「三島由紀夫」とはなにものだったのか の商品レビュー
これ難しかった。三島…
これ難しかった。三島ファンは読むべし。数ある三島研究本の中でも読みごたえのある一冊。
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三島由紀夫は偉大な作…
三島由紀夫は偉大な作家であり、またその評価は非常に難しいだろう。あえてこのテーマに挑む著者に脱帽です。
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ボリュームのある1冊…
ボリュームのある1冊。橋本治ということで軽いイメージを持ちましたが、比較的しっかりした内容です。
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代表作ぐらいは読み込んでおかないと、この本を味わうことはできない。当然。 それにしても著者の聡明ぶりが伝わってくる。
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「塔に幽閉された王子」のパラドックス -2006.10.18記 -「三島由紀夫」とはなにものだったのか- 文庫にして470頁余とこの長大な三島由紀夫論は、三島の殆どの作品を視野に入れて、堂々めぐりのごとく同心円上を螺旋様に展開して、作家三島由紀夫と私人.平岡公威の二重像を描ききろうとする、なかなか読み応えもあり面白かったのだが、読み草臥れもする書。 書中、「塔に幽閉された王子」のパラドックスとして繰りひろげる「豊饒の海」解釈はそのまま的確な三島由紀夫論ともなる本書の白眉ともいえる箇所だろう。 塔に閉じこめられ、しかしその塔から「出たくない」と言い張っていた王子は、その最後、幽閉の苦しみに堪えかねて、自分を閉じこめる「塔」そのものを、投げ出そうとしている。「塔」から出るという簡単な答えを持てない王子は、その苦しみの根源となった「塔」そのものを投げつけようとするのである。 なぜそのように愚かな、矛盾して不可能な選択をするのか? それは「塔から出る」という簡単な選択肢の存在に気がつかないからである。「塔から出る」とは、他者のいる「恋」に向かって歩み出ることである。「私の人生を生きる」ことである。 なぜそれができないのか? なぜその選択肢の存在に、彼は気がつけないのか? それは、認識者である彼が、自分の「正しさ」に欲情してしまっているからである。自分の「正しさ」が欲情してしまえば、そこから、「自分の恋の不可能」はたやすく確信できる。 「恋」とは、認識者である自分のあり方を揺るがす「危機」だからである。彼は「恋の不可能」を確信し、その確信に従って、自分の認識の「正しさ」を過剰に求め、そして、彼の欲望構造は完結する。 彼を閉じこめる「塔」とは、彼に快感をもたらす、彼自身の欲望構造=認識そのものなのだ。肥大した認識は、彼の中から認識以外の一切を駆逐する。彼の中には、認識以外の歓びがない。 「認識」を「病」として自覚することは、「認識以外の歓びが欲しい」ということである。しかし彼はそれを手に入れることができない。苦痛に堪えかねて「認識者」であることを捨てる――その時はまた、彼が一切を捨てる時なのだ。
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膨大な議論によって 兵士になれなかった三人の劣等意識を隠蔽しつつ 「金閣寺」に書かれていたものは 結局、ただの理由なき反抗にすぎなかった しかしそれにしたって中途半端なのは その時点の三島由紀夫にはとうてい理解できないだろう価値観 …すなわち、ナメられたら終わりという 本当ならあ...
膨大な議論によって 兵士になれなかった三人の劣等意識を隠蔽しつつ 「金閣寺」に書かれていたものは 結局、ただの理由なき反抗にすぎなかった しかしそれにしたって中途半端なのは その時点の三島由紀夫にはとうてい理解できないだろう価値観 …すなわち、ナメられたら終わりという 本当ならあの作品が、それに基づくものでなければならなかったからだ それを外しているからこそ「金閣寺」はあらゆる面で上滑りなんだが 戦後民主主義の申し子たる橋本治にも やはり「ナメられたら終わり」が理解できなかったようで 三島由紀夫の人格を「行動者」と「認識者」に分けたまではいいけど 肝心の平岡公威をどこかに捨ててきてしまうんである 兵士として使い物にならないオトコオンナ そういう烙印を押されてしまった平岡公威の絶望に対して オトコオンナで何が悪いの?と 冷たく言い放てるのが橋本治であろうから もちろん、それ自体いけないってんではないが 三島論としてどうなんだ、という話
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誰かの言葉を借りない、筆者独自の三島論はとても説得力がある。 切腹事件に振り回されて(幻惑されて)いないことも、当然なのですが爽快。
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三島由紀夫の作品をロクに読んでいない自分だが、橋本治の迫る三島由紀夫像に引き込まれた。他者と関わりたくて、仮面の下の彼は「無」である。「塔の中にいて、塔の外を望みながら、塔の外に出ることは拒む」という感覚に、身につまされる思いがした。 同性愛、マッチョ、右翼、自殺という表層的なイメージで三島を捉えるのは間違いで、作品から滲み出ている彼のベースはとても繊細で中性的である。 ただし、橋本の捉える三島像では、結局のところ彼は肥大した自己のためにコミュニケーションをうまくとれなかった人ということになるのだろうか?美意識や感情の拒絶、愛の表現方法など、一読では消化不良なことばかりで、三島作品とともに再読が必要であるとメモ代わりに。
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三島由紀夫が死んだ時、それまで明確に信じられていた自己達成の道は、消え行く光を放つ不思議な幻想となり変わった。 自分の想定した人生を認識することーこれこそが、三島由紀夫にとっての生きるだった。 三島由紀夫はどこかで、自分の作品、そして自分の人生が、観念だけで作られた細工物のようだ...
三島由紀夫が死んだ時、それまで明確に信じられていた自己達成の道は、消え行く光を放つ不思議な幻想となり変わった。 自分の想定した人生を認識することーこれこそが、三島由紀夫にとっての生きるだった。 三島由紀夫はどこかで、自分の作品、そして自分の人生が、観念だけで作られた細工物のようだと感じていたのである。
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三島由紀夫をあまり読んでおらず、かつ新派など演劇にも疎い自分には難しい本だった。でも、くどいまでに分析を続ける論評にどうしても惹きつけられる。小林秀雄論も素晴らしかったが、こちらは本人の作品を読んでから、もっと考えたい。
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