 上述の一つの答え。自分の天賦の才を意識して、それ以外の読書は娯楽以外避ける ・「反復は研究の母なり。」 重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがよく理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。(中略)違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。 特に名著としたものについては、再読が必要。再読を前提として、速読を取り入れるべきか
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